JW431 木国の吉備
【崇神経綸編】エピソード6 木国の吉備
第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。
すなわち、紀元前44年、皇紀617年(崇神天皇54)。
ここは、木国(き・のくに:現在の和歌山県)。
天照大神(あまてらすおおみかみ)(以下、アマ)が、御杖代(みつえしろ)の豊鍬入姫(とよすきいりひめ)(以下、きぃ)に、引越を要望していた。
次に遷(うつ)る地とは・・・。
アマ「次は吉備(きび)にするぞ!」
きぃ「き・・・吉備? 吉備とは、二千年後の岡山県と広島県東部の地にございますね?」
するとそこに「きぃ」の母、遠津年魚眼眼妙媛(とおつあゆめまぐわしひめ)(以下、アユ)が乱入してきた。
舎人(とねり)の紀麻呂良(き・の・まろら)(以下、マロロ)の姿もある。
アユ「ちょっと待ちなさいよ! こっちに遷って、三年しか経ってないのよ! 早くない?」
アマ「仕方なかろう。ちなみに、宮の名は、名方浜宮(なかたはまのみや)じゃ。」
マロロ「しばしお待ちくだされ。吉備と申されまするが、木国の名草郡(なくさ・の・こおり)に有る、吉備郷(きび・の・さと)という説もござりまするぞ!」
アユ「えっ? 木国? ちょっと! 『きぃ』! こっちにしなさい!」
アマ「なにゆえ、汝(なびと)が決めておるのじゃ!」
きぃ「し・・・して『マロロ』・・・。木国の候補地とは、何処(いずこ)になるのです?」
マロロ「まずは、伊勢部柿本神社(いせべかきもとじんじゃ)にござりまする。鎮座地(ちんざち)は、和歌山県海南市(かいなんし)の日方(ひかた)にござりまする。」
アユ「いいじゃない。ここが一番、いいと思うわよ。」
マロロ「されど、他にもござりまするぞ。次は、国主神社(くぬすじんじゃ)にござりまする。こちらの鎮座地は、和歌山県有田川町(ありたがわちょう)の長田(ながた)にござりまする。」
きぃ「されど・・・。二千年後の説明を見ると、祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)となっておりますよ? 間違いではないのですか?」
マロロ「そう思われるのも、致し方ありませぬ。・・・と言うのも、のちに遷座(せんざ)され、二千年後は、田殿丹生神社(たどのにゅうじんじゃ)に合祀(ごうし)されているのでござる。こちらの社(やしろ)は、有田川町の出(いで)に鎮座しておりまするぞ。」
アユ「遷座されたあとに、国主神社が建っちゃったってことか・・・。紛(まぎ)らわしいわね。」
マロロ「仕方ありませぬ。それゆえ、国主神社の方には、跡地であることを顕彰(けんしょう)するため『吉備名方浜宮の碑』という石碑(せきひ)が建てられておりまする。」
アマ「面白い見解じゃが・・・。それでも、わらわは吉備国(きび・のくに)に行くぞ。」
アユ「な・・・なんでよ? 私と『きぃ』ちゃんを別れさせたいわけ?」
アマ「わらわの我儘(わがまま)であること、よく分かっておる。分かってはおるが・・・。」
きぃ「吉備国を見てみたいのですね? 私は、何処(いずこ)であろうとも構(かま)いませぬ。」
アユ「私と離れ離れになっちゃうのよ? それでもいいの?」
きぃ「豊城入彦(とよきいりひこ)こと『トッティ』兄上とも離れ離れの母上に、このようなことを言うのは、心苦しいのですが、私は御杖代にございます。務めを果たさねばなりませぬ。」
アユ「ホントに・・・あんたって子は・・・(´;ω;`)ウッ…。」
こうして「きぃ」は、吉備国へと旅立ったのであった。
つづく
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