願いごとは なに?
【今日の 聴き屋】~323日目~
札幌への 空想旅行記で
伏見稲荷神社 の 「願い石」のことを 書いた。
願い石に 願いをかける。
「自分の一番好きなものを断つ代わりに 願いを叶えてくれる」 という石。
ここに 行こう!って決めたときから なんとなく
コーヒー断ちが スタート。
もう 大好きなコーヒーを 数か月 飲んでいない。
空想記事で 予定通り 「願い石」のところまで 行って
そこで 願いをかける 私。
でも ふと そこで 思考がストップする。
「私 ここで いったい 何を 願うんだろう?」
私の願いごと って なに??
日々 悩みごとが いっぱい。
はてしない 悩みの数々。。。
夫 のこと
一番上の子 のこと
真ん中の子 のこと
一番下の子 のこと
仕事の内容 のこと
働く環境 のこと
評価 のこと
酷い片頭痛 のこと
不整脈 のこと
体調の変化 のこと
視力 のこと
胃腸 のこと
外見のコンプレックス こと
親 のこと
兄たち のこと
子どもたちの 部屋割り のこと
生活 のこと
将来の生きる目的 のこと
悩み事は あげたら キリがない。
でも 「願いごと」 って。。。
札幌旅行は 直前にキャンセルし
「願い石」には 実際に 行くことは 出来なかった。
でも 予定通り行けていたとしたら
願い石の前で 私は いったい 何を 願ったのだろう。
来月で 48歳 48年 生きてきた。
会社員として 24年半 働いてきた。
結婚して 19年ちょっと 。
親になって 17年足らず。
この 人生の中で
「欲しいものは 自分で手に入れるもの」
そういう 経験が 積み上げられてきた。
結婚しても 夫が しあわせに してくれるわけじゃなかった。
子どもを 持っても 子どもが しあわせに してくれるわけじゃなかった。
希望の会社に入っても 会社が しあわせに してくれるわけじゃなかった。
その人間関係の中で その環境の中で
自分が どういうふうに過ごし どう しあわせに なるのか。
誰かや 何かが 私をしあわせにしてくれるわけじゃない。
すべては 自分が 選んでいくこと。
そう 思ったら 願い石に願う「願いごと」って 私には 無くて
強いてあげるならば
「自信」がほしい。「自分を受け容れられる自分」がほしい。
でも その「自信」や 「自己受容」ですら
やっぱり 自分で つかみとっていくもの。
だから きっと
「願い石」の前に 行けたとしても
お願いする「願いごと」は ないんだろうな。
クリスマスの前に サンタさんに 欲しいものをお願いして
ワクワク していた 子どものころ。
京都への修学旅行で 鈴虫寺を訪れ 恋愛成就のお願いをして
ドキドキしていた 高校生のころ。
そんな ワクワク ドキドキ は 無くなってしまったけれど
自分のしあわせを 自分の手で つかみ取っていく
そんな力を 私は 手に入れたんだ。
そんなことに 気付いた
「願い石」への 空想旅行だった。
「願い石」への 願いごとは ないけれど
次に 札幌に行くときには
必ず 「願い石」を訪れよう。
大切な気づきをくれた 御礼を伝えに☆
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