JW305 礫で占った将軍
【丹波平定編】エピソード12 礫で占った将軍
第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。
蟻道(ありじ)での戦いは、最終局面を迎えようとしていた。
彦坐王(ひこいます・のきみ)(以下、イマス)の軍勢が攻めかかる。
丹波(たにわ)の豪族、陸耳御笠(くがみみのみかさ)(以下、みかさ)の軍勢は、これを抑(おさ)えようと懸命に戦う。
しかし、そのとき、伏兵(ふくへい)が現れた。
それは、尾張倭得玉彦(おわり・の・やまとえたまひこ)(以下、玉彦)が率いる船団であった。
由良川(ゆらがわ)を遡(さかのぼ)って来たのである。
みかさ「ぐぬぬぬ・・・。このまま、わてらの後ろに回りこまれたら・・・。」
唸(うな)る「みかさ」の傍で、同じ丹波の豪族、匹女(ひきめ)が問いかける。
匹女「どないすんの!?」
玉彦「皆の衆! 射かけよぉ!」
ヤマト勢(伏兵)「おお!」×多数
「みかさ」たちの頭上に、矢の雨が降り注ぐ。
みかさ勢「ウグッ! グハッ!」×多数
みかさ「こうなったら、船団に回りこまれる前に退(ひ)きつつ、『イマス』を討ち取るんやっ。」
匹女「よっしゃぁ! やったるでぇ!」
後ろに下がりつつ、ヤマトの猛攻を食い止める「みかさ」勢であったが、ここで悲劇が起こる。
匹女が討ち取られたのである。
匹女「あかんっ! やられてもうたっ。さいならぁぁ!! グフッ。」
みかさ「匹女ぇぇぇ!!!」
ここで、ヤマト勢に与(くみ)する「サム」が解説を始めた。
サム「匹女が討ち取られた地は、その後、血原(ちはら)と呼ばれるようになったんや。」
イマス「二千年後の京都府福知山市大江町(ふくちやまし・おおえちょう)の千原(せんばら)のことじゃな?」
サム「その通り! 丹後国風土記逸文(たんご・のくに・ふどき・いつぶん)に書かれてるんやでぇ。」
みかさ「よしっ。解説に現(うつつ)をぬかしている間に、逃げるんやっ。船団が回りこむ前に、川を渡るでぇっ。」
敗走を始める「みかさ」勢。
川を渡り、山中へと向かう。
それを追いかけるヤマト勢。
「みかさ」勢も、ただ、やられるわけではない。
攻撃を食い止めながら、退くを繰り返す。
いわゆる撤退戦(てったいせん)。
退(の)き口(ぐち)である。
イマス「敵を退き口に送れっ。討ち漏らすでないぞっ。」
ここで、ヤマトに与する「ジェフ」が解説を始めた。
ジェフ「わてらは、楯(たて)を連(つら)ね、川を守って、イナゴが飛ぶかのように矢を放ったんやっ。」
玉彦「そういうことで、川守(かわもり)と楯原(たてはら)という地名が起こったんだがや。」
サム「丹後国風土記逸文に書かれてるんやでぇ。」
みかさ「二千年後の地名は、なんやねん?!」
イマス「川守は、福知山市大江町の河守(こうもり)と言われておるぞっ。」
みかさ「ほんで、もう一つは、どこやねん?!」
イマス「楯原は、福知山市大江町の蓼原(たでわら)と言われておるぞっ。」
みかさ「へぇぇ、そうなんかぁぁ。ほな、さいなら!」
イマス「あっ! 待てっ。」
サム「すると、そのとき、舟が一艘(いっそう)・・・。」
ジェフ「舟が、どないしたんや?」
サム「それがなぁ(-_-;)・・・。欠字で、内容不明なんや・・・。」
イマス「なんじゃと!? では、このあと、どうなったか分からぬのか?!」
サム「いえ、その後のことは、書かれてるんですわ。川を下り、賊を追ったと書かれてますんで、『みかさ』はんを取り逃がしたみたいでっせ。」
イマス「と・・・取り逃がしてしもうたのか・・・。」
玉彦「項垂(うなだ)れても、仕方ないてっ。伝承通り、川を下るがやっ。」
こうして、ヤマト勢は川を下り、由良(ゆら)の港に至った。
イマス「由良の港・・・。由良津(ゆら・のつ)か?」
ジェフ「せやっ。海まで来たっちゅうことやでぇ。」
玉彦「でもよぉ。ここまで来て、見つからんっちゅうことは、海に出たんでないきゃ?」
イマス「いや、そう軽々しく決めるモノではないぞ。そのように、見せかけておるのやもしれぬ。」
ジェフ「なるほどなぁ。兵は詭道(きどう)なりっ・・・て言うしなぁ。」
玉彦「ほんなら、礫(つぶて)で占うがや。」
イマス「そうじゃのう。」
サム「えっ?! そんなん出来るんですか?!」
玉彦「それが出来るがや。見とれよ。」
イマス「神々よ! 『みかさ』たちの居所(いどころ)を教え給えっ。」
ジェフ「そ・・・それで、どんな答えが出たんや?」
玉彦「待て、待て。そう急(せ)かさんでも、ええて。」
イマス「では、占いの答えを申すぞ。与佐(よさ)の大山(おおやま)と出ておる。」
玉彦「どこだがや?」
サム「与佐の大山っちゅうたら、二千年後の大江山(おおえやま)のことやな。」
イマス・玉彦「大江山?!」×2
ジェフ「ほ・・・ほな、わてら・・・海まで来たけど、何の意味も無かったっちゅうことになるんやないか?」
イマス「そ・・・そういうことになるのう。」
玉彦「意味は有るでよ。占った地は、石占(いしうら)と呼ばれるようになったがや。二千年後の京都府宮津市(みやづし)の石浦(いしうら)のことだに。」
サム「丹後国風土記逸文に書かれてるんやでぇ。」
こうして「みかさ」を求め、イマスたちは、再び山中に向かったのであった。
つづく
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