( ゚Д゚)…押すな押すな‼的な話
あまりテレビは見ませんが、お笑い芸人さんがたまにやっている、この「押すな押すな‼=押せ‼」という構図。
ちょっと分かる気がしたエピソードをご紹介します。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
…最初にちょっと余談ですが、新しい職場で半月が経過しました。
開業したばかりの会社なので、早くも残業を仰せつかるような忙しさに身を委ねる毎日です。
私は基本的に働くのは好きなので、ついつい帰ってからも作業したくなってしまうタイプなのですが、すでに数回「無理はしないように」と注意勧告を受けています(笑)。
働くのがあまり好きではない人にとって「働くのが好き」というのは、変態だと思うかもしれませんが、人間関係さえストレスの少ない環境なら、おそらくは労働自体が嫌いという人もあまりいないように思います。
…このような言い回しをすると「働きたくない人、そこそこいると思う」という反論が脳裏によぎる方もいると思います。
この反発したくなる気持ちって、ときに快感になりませんか?
…え?(;゚Д゚)…それこそ変態ですか?(笑)
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秘密保持に関する誓約書
一般的な企業では就労規則に加え、顧客などの個人情報の流出や社内秘の口外を防ぐために、業務上知り得た情報に対して、秘密保持誓約書を雇用主を労働者の間で交わすことと思います。
かく言う私も誓約書にサインをしたのですが、実は前職では就労規則も秘密保持に関する誓約書もありませんでした。
だからと言って、ベラベラと情報を流出させる気はありませんが、誓約書1枚の存在の有無で、心理的な拘束力に変化が生じることに、今さらながら気づきました。
誓約書がない状態では、情報の管理は個人の裁量に委ねられます。
誓約書がないことをいいことに、情報を駄々洩れにさせるリテラシーの低い方もいるかもしれませんが、多くの方は、この自由な状態に不自由さを感じるのではないでしょうか?
倫理観や道徳観…つまりは、自発的に自分を監視する状態を作りだし、意外と守秘義務を守るのではないか?と思うのです。
社会で生活している以上、悪い人というレッテルを自ら獲得したがる人間は少ないということです。
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逆らいたくなる欲求
一方、誓約書を交わすと、今度は不自由さから自由を求めるようになり、背信行為に及ぶことに快感を抱く方が一定数いるように感じます。
これは犯罪心理学の分野になると思うのですが、背徳的行為のように、社会的倫理から逸脱する行為というのは、人体に大きなストレスを与えます。
「では、なぜ自らストレスを抱える行為に及ぶのか?」
それは、自らストレス抱えるということは、自分の意志でストレスからの解放が可能であり、そこに快楽を感じるというメカニズムが作用しているからだと思います。
例えば、ジェットコースターが好きな方や、ホラー映画が好きな方も、一括りにして申し訳ないのですが、ストレスからの解放感に快楽を感じるという点では同じだと個人的に思っています。
…これは、ジェットコースターやホラー映画が好きな方は犯罪者に近い心理状態だということでは断じてなく、人間なら誰もが備えている性質だということです。
だからこそ、お笑い芸人さんの「押すな押すな‼」のベタな前フリに押して応えることが、分かっていても面白い=快感に感じるのではないでしょうか?
誓約書を交わすことも同じで「制限を受ける=ストレス」の状態から解放されたくて、ついSNSなどで炎上してしまう方がいるのも、個人的には分からなくはない心理だったりします。
…もっとも、私は炎上したくないですし、やりませんよ(;´・ω・)。
(・∀・)…ええ、やりませんとも…(意味深w)
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今回お伝えしたいと思ったコトは「反動と解放」です。
秘密保持誓約書があってもなくても、人として守るべき倫理からは逸脱してはいけません。
それよりも、冒頭の「働くのが好き」という感情も、自らストレスを抱え、解放するという点で、これまた人間なら誰でも備えている性質だと思いませんか?という話なのです。
そうであるならば、人間にとって労働とは快楽を得るものであると考えることができますし、企業の経営者が社長職を退き、会長職などという役職を用意してまで働く生理的な理由は、ストレスとの付き合い方の中にあるのだと思います。
ストレスは必ずしも敵ではないのではないでしょうか?
…ということで、今回の投稿は以上にしたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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