盲目の窓
今回のタイトルは、知っている方も多いかもしれませんが、「ジョハリの窓」から取ってます。
下図にあるのが「ジョハリの窓」です。複数名の初対面者がいるMTGなどでは、アイスブレイクにも使えそうです。
「ハロー効果」なんて言葉もありますが、「人の勘」というのは、案外バカにできないもので、初見のイメージは、相手の特徴をよく捉えていたりします。
(図は下記のサイトからお借りしました。)
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さて、つい先日、受講している講座で、「自分史」というモノを作成しました。これは、自分の幼少期からの「スキだったこと」や「影響を受けたモノ」、「失敗した出来事」などを時系列に書いていくものです。
私にとって「過去」とは「黒歴史」と言っていいほど、実は思い出したくないものなんです。
社会人になってから、「もう挫折しかない」ってくらい長くて暗いトンネルを歩んだ日々がありまして、個人的には消化しきっているのですが、人に曝け出すのには、些か抵抗があったりします。
まあ、課題ですから、書き出しましたがね(笑)。
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以前の投稿に書いた記憶もありますが、人間の性格の一部は、大人になってからでも変えられます。(性格の「ビッグファイブ」で検索←多分w)
私は、挫折等の経験から、「違う自分」になろうとしてきたんだと思います。文字通り「生まれ変わり」のつもりで。
ですが、この「自分史」を用いて、講座内で3人組になってグループワークを行った時、「自分では気づいてなかった自分像」に気づくことがありました。
ワーク中、危惧していた過去の部分については触れることがなかった(ワークでは社会に出る手前の「自分史」から、聞き手が感じたコトをフィードバックするというものでした)という意味では、ホッとしました。
詳細は割愛しますが、私の「自分史」を聞いていてくださった方のフィードバックにこんなモノがありました。
「過去の話を聴かせていただいて、今の市川さんと繋がる部分を感じました」
…え?そうなん?(;゚Д゚)w
自分では、過去の自分を嫌悪し、「違う自分」を形成してきたつもりでいたのですが、そうではなかったのだと、この時、自分でもハッと気がつきました。
「そうだった…私がなろうとしていたのは、全く違う人格ではなく、自分の長所を伸ばすことだったのか…」
幼少期の私は、クラス委員などのリーダーシップを発揮する立場も多く経験したし、好奇心が旺盛で、失敗を恐れる前に行動していたこともありました。
他にも、芋づる式に封じ込めていた記憶があふれ出し、自分が再構築される感覚でした。
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大人になるにつれ「自分は一人でも生きていける」と思うこともあるでしょう。それは、ある意味では間違ってはいないと思います。
ですが、他の誰かと触れたとき、「一人では知ることのできない領域」に触れることができるのです。
ときにそれは、マイナスの領域である可能性もあります。そんなことが続いたら、他人と触れるのが怖いと思うこともあるでしょう。
それでも、この「一人では知ることのできない領域」を知ることは、自分の成長に欠かせない大切な領域なのかもしれません。
みなさんも、ご自身の「盲目の窓」を誰かと覗いてみませんか?
ということで、今回の投稿は以上です。
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