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「郷愁」 織田作之助 を読んで。(青空文庫コラム)

(あらすじ)

世評を小説に盛り込もうとしてもうまくいかない。新吉は、悩みに悩み、なんとか原稿をこしらえる。

締め切りに間に合うよう中央郵便局へ電車で行く。その途中、夫に不明瞭な電報で呼ばれた女に出会い、彼女は、相手がどこへこいと言ったのかよくわからず、新吉に尋ねる。彼は彼女の身なりの貧しさが気になった。

そしてたどり着いた駅では、「浮浪者」が寝ており、隣でその息子が、立ち膝で上の方を見上げていた。その目には、憂愁があった。

新吉は、世相とは、なんのことであるのか勘付く。

(感想)

新吉は、書いている小説のおちにいまの世相を盛り込みたいと思いました。それができれば作品は納得いくものになるはずです。なのに、思いつかないのです。

いろいろ考えますが、時間は迫りつつあります。挙句に出版社にゲンコウオクッタと電報まで打ってしまう。もう逃げれない! かれは、時代の合法麻薬ヒロポンを注射で打ちます。神経が興奮し、夜通し起きていられます。その後の疲労もひどいけれども。

そこまでしても、納得のいくものはかけませんでした。でも、締め切りです。

彼はギリギリまで粘ったので、郵便の集計地である中央郵便局に直接持っていかなければ、その締め切りに間に合わないと考えました。駅へと電車を待ちます。

郵便局に着くまでに、

貧しい女に出会った。浮浪者とその子供に出会った。

女には、昨日の感覚で夫婦仲が悪いと憶測するのです。浮浪者の子供を見て、それは「一個の鉛が置かれている感じ」で「この子供を見た時ほど人間が座っているという感じを受けたことはない」と思いました。

さらに、

世相などという言葉は、人間が人間を忘れるために作られた便利な言葉に過ぎない。

と喝破します。

これのぼくの感じたのを、説明をいたしますと、織田作之助は、第二次世界大戦を生きました。その時代のほとんどの文学者や作家は、大政翼賛組織、「日本文学報国会」に組み込まれました。賛同した人も否定した人もいたでしょうけれども。織田作之助が、参加したという確かな言説には、いくつかの資料を見てみましたが、出会えませんでした。むしろ、戦中、戦争をする国を揶揄した文学作品を発表したりしています。かれが、この組織に参加したのか、したならばどんなことをしたのか、を追いかけることはできませんでしたが、戦争の時代を生きたことは確かです。

そして、事実として、作家による戦争へのプロパガンダがあった時代であり、それは、作者もとくと知っていると思います。

(「郷愁」は戦後の1946年に発表されました)。

戦後というあたらしい「世相」になれば、人びとは、その戦時下のこと(または戦争の中にあったいろいろなこと)が、(自分が何をしたのか、も)幻のように忘却(意図的に?)されたのではないでしょうか。軍事国家から鮮やかすぎる民主主義への転変でもそれがわかるような気がいたします。

このご作品には、作者、織田作之助の、時代に対する世相に対する、悶々としたものがあらわれたのだと考えられるのです。

文学とはなにか、文学者とはなにか、それは子供の落書きや民衆の誰かがひそかに日記やメモのなかに記す言葉の行為とどう違うのか、あるいはまったく同一の行為の外延なのか、繰り返し問う必要がある。そうでないと文学が文学という信仰になるちょうどその地点で、政治行為も現実行為もまた「民衆」とか「解放」とかの定義も信仰に転化してしまうことを逃れられない。

「作家と戦争  太平洋戦争70年」 KAWDE道の手帖 吉本隆明の記事

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