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自分には負けず嫌いになろうよ

どうでもいいことかもしれませんが、個人的には先月のつぶやきだけで終わってしまった一日を悔いています。

まさかのワクチン接種1回目からの副作用で、テキスト投稿が出来なかったことが、実はジワジワと後悔にも近い感覚で、今もなお、心の中に残っています。

競争相手が他人から徐々に自分へと変化している状況で、より強く感じる、この自分への感情…。

今回は勝敗ではなく、己に克ちたいというマインドについて書いていこうと思います。

最後までお付き合いいただけると幸いです。

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あの…今回は主観が強くなりそうなので、読んでくださる方は「そんな意見もあるのだな(*'▽')」と見守っていただけると嬉しいです。

さて、さっそく個人的な主観なのですが、競争相手について考えるようになり、最近になって他人と競うことをオススメしない自分なりの理由が見つかりました。

一般社会で他人と競うこと、それは100%自分の力を出し切っていない状態なのだと思います。

他人の動向を観られるくらいは余力があるということですね。

…こういった表現をすると、語弊が生まれそうなので断っておきますが、他人と競うことも大切です。

どうにもスタートが切れないときや挫けそうなときは、他人の存在を、ある意味では利用してでも前に進む必要性があります。

…これは考え方と用い方だと思うのです。

反対に、自分と競う状態は、悪く言えば周りが見えなくなります。

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良い意味でも用いる言葉でしょうが、周りが見えない状態は変化に対応が遅れるので、突如目の前に現れた障害に、自らを制御できず衝突する可能性も示唆しています。

それでも、自分と競うことは、100%の自分と向き合う瞬間でもあるので、内なる自分との対話を図れる数少ないチャンスでもあります。

ここで言うチャンスとは、驚異的な成長をもたらす機会のことです。

例えば、何かの学問を学ぶ時、成長スピードが飛躍的に増すのは3つのケースだと私は考えています。

一つは学習を始めたばかりの時期です。

知らないことを知ることはフロー状態になりやすいので、知識を吸収する喜びで大きく成長します。

二つ目は行き詰まった状態からのブレイクスルーを果たしたときです。

学生時代にどうしても解けない問題の解法に辿り着いたとき、気分が高揚する経験をされた方もいるのではないでしょうか?

そして、最後は学問領域の境界を垣間見た瞬間です。

よくビジネスでも、最初に大枠を捉えることが肝要だと言われます。

要するに、ゴールが見えれば走り切れるということです。

取りこぼしのリスクを抱えるケースでもありますが、留意すれば周辺知識まで手中に収めることができるでしょう。

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そもそも論ですが、自分に負けたくないと思うには、ネガティブな側面を上手にエネルギーに変換する必要があると考えています。

個人的な意見ですが、自分に克つには「ダメな自分」という存在がなければ成立しないのではないでしょうか?

自分の至らない部分を正確に捉えるには、前向きではなく、卑屈なまでの自己否定の姿勢が不可欠だと思うのです。

陰陽論で説かれているように、自分の陰と陽の存在を受け容れなければ、ありのままの自分を認識できません。

【陰陽論】
古代中国で成立した自然哲学の基礎概念。易の原型の思想。太極から生まれた陰と陽の相対する要素から、森羅万象をあらわす。陰には「女性的」「従順」「止まる」「日陰」、陽には「男性的」「剛健」「動く」「日向」などの意味合いがある。
(コトバンクより)

そして、ありのままの自分を認識できなければ、何を以って自分に克つのかの基準が不明瞭なままです。

そう考えると、自分に克つとは、「ネガティブ=陰」に引っ張られることだけでなく、「ポジティブ=陽」に引きずられることも、あってはならない状態だと示しているのかも知れませんね。

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今回、またしてもワクチン接種の翌日ということで、前回の二の轍は踏みたくない(>_<)、との想いから、このような内容でお届けしました。

発熱はないものの、肩の腫れとだるさがあります。

…出社したけど(笑)。

私にとって、noteへの投稿は思った以上に意味のあるモノなのかもしれません。

ある日突然、「もういいかな…」といってお風呂に入らなくなったり、歯を磨かなくなことってないですよね⁉

おそらく、それに近い感覚が、すでに根付いているのだと思います。

ですから、つぶやきだけで終わってしまった日のことは、手を抜いてしまったと感じるのだと思うのです。

…もちろん、これは私個人の感情であって、あなたにはあなたに合ったnoteとの向き合い方があると思います。

しかし、惰性で終わらせてしまうことは、もしかしたら他の行為においても自分に負ける言い訳を作る引き金になってしまう危険性もあるのかもしれません。

ちょっと最後に重めの言葉になってしまいましたが、楽しむ気持ちは必須ですよね(・∀・)。

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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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