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キテレツ大百科がよく分からない。
<まえがき>
多分なんだけど、この記事は28歳〜36歳くらいの方ならば、少し共感してくださると信じて書く。逆に、置いてけぼりにされる世代の方には先に謝っておく。今日はすいません。
ある朝起きると、妻の寝グセがすごかった。
おはようついでに、私は言った。
「頭、スネ夫みたいになってるよ」
そう言うと、妻は笑いながら言う。
「キテレツならトンガリね」
だから言う。
「なら俺はブタゴリラだ」
アハハハハハハ。
今日も平和である。
トンガリもブタゴリラも、アニメ『キテレツ大百科』に登場する。藤子・F・不二雄の、あの、である。
「ブタゴリラ」ってすごいあだ名だなぁ。
ガキ大将にブタゴリラって名付けるか?
いやつけないよ。
ここで『キテレツ大百科』とはなんなのか、について解説することは、この記事の目的ではない。そんなのは調べれば分かること。
念のため言っておくと、キテレツ大百科は、ドラえもん的なアニメ。というか、ほぼドラえもん。
noteなどの情報発信において重要なのは、書き手独自の視点であるように思う。だから今日は、キテレツ大百科に対する私のイメージを書くことで、読者さんに「分かるわぁ」と思っていただきたい。
…こう思ってるのは私だけ?
えーい! 分かる人にだけ届け!
▶︎キテレツ大百科がよく分からない
[1]コロ助の立ち位置が分からない
まず、コロ助がよく分からない。キテレツが作ったっぽい、というのは分かる。キテレツの先祖のキテレツ斎様が設計したっぽいというのもなんとなく分かる。
が、例えば同じ藤子・F・不二雄作品の『ドラえもん』のドラちゃんは、何事も解決してくれるジョーカー的な立ち位置だ。
ドラちゃんに相談すれば、問題を解決してくれるのに対し、キテレツ大百科に登場するコロ助は、特に問題を解決してくれるイメージがない。なんかキテレツたちと一緒に騒いでいるイメージがある。
つまり、役に立たないのだ。それがいい。
あと、コロ助がしゃべるときの語尾「〜ナリ」の影響力はすごい。2023年現在においても「〜ナリ」と私は言ってしまうからだ。
[2]勉三さんの立ち位置もよく分からない
勉三さんもよく分からない。あれは誰なんだ。ビン底メガネをかけた勉三さん。少しだけ無精髭が生えていて、たまに登場する勉三さん。たしか浪人生だった気がする。調べれば分かるんだけど調べない。
ネーミングも訳がわからない。
製作者はどう考えたんだ?
「近所に住む浪人生を登場させよう、うーん、名前は何がいいかな、そうだ、勉三さんにしよう!」
いや、どういう発想?
とは言え、現実世界で、無精髭でメガネをかけている人柄のいい人を見かけたら「勉三さんみたいですね」と言えば、100%ウケると確信をもって言える絶妙なネーミングでもある。
[3]曲が切ない
キテレツ大百科の主題歌といえば『お料理行進曲』だ。曲通りに工程を踏めばコロッケが出来上がるという、訳の分からなさ。
が、このアニメ、その他の曲がなぜか切ないものばかりで、かつ恋愛関係の曲が多い。
『はじめてのチュウ』『Happy Birthday』『メリーはただのともだち』『お嫁さんになってあげないぞ』と挙げだしたらキリがない。聴くたんびに涙腺を刺激してくるような、哀愁漂うメロディが多い。あれはなぜなんだ。
もう、Youtubeのリンクを貼ることもしない。各自で是非調べてみてほしい。私のオススメは『Happy Birthday』である。あれは切ない。
[4]いつ見ていたのか思い出せない
この記事で一番言いたかったのはこれだ。
キテレツ大百科であるが、私はおそらく子ども時代に見ていたはずだ。なのだが、このアニメをいつ見ていたのか思い出せない。何曜日の何時だったのかも分からないのだ。
ちびまる子ちゃんやサザエさんは分かる。日曜日の夕方、家族でご飯を食べながらだ。ドラえもんもクレヨンしんちゃんも分かる。コナンも犬夜叉も分かる。
ただ、キテレツ大百科に関しては、いつ見ていたのか全く思い出せない。まさに奇妙奇天烈。
リアルタイムで見ていたのか、再放送を見ていたのかも分からない。特に記憶に残っているエピソードもない。にも関わらず、なんか頭から離れない。それがキテレツ大百科。
おそらくなのだが、この記事をご覧になっている方の大半が、キテレツ大百科をいつ見ていたのか分からない、という不可思議な現象が起きているのではないか。
で、私は思う。
『キテレツ大百科』は、創作のある種の
到達点ではないか?
この作品は、詳細を覚えていなくたって、なんか記憶に残っているのだ。不思議な魅力がこの作品にはある。
記事を書いている私たちは、どなたかになんらかの気づきを与えたい、と思ってしまう。役に立つこと、タメになることを発信して、影響力を持ちたいと誰もが願っている。もれなく私もそうだ。
が、キテレツ大百科は、正直、毒にも薬にもならない。ならないのになぜだか記憶には残っている。キャラクターの名前もこうして出てくる。
文章を書くということにおいて、頭を抱えて悩む方はそれほど多くはないと思う。が、もし今、そういった創作の壁みたいなものにぶち当たっている方がいたとしたら。
ぜひ、キテレツ大百科を思い出してほしい。
隣にコロ助がいたとしたら、
こう言ってくれそうだ。
「そんな難しいことは考える必要ないナリよ〜」
いつも心にコロ助だ。
…なんなん、この記事。
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<あとがき>
この記事は、私の記憶の断片を拾い集めて書いたので、もしかすると設定に間違いがありそうな気がします。まさか藤子・F・不二雄も現代でこの作品がこんな解釈をされている、とは夢にも思っていないでしょう。創作とはそんなものなのです。と、いっぱしの創作者ぶったくらいにしてこの記事を終わりましょう。今日もありがとうございました。
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