「試行」と「挑戦」(; ・`д・´)キリッ‼
基本的には「タイトルは一行にまとめたい派」なので、どうしても漢字を多用しがちですが、難しい話ではありません(笑)。
皆さんは、「試行」と「挑戦」と聞いて、どう説明しますか?
言葉にはできなくても、イメージとして「なんとなく違う気がする(・ω・)」といった感じで全然OKです。
最近よく思うのですが、こうやって誰かに質問をされた時、私を含めて多くの方が「(あるはずのない)正解」を答えようとしてしまうのではないでしょうか?
ですから、他愛のない話でも、「人になにかを質問されるのが苦手」という方は、もしかしたら、この傾向が強いのかもしれませんね。
個人的な意見ですが、会社などでは「正解」を求めてくる上司とかいると思いますが、一般的な対話においては、そこは重要ではないと感じています。
もっと楽に、ありのままの気持ちを伝えることが大切で、「上手に話そう」とか「オチをつけなきゃ」といったことは、とりあえずは考えなくていいのではないのでしょうか?
そもそも「正解」って何でしょうね?
相手に合わせることよりも、自分の気持ちを素直に伝えることが「(ある意味で)正解」だと、私は思います。
まあ、そうは言っても「私、あなたのことが嫌いです」とか言ってしまうとカドが立ってしまうので(笑)、そこは少し「言い方に気をつける」意識は必要ですよね( ̄▽ ̄;)アハ。
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えーと、話を戻します(;^-^)。
「試行」と「挑戦」、この二つを区別できると、少し「新しいことへの取り組み」をする際、ハードルが下がると思っています。
逆に言えば、混同してしまうと、始める前から、ご自身でハードルを上げてしまって「なにかしなきゃと思うんだけど、始められない…orz」といった状況になってしまうのではないでしょうか?
「試行=お試し期間」
最近では「時間は有限だから無駄にしてはいけない」という風潮が強いですよね。これは私も賛同します。
ですが反対に、これが「新しいことへの挑戦」へのハードルを上げている大きな要因の一つだとも感じています。
そもそも「無駄」って何でしょうね?
誰かが無駄だと思ったことは、すべての人にとっての無駄なのでしょうか?私は違うと思います。「試行」の段階での「時間」は無駄ではないと思っています。
例えば、現実として「急いで目的地に向かいたい人」にとって、「その場で足踏み」することは無駄です。ですが「ダイエットしたい人」にとってはカロリー消費行動なので、必ずしも無駄ではありませんよね?
このように、まずはご自身で「試行=試す」期間というのは、とても大切な時間だと思うので、ここを無駄だというのは、違う気がするのです。
…んー、例えが悪いですが、他に思いつきませんでしたm(__)m。
「挑戦=困難なことに挑む」
「お試し期間」に十分な時間を使うことができると、この「挑戦」の段階は、グッと取っつきやすくなると思います。
「試行」は、準備運動のようなものです。
運動不足の人が、いきなりフルマラソンに「挑戦」するのは、「無謀」だと思いませんか?
よく聞く「無謀と挑戦は違う」というやつですね(*‘ω‘ *)。
「試行」の段階を経ることで、「挑戦」は「無謀」ではなくなります。
以前、私はよく「無謀な行動」をしていました(笑)。それは「試行」せずに「出来ると過信=無謀」した結果でした。これって、実は皆さんも結構やりがちじゃないですか?
「困難なことに挑む」には、準備が必要ですよね?
そして、準備が整っているのなら、「挑戦」へのハードルが下がりそうですよね(^-^)。
もっとも、「挑戦」のハードルは下がっても「継続」という新たな関門があるのですが(笑)、それはまた別の話ということで…。
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いかがだったでしょうか?
まとめとしては、「挑戦には試行という段階が必要」だということを、お伝えしました。
私も今、試行段階のモノがいくつかあります。その中から幾つのモノに挑戦するかは分かりませんが、「新しいことを始める」ことへの抵抗感は、ものすごく少ないです。
皆さんも、もし何か、新しいことに「挑戦」したいとお考えの際は、「試行」についても意識されてみてはいかがでしょうか?
ということで、今回の投稿は以上です。
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