舌切り雀( ゚Д゚)チュチュン
皆さんは「舌切り雀」というおとぎ話をご存知でしょうか?
細かな内容についてはあやふやでも、「大きな葛籠と小さな葛籠」と聞けば、何となくはご理解いただけるでしょうか?
ちなみに「葛籠=つづら」です(・ω・)。
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私は時折、Amazonなどで買い物をするのですが、たまにこちらの予想を超える大きさの段ボールが届くことがあります。
そんなとき、よく、この「舌切り雀」の葛籠の話を思い出します。
「(;´・ω・)…大きな葛籠っぽいけど、大丈夫やろか?」
…大丈夫じゃない状態とは何だろう?と自問自答 (/・ω・)/トーゥ。
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「大きいと高価」っぽく感じるのって、何でなんでしょうね?
余談ですが、昔「上棟式(新築祝いに餅や菓子をバラまくやつ)」で、大の大人が入れる大きさの段ボールが5つほど届いたことがあるのですが、あれって量のわりに安価だったりしました。
逆に、腕時計とかを購入すると、小さい箱でも、とんでもなく高価だったりするわけです。…まあ、そんな高級腕時計は持っていませんが(笑)。
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「舌切り雀」の話は、現代でいうところの「メラビアンの法則」や「人は見た目が9割」といった話とリンクすると思います。
すなわち「バイアス=偏り・偏見・思い込み」ですね。
意地悪なお婆さんが「大きい葛籠の方が小さい葛籠より、金銀財宝がたくさん詰まっているに違いない!」と思った心理というのは、私を含めて、多くの方に対しての注意喚起のような気がします。
「大きい=小さいより優れている」…大きさと優劣は相関関係にはないですよね。
似たような事例として、
「高価=安価より絶対的な価値がある」…安価でも価値のあるモノもありますよね(無償でもかけがえのないモノもあります)。
「社会的地位(肩書)がある=社会的地位こそが人としてのヒエラルキー」…それだけが本当に人としての価値だというのなら家庭を支える方々等を侮辱しすぎです。
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書きながら思い出したのですが、皆さんは「一休さん」をご存知ですか?
私と同世代の方は、幼少期にアニメで見知った方も多いでしょう。
この一休和尚、数々の面白いエピソードがあるのですが、今回は「一休和尚と門番」という逸話をざっくりと紹介します。
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京都の富豪の家から法要への出席を頼まれた一休和尚。前日にその家の前を通りかかったついでに、立ち寄ろうとします。
すると、その家の門番の男は立ち寄ることを拒むのです。
門番は一休和尚の顔を知りませんし、その時の一休和尚の格好がみすぼらしい姿だったので、「乞食坊主」だと思ったのです。
「お前のような奴が、この家のご主人と知り合いのはずがない。」そういって、門番の男は一休和尚を追い返すわけです。
翌日、一休和尚は、昨日とは打って変わって、紫の法衣を身にまとい、お弟子を連れて門前に立つのです。昨日の門番も、神妙に頭をさげて迎えたのです(門番は一休和尚の顔すら覚えていなかったw)。
家に招かれた一休和尚、家の主に昨日の顛末を話します。当然、主は平身低頭、無礼を詫びるのですが、一休和尚は、おもむろに着ていた法衣を脱ぎ捨て、このように言います。
「この私(一休)には、なんの価値もない。紫の法衣に価値があるのでしょうから、この法衣にお経を読んでもらったらよいでしょう。」
そう言うと、一休和尚はサッサと帰ってしまったのです。
中身のない僧侶が紫の衣で着飾って、権勢を誇っている。
このようなことを嫌って、一休和尚は「身なりなんかで、人間の価値がわかるものではないのだから、人は決して身なりで判断してはならない」と教えたんだと思います。
深いですねぇ( 一一)。
何の話か分からなくなりましたが、キリがいいので(本文1500文字w)、今回の投稿は以上です。