きだ

寺社巡り、仏像、石仏、先祖調査、読書が趣味。東北地方の寺社・史跡などを紹介しています。 他にも、山伏の祖父から聞いた不思議な話を綴っていきます(話題を仕入れ次第更新するため、更新は不定期です)。

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寺社巡り、仏像、石仏、先祖調査、読書が趣味。東北地方の寺社・史跡などを紹介しています。 他にも、山伏の祖父から聞いた不思議な話を綴っていきます(話題を仕入れ次第更新するため、更新は不定期です)。

マガジン

  • みちのくの仏像

    『日本書紀』に東海・東山両道の奥という意味で「道奥(みちのおく)」と読まれた東北地方。古代から辺境の地とされていたこの地には、京都や奈良の仏像とはまた違った特徴をもつ優れた仏像が多く遺されています。東北の地に伝わる、「みちのくの仏像」たちを紹介していきます。

  • みちのく寺社巡り

    東北地方各地の寺社を巡った記録です。 多くの参拝客が訪れる寺社から、地元の方々に大切に守られてきた小さな寺社まで、幅広く掲載していきます。

  • 磐座を訪ねて

    磐座(いわくら)とは、神道において神が宿る石とされ、現在も神域として全国各地で祀られており、信仰の対象となっている。磐座は、古くは神道成立以前のアニミズムから、神は山・樹木・石などに宿ると考えられ、神聖視された。磐座を求め、時には山奥へもわけいる。今も祀られる磐座を訪ね歩いた、磐座探訪の記録。

  • 石仏を訪ねて

    石で作られた仏様、石仏。時の有力者が作らせた仏像と異なり、石仏は記録に残らない民衆の手によるものが多く、そこには当時の人々の祈りが込められている。 日本全国に残る石仏を訪ね歩き、その魅力を紹介していく。

  • 奥州三十三観音巡礼

    岩手・宮城・福島3県に札所がある観音霊場、奥州三十三観音巡礼の記録です。 これから巡礼を考えている方の道しるべになるような内容を心がけています。 観音霊場が三十三番あるのは、人生で遭遇する苦難、災難、悩みに対し、観世音菩薩が33通りの姿に姿に化身して救うという観世音菩薩三十三変化に由来するとされています。 奥州における観音信仰は、平安時代の人物である坂上田村麻呂と慈覚大師円仁による布教の影響が大きく、奥州三十三観音霊場のほとんどの観音堂は両者の開創によるものといわれています。 奥州三十三観音霊場は、平安時代末期に、現在の宮城県名取市にいた老女・旭が、篤く信仰する熊野の神のお告げを受け、西国三十三観音霊場にならい、観音霊場を定めたことに始まるといいます。旭が創設した札所は、江戸時代には衰退し、現在の札所は、1761年に、第30番札所補陀寺の智膏和尚ら7人の僧たちによって定められたものです。

最近の記事

妙見山黒石寺~貞観の薬師如来~

黒石寺について仏像を求めて岩手県奥州市にある黒石寺(こくせきじ)に向かった。黒石寺には多くの仏像が祀られているが、今回のお目当ては国指定重要文化財になっている薬師如来坐像である。 なお、黒石寺の仏像を拝観するためには、事前予約が必要となる。詳細は黒石寺さんのホームページ(下記URL)を参照いただきたい。 http://kokusekiji.sakura.ne.jp/wp/ 黒石寺は天台宗の寺院で、山号は妙見山(みょうけんざん)という。天平元(729)年に行基による開基

¥150
    • たにし観音(十一面観音立像)

      秋田県湯沢市山田の土沢集落には、たにしに守られ焼失を免れたという伝説をもつ十一面観音像、通称「たにし観音」がある。 伝説によると、天正15(1587)年に兵火にあった際、境内の池に住むたにしがびっしりと覆って観音様を火災から守ったといい、「たにし観音」と呼ばれるようになった。 境内の池には今でもたにしが住んでいるが、これ以降、土沢集落の人々はたにしを食べないそうだ。 拝観には事前予約が必要とのことで、管理者の方と事前に拝観日時を調整し、いざ現地へ。 普段は天気に恵まれ

      • 藤島八色木薬師堂~鳥海山を背にして建つ神仏習合の御堂~

        山形県鶴岡市八色木にある藤島八色木薬師堂は、鳥海山の神(大物忌神)を仏の姿(薬師如来)として祀る神仏習合の御堂で、近在の人々が遠くの鳥海山をお参りするための場所です。 令和4年が寅年の御縁年に当たり、それを記念し、薬師堂建立336年目にして本尊薬師如来の初の一般開帳が行われるとのことで、参拝してきました(令和4年10月17日まで、毎月8、12、17日に御開帳。詳細はこちら。)。 薬師堂近くの八栄島公民館に車を停め、5分ほど歩くと薬師堂に着きます。道中はところどころに看板が

        • 宇那禰神社~桓武天皇を祀る古社~

          今回は、宮城県仙台市青葉区芋沢にある宇那禰神社(うなねじんじゃ)です。 宇那禰神社の創建年代は不明ですが、国分氏の重臣である郷六大膳孫九郎宗治の氏神として尊崇されていたと伝わります。祭神は桓武天皇で、天照皇大神・月夜見尊・軻遇土命・雷神・素盞嗚尊・菅原道真公を配祀しています。 神社には6枚の棟札が残されており、そのなかで一番古いのは福徳元(1490)年のものであることから、室町以来の古社であることが明らかになっています。 駐車場から随身門をくぐり境内へ。御神木の大杉があ

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        • みちのくの仏像
          5本
        • みちのく寺社巡り
          13本
        • 磐座を訪ねて
          5本
        • 石仏を訪ねて
          9本
        • 奥州三十三観音巡礼
          33本
        • 山伏の祖父から聞いた話
          7本

        記事

          中野不動尊(中野山大正寺)

          今回は福島県福島市にある中野不動尊(中野山大正寺)です。秘仏である大日如来像の20年に1度の御開帳に合わせて参拝しました(開催期間:令和2年4月28日~11月30日)。 「中野のお不動さま」として親しまれており、福島県有数の参拝数を誇ります。また、日本三大不動尊の一つにも数えられます。 開山は、治承3(1179)年、恵明道人が1匹のカモシカに導かれ当地に入山したことに始まり、未踏の地であった中野の山中に人々により洞窟が長きに渡り掘られ、各施設が建立され寺院として整備されて

          中野不動尊(中野山大正寺)

          小松寺木造千手観音坐像〜行政庁舎で見る仏像〜

          仏像が見られる行政庁舎宮城県大崎市にある大崎市田尻総合支所は、国指定重要文化財の仏像を見学できる観覧室を備えた全国初の行政庁舎である。 令和元年12月に完成した庁舎には、世界農業遺産「大崎耕土」やラムサール条約湿地「蕪栗沼・周辺水田」、田尻地域の文化財を紹介する田尻歴史展示室、情報発信室が設けられ、田尻歴史展示室の奥に仏像の観覧室がある。 田尻総合支所に収蔵されているのは、木造千手観音坐像とそれに附属する形で重要文化財指定を受けた木造不動明王・毘沙門天立像である。 こ

          小松寺木造千手観音坐像〜行政庁舎で見る仏像〜

          鶴布山珍蔵寺~民話の里の古刹~

          山形県南部に位置する南陽市漆山という地域は、罠にかかっていた鶴を助けた若者へ助けられた鶴が人の姿になって恩返しに来るという「鶴の恩返し」伝説がある地域です。 地域には今も「鶴巻田」、「羽付」、「織機川」など、「鶴の恩返し」伝説に由来する地名が残されています。また、鶴の羽で織った織物を寺の宝物としたと伝えられる寺院もあり、それが、今回ご紹介する鶴布山珍蔵寺(かくふざんちんぞうじ)です。 珍蔵寺は、寛正元(1460)年に極堂宗三和尚(輪王寺二世)による開山で、山名の「鶴布」は

          鶴布山珍蔵寺~民話の里の古刹~

          松高山大聖寺~日本三文殊、亀岡文殊~

          山形県高畠町に日本三文殊のひとつ、亀岡文殊があります(ほか2つは奈良県桜井市の安倍文殊院、京都府宮津市の智恩寺(切戸の文殊)です。)。 亀岡文殊は、松高山大聖寺(しょうこうざんだいしょうじ)という真言宗智山派の寺院で、大同2(807)年に徳一上人が、平城天皇の勅命を受けて、中国五台山より伝来した文殊菩薩を祀ったのが始まりと伝えられています。 本尊の文殊菩薩は知恵を司る仏様であるため、学校関係者や受験生が県内外から参拝に訪れるそうです。 駐車場へは山門の横を上っていきます

          松高山大聖寺~日本三文殊、亀岡文殊~

          羽黒山荒澤寺正善院黄金堂~出羽三山立体曼荼羅~

          出羽三山とは出羽三山とは、山形県のほぼ中央部に位置する月山(がっさん)・羽黒山(はぐろさん)・湯殿山(ゆどのさん)の総称で、羽黒派修験道の霊場である。戦国期までは月山・羽黒山・葉山をいい、一時期は葉山の代わりに鳥海山(ちょうかいさん)が含まれていた時期もあったが、江戸期になると、葉山に代わり湯殿山が加わった。 飛鳥時代の天皇である崇峻(すしゅん)天皇の皇子である能除太子(蜂子皇子)が開山したとされる羽黒山では、平安後期には修験教団が成立していたと考えられており、明治時代まで

          羽黒山荒澤寺正善院黄金堂~出羽三山立体曼荼羅~

          宇岐須神社~伊達軍と戦った道祖神~

          宮城県加美郡加美町にある宇岐須神社(うきすじんじゃ)は、延暦年間に坂上田村麻呂による創祀と伝えられます。 久奈斗神を祭神とし、五社の宮・六所明神・浮州明神とも称されました。 久奈斗神(岐神)は、道の分岐点で旅人の道中安全をはかる神で、サエノカミ(塞ノ神)と同様に道祖神として信仰を集めました。 また、『延喜式』道饗(みちあえ)祭(陰暦6月15日に、邪気の入らぬよう京の都の四方の路上に供物をする祭)の祝詞の中で、 禍(魔物)を塞ぐ神として登場します。 余談となりますが、東

          宇岐須神社~伊達軍と戦った道祖神~

          石神山精神社

          今回は、宮城県黒川郡大和町にある石神山精神社(いしがみやまずみじんじゃ)の磐座を紹介したい。 神社の創建年代は不明だが、桓武天皇の時代に、官社に為すとの記録が見える(『続日本紀』延暦9(790)年11月25日条)ことから、かなり古い歴史があることが伺える。 『延喜式』神名帳に記載された黒川郡4社のうちの1社で、磐座を御神体とする延喜式内社である。大山祇神・事代主神・大歳神を祭神としている。 神社の駐車場はないが、付近の麓上公民館に駐車し、参拝する。 神社へ行く途中には

          石神山精神社

          飛不動尊~空飛ぶお不動さま~

          宮城県南部の白石市から、山形県高畠町に抜ける国道113号線を通ると、「飛不動尊」という看板が目に留まる。 山形県に向かう際に何度も目にしていたものの、山中にあるようでなかなか足を延ばせずにいたが、萬蔵稲荷神社の参拝の帰路、行ってみることに。 飛不動尊は、地元の信仰が厚い場所の様で、道中には寄進された看板がたくさんあり、どんどん山奥に入っていくことに一抹の不安を感じながらも、迷わずたどり着くことができた。 山中にも関わらず、広い駐車場とトイレも整備されていた。 正直、山

          飛不動尊~空飛ぶお不動さま~

          高田山保昌寺~奥州藤原氏ゆかりの丈六仏~

          保昌寺と奥州藤原氏ゆかりの丈六仏宮城県刈田郡蔵王町。ここは樹氷が有名な蔵王山の麓にある町である。 この町にある保昌寺(ほうしょうじ)というお寺に、平安時代後期に東北の地に君臨した奥州藤原氏ゆかりの丈六阿弥陀如来坐像がある。 保昌寺は、曹洞宗の寺院で山号は高田山といい、享禄3(1530)年、伊達家家臣であった高野家の菩提寺として米沢(山形県米沢市)に建立され、伊達家が仙台城(宮城県仙台市)に移った後の慶長7(1602)年、高野家が平沢城(宮城県刈田郡蔵王町)に移封されるのに

          高田山保昌寺~奥州藤原氏ゆかりの丈六仏~

          桙衝神社~祭祀遺跡の磐座~

          福島県須賀川市に、桙衝(ほこつき)神社という延喜式内社がある。 この神社は、磐座一帯が古墳時代の祭祀遺跡で、須賀川市の文化財に指定されているという。期待に胸を膨らませ、桙衝神社へ向かった。 桙衝神社は、祭神に武甕槌神と日本武尊を祀り、『延喜式』神名帳に「磐瀬郡一座桙衝神社」と記載のある延喜式内社である。武甕槌神を祀ることから、中世からは鹿島神宮と呼ばれていたが、明治3年に社名を桙衝神社に改称したという。 社伝によると、養老2(712)年に常陸国(現在の茨城県)に土着して

          桙衝神社~祭祀遺跡の磐座~

          岩倉神社

          今回は、宮城県気仙沼市本吉町にある岩倉神社を訪ねた。標高293mの岩倉山中腹に鎮座するこの神社は、『延喜式』神名帳にある桃生郡6座のうちの1社、石神社の論社となっている。 創建年代は不明だが、社伝によると、景行天皇(第12代天皇)の時代、日本武尊東征の際に勧請されたという。また、一説には、大伴武彦が海陸鎮護のため、桃生郡方浜(気仙沼市松崎片浜か)に勧請し、方浜の鎮守となり、後に岩倉山に遷座したとも伝わる。いずれにしろ、1000年以上の由緒をもつことになる。 岩倉神社は、天

          岩倉神社

          斗瑩稲荷神社・表刀神社

          国道4号線を通るたびに気になっていた神社へ。 今回は、宮城県大崎市古川に鎮座する斗瑩稲荷神社(とけいいなりじんじゃ)とその兼務社である表刀神社(うえとのじんじゃ)を参拝した。 斗瑩稲荷神社には、源義経に仕えた白狐の伝説が残されているほか、幕末の剣聖・千葉周作生い立ちの地として、「とっけさま」の愛称で親しまれている。 また、表刀神社は延喜式神名帳にも記載がある古社である。 斗瑩稲荷神社斗瑩稲荷神社は大崎市古川荒谷に鎮座する神社で、宇迦之御魂大神、豊受比売大神、武甕槌命を祭

          斗瑩稲荷神社・表刀神社