JW407 覇道か王道か
【崇神改革編】エピソード34 覇道か王道か
第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。
紀元前50年、皇紀611年(崇神天皇48)1月。
ここは、磯城瑞籬宮(しきのみずかき・のみや)。
崇神天皇こと、御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえ・のみこと)(以下、ミマキ)は、ある悩みを抱(かか)えていた。
そこで、大后(おおきさき)の御間城姫(みまきひめ)(以下、みぃ)に相談したのであった。
ミマキ「わしは、心苦しい・・・。」
みぃ「大王(おおきみ)? 如何(いかが)なされたのですか?」
ミマキ「まことに勝手な話じゃが、わしは、決めかねておる・・・」
みぃ「ですから、何を?」
ミマキ「日嗣皇子(ひつぎ・のみこ)じゃ。」
みぃ「えっ? 何を申されておられるのです? 十一代目は、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさち・のみこと)こと『イク』ちゃんであると、申しておられたではありませんか。」
ミマキ「そ・・・そうじゃ。されど、わしは、豊城入彦(とよきいりひこ)こと『トッティ』でも良いのではないかと・・・。」
みぃ「そ・・・そんな・・・。私は、大后なのですよ。『トッティ』殿は、遠津年魚眼眼妙媛(とおつあゆめまぐわしひめ)こと『アユ』殿の子ではありませぬか・・・。そんなこと、私には、認められませぬ。私に、落ち度が有ったということですか?」
ミマキ「そのようなことを申しているのではない。汝(なれ)に落ち度の有ろうはずが、ないではないか! ただ・・・『イク』にすべきか『トッティ』にすべきか、悩んでおるのよ・・・。」
みぃ「大王? その悩みを聞くのは、私でも、『アユ』殿でもありませぬ。我が子ではない道を選ぶ母が、何処(どこ)におりましょうや。」
ミマキ「で・・・では、如何(いか)にすれば良いのじゃ。」
みぃ「私でも、『アユ』殿でもない御方・・・。義母上様の包媛(かねひめ)様こと『カネ』様に、お聞きすればよろしいかと・・・。私には、答えられませぬ・・・(´;ω;`)ウッ…。」
ミマキ「す・・・すまん。『みぃ』ちゃん・・・。許してくれ・・・。」
こうして、ミマキはカネに相談した。
カネ「大王・・・。大后の子が日嗣皇子になるべきであること、それは重々、御承知のはず・・・。」
ミマキ「分かっておりもうす。されど『トッティ』には、尚武(しょうぶ)の才が有ると見込んでおりまする。これより後の世を考えれば、『トッティ』こそ、大王に相応(ふさわ)しいのではないかと・・・。」
カネ「覇道(はどう)を取られるということですか?」
ミマキ「出雲(いずも)との戦(いくさ)が有るやもしれませぬ。また、東国(とうごく)の豪族たちも、ことごとく従えてはおりませぬ。更に鑑(かんが)みれば、これより我が国は、海の向こうの国々と覇を競わねばならぬ世となりましょう。それを考えると、『イク』ちゃんは、優し過ぎる・・・。」
カネ「王道(おうどう)では、世は収まらぬと?」
ミマキは、どのような決断を下すのであろうか?
次回につづく