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「幸せ」に音があるならどんな音?

もし、この記事を見つけてくれた方が「家族と一緒に住んでいる方」であれば、これから書くことを必ずやってほしくって書く。

読んでくれた方に必ずやってみてほしいことがあるんだ。それはすぐに出来ること。


私はやってなくて後悔してること。


だから最後まで読んでほしい。


ちなみに「家族と一緒に住んでいる方」というのは、こんな方を指す。

▶︎結婚して夫婦2人暮らしの方

▶︎お子さんと暮らしている方

▶︎パートナーがいて同棲中の方

▶︎親兄弟と実家で暮らしている方
あたりまえだけど


本題に入ってみよう。


結論からいく。


この記事を見つけてくれた方に、
私が何をやってほしいかというと、






家族の生活音を録音してほしい。




なぜか?




その音は、いつか宝物になるから。




確信をもって言える。


その生活音は、いつか必ず宝物になる。


日常の「音」は当たり前すぎて、
つい聞き流しがちだ。

兄妹同士の「あたしのポテチ食べた?」という何の気なしの会話、お母さんが言う「今日何食べたい?」という質問、お父さんの「ただいま」の声、あなたが言う「あれ?耳かきは?」の困惑の声。

これらは全て、いつか聞けなくなる。
絶対に聞けなくなる。

なぜならみんなバラバラになるからだ。
いつか会えなくなる。

「なぜなら」とか、言うまでもなく自明の理。


だからね、


生活音を音声だけで残してほしい。

流行りの「動画」ではいけない。


ストーリーでもダメ。



粋じゃないから。



家族の生活音だけを録音して。


音だけ。


1分でいいよ。


ほら貝に耳を入れると、ほのかに海の音が聴こえる。やったことがある人はいらっしゃるかな。「ボォォー」と海の音が聴こえるよ。

海が聴こえてくるんだ。ほら貝の中に海なんてあるはずないのに、海が聴こえてくる。見えてくる。


思うに、五感の一つにだけ絞って集中するとになる。そこに想像の余地が生まれるからかもしれない。不完全なものを想像力で補うときに粋が生まれるのかな。



同じように、いつか私たちが今より大人になって今日を振り返った時のために、音だけを残しておくというのは粋なものだよ。お父さん、どんな顔していたっけ、どんな家だったっけ、お母さんの料理を作る後ろ姿は?と想像が膨らむから。




何の気なしに聞き流しているその音は、
いつか絶対に宝物になるよ。




人は「ある行為をすれば、良い結果になることが分かっているのに、それをやらなかった」ことがあると後悔する。あの時、あぁしていれば良かったなぁと思うことが私にも当然ある。



私は4人兄妹の長男で6人家族。
実家には昔、犬もいて毎日騒がしかった。
これがいつまでも続くんだな、と思ってた。
根拠もなく。

でも一人、また一人と家を出て、あの6人で暮らしていた日常は当たり前じゃなかったんだなと、いつの日か思うようになった。


18歳の頃に「この音だけでも録音しておいたら、将来宝物になるかもな」と思って結局やらなかった。だから後悔してる。録音しておけばよかった。あの頃の日常はもう記憶の中にしかない。




幸せは目に見えない。

仮に、

幸せに、色があるならどんな色?

幸せに、味があるならどんな味?

幸せに、香りがあるなら?

幸せに、感触はある?

幸せに、音があるならどんな音?

幸せに音があるなら。

それは「いま私たちが家の中で聞いている当たり前の音」だと思うよ。



当たり前の音だけど、いつか聴くことが出来なくなるよ。その音が「幸せの音だったんだ」といつか気づくことになるよ。


だから、録音してみてね。


そして家族を抱きしめてあげてね。








〈あとがき〉
食べ物を幸せそうに食べる友人がいます。そんな友人の顔を見て「幸せに味があるならそんな味だろうね」と言ったら「え!いまのセリフ…もっかい言って!」と喜んでたことがヒントになり、この話を思い出しました。家族の生活音を残せなかったことは、私の大きな後悔のひとつです。ですがこれから家族を作る身としては、いつからでも残せるな、とも思うわけです。最後までお読みくださってどうもありがとうございました。





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