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JW330 遷り過ぎた社

【東方見聞編】エピソード13 遷り過ぎた社


第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。

大彦(おおひこ)と武渟川別(たけぬなかわわけ)(以下、カーケ)の親子は、相津(あいづ:現在の会津)の地で再会した。

系図(大彦とカーケ)
地図(相津→会津)

共に居合わせる人物は、下記の通り。

葛城宮戸彦(かずらき・の・みやとひこ)(以下、みやさん)。

それから、和珥彦国葺(わに・の・ひこくにふく)(以下、くにお)。

赤ん坊の得彦(えひこ)。

つづいて、大伴豊日(おおとも・のとよひ)。

そして、久米彦久米宇志(くめ・の・ひこくめうし)(以下、うし)である。

系図(葛城氏と和珥氏)
系図(大伴氏と久米氏)

大彦「いろんな出会いと別れがあったと知り、驚いているんだな。」

みやさん「我(われ)の伯母(おば)にも会っていたとは、驚きにござるよ。」

くにお「伯母? そんな御仁(ごじん)が出ておったか?」

みやさん「エピソード327で、尾張建諸隅(おわり・の・たけもろすみ)の妻、諸見己姫(もろみこひめ)こと『ロミ子』という人物が出ていたのでござるよ。あれは、我の伯母にござるよ!」

系図(ロミ子とみやさん)

くにお「なっ! そうであったのか!?」

みやさん「知らなかったとは、言わせないのでござるよ!」

豊日「まあ『ロミ子』殿は、エピソード235以来の登場やったかい(から)、仕方なか。」

うし「そうっすよね。『みやさん』と絡(から)んだ場面が、一度も無いんすから・・・。」

みやさん「それは、そうでござるが・・・。」

大彦「それより、それがしの孫、武川別(たけかわわけ)こと『ジュニア』のことは、残念無念なんだな。」

カーケ「父上・・・。許して欲しいんだぜ。これも民(おおみたから)が為(ため)なんだぜ。」

大彦「分かっているんだな。でも、ちょっぴり淋しいんだな。」

得彦「あわう。あう。」

大彦「おお! 得彦! それがしの想い、分かってくれるのかな?!」

カーケ「大げさなんだぜ。帰りに甲斐(かい:現在の山梨県)に寄れば良いだけなんだぜ。」

大彦「そんなことくらい分かっているんだな。」

くにお「して、皇子(みこ)? これより帰路に就(つ)かれるので?」

大彦「いや、これより『カーケ』と共に、伊弉諾神(いざなぎのかみ)と伊弉冉神(いざなみのかみ)を祀(まつ)ろうと思っているんだな。」

豊日「何処(どこ)で祀るんや?」

大彦「御神楽岳(みかぐらだけ)の山頂に祀るんだな。」

地図(御神楽岳)
御神楽岳

みやさん「天津嶽(あまつだけ)という別名も有るのでござるよ。標高1386mにござるよ。」

カーケ「その通りなんだぜ。そしてこれが、伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)の起源とされているんだぜ。」

くにお「ん? されど、山頂に社(やしろ)など見当たりませぬぞ?」

御神楽岳山頂

うし「その後、遷座(せんざ)されたんで、二千年後の地図を見ても仕方ないっすよ。」

大彦「その通りなんだな。博士山(はかせやま)に遷ったんだな。標高は1482mなんだな。」

地図(博士山)

豊日「じゃっどん、博士山にも、社が見当たらないっちゃが。」

みやさん「その後、明神ヶ岳(みょうじんがだけ)に遷座されたのでござるよ。標高は1074mにござるよ。」

地図(明神ヶ岳)
博士山と明神ヶ岳

豊日「何を言っちょるんや!? そこにも社が無いっちゃが!」

カーケ「当たり前なんだぜ。その後、西暦552年、皇紀1212年(欽明天皇13)に、高田南原(たかだみなみはら)に遷座されたんだぜ。」

くにお「高田南原? それは何処(いずこ)にござりまするか?」

大彦「福島県の会津美里町(あいづみさとちょう)に、宮林甲(みやばやしこう)という地名が有るんだな。そこに遷ったんだな。」

地図(高田南原→会津美里町宮林甲)

豊日「ついに、平地に遷ったんかぁ。」

大彦「山は、不便だったのかもしれないんだな。」

うし「詳しく言うと、高田南原っていうのは、二千年後の『あやめ苑(あやめえん)』のことっす。」

くにお「あやめ苑?」

カーケ「そうなんだぜ。そして、そこから、更に北側に遷ったんだぜ。」

みやさん「西暦560年、皇紀1220年(欽明天皇20)に、高田東原(たかだひがしはら)に遷ったのでござるよ。これが、現在の鎮座地にござるよ。」

伊佐須美神社(鳥居)
伊佐須美神社(仮社殿)
地図(伊佐須美神社)

豊日「遷ったち、道を挟んだ向かい側やじ!」

カーケ「それでも遷ったことに変わりはないんだぜ。」

うし「ちなみに、二千年後の地名でいうと、どっちも会津美里町宮林甲っす。」

くにお「や・・・ややこしい・・・。」

豊日「引っ越し好きにも、ほどがあるっちゃが!」

くにお「ところで、これほどまで遷座を繰り返した理由(わけ)は?」

みやさん「大彦様の進軍経路という説が有るのでござるよ。」

うし「博士山も、剣を腰に佩(は)いて通ったことが由来みたいっすね。『佩かせ山』が『博士山』になったみたいっす。」

カーケ「ちなみに、『くにお』と『豊日』は、見つけられなかったが、明神ヶ岳には、奥宮(おくみや)が有るんだぜ。」

伊佐須美神社(奥宮)

くにお・豊日「ええぇぇ!!」×2

大彦「ちなみに、後の世には、それがしと『カーケ』も祀られちゃうんだな。」

くにお「ところで、拝殿(はいでん)ではなく、仮社殿(かりしゃでん)になっている理由(わけ)は?」

みやさん「西暦2008年、皇紀2668年(平成20)の火災で、拝殿が焼失したのでござるよ。」

伊佐須美神社(焼失前の拝殿)

豊日「それで、仮社殿になっちょるんかぁ。」

みやさん「そういうことにござるよ! 早く再建して欲しいのでござるよ!」

うし「そうっすよね。仮じゃなくて『モノホン』が見たいっすよねぇ?」

くにお「そうじゃのう。」

カーケ「いつか建てられると思うんだぜ。」

大彦「その日まで、待つしかないんだな。」

こうして、大彦と武渟川別の旅が終わったのであった。 

つづく

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