Pinterestで見つけた線だけで石の形や力の流れ・柔らかさまで表現されてた線画を見て、「こんな風に描けるようになりたい」と思って真似てみた石積みの絵。 一本一本の線がまだ全然汚くて、線と線の間隔も具体的には言い表せないけど雑で、カタチや力の流れを読めずに無理矢理隙間埋めで線を入れたところも見て分かる。 実はコレ、一年くらい前に描いた絵で、その時は今ほど辛口じゃなく、むしろ良い出来だと思っていた。 きっと我が子を特別扱いするかのように色眼鏡で見て過大評価してしまってたんだと
仕事には2種類ある。 人がやりたくない事が仕事になるパターンと 人が出来ない事が仕事になるパターン。 当然のながら前者の方が圧倒的に多数で、そして辛い場合が多い。 だからこそ、人が出来ない技術や能力を身につけた方がストレス少なくより幸せな形で日々を過ごせる。
暇って大事だね。 コロナで5日間部屋に監禁となり、急に暇になったら、なかなか考えられなかった夢や目標を見直す事ができて、生きるモチベーションが上がった。 今まで朝早く夜遅く仕事、休みの日も夫・父として休日の過ごし方なので、ゆっくり何かを考える機会がなかったから、暇を作るって大事。
デザインは、何かに合わせようとすればするほど美しくもなくつまらないものになってしまう。それは自分の思想とかけ離れてしまうから。それをこの5年間で身をもって知った。 かと言って、デザインは自己中心的なものでもない。誰かに使ってもらってなんぼのモノ。 いかに自分の思想をブラさずに馴染ませていくか、、その共感力•調和力•取捨選択•バランス力、、の技術無しではデザイナーにはなれないのかも。 そしていかに自分のデザイン思想をブレないものにするかがまず初めにする最重要事項。僕はブレブレの
ブロックとかではなく、自然石をもっと使いたい。 でも、自然石はどんどん取れなくなってきていて、使いにくくなっている。 扱える職人もかなり現象してきている。 もっと環境に配慮しながらも自然石を抵抗なく使える環境はできないだろうか?
朝7時から夜23時までお昼をゆっくり食べる暇もなく分刻みのミッチリガッツリスケジュールで仕事をこなし、待ちに待った3連休! 妻の両親と家族三人で別府旅行へ! 今回は抜かりない。休暇中は一切の連絡も取らなくても大丈夫だろうから、会社ケータイは思い切ってOFFに。そして休暇を堪能しよう! プールで思いっきり遊び、旅館で贅沢な御膳をたらふく食べ、地酒をたらふく呑み、さあ、2回目の露天風呂だ! と、行く前に携帯をチラッと見てみたら、会社の同僚からプライベートLINEに連絡が。 「施
東京湾では6月からタコ釣りが解禁しました。 良型サイズを狙って我先にと高いお金を払って釣船に集まる猛者たち。の中に混じって今年も野心ダダ漏れで今日待ちに待ったタコ釣りに行ってまいりました。 結果ボウズではなかったものの渋い釣果でした。 タコ釣りはエビの形をしたルアー(擬似餌)を海底でチョンチョンさせてタコを誘い、ルアーの上に乗っかったところを引き上げて針に引っ掛けて釣るのですが、海底はゴロゴロした岩場。チョンチョンする糸の感覚だけで見えない海底の様子を探りながら釣るので、
その瞬間瞬間で真っ新な自分になりたい。10秒前の過去に囚われる事なく、その瞬間瞬間を真っ新な頭で物事を捉えたいです。
最近仕事でお付き合いのある方から、ウナギ釣りの写真が送られてきます。 夕暮れになると自転車で近くの川に行き、ハイボールを飲みながらウナギ釣りをしているそうです。釣れたウナギは自分で捌いて七輪で蒲焼きにされてました。 リア充な休日を過ごしてるなー!と、とても羨ましく思い、僕もダメ元で家の近くの川にウナギ居そうか散策してみることにしました。 僕の家の近くの川は、街中でよく見るコンクリートで形造られた幅10mくらいの川で、下流の海近くでは水が濁った緑色、住んでる付近は水の色は
僕の1番の楽しみな休日の過ごし方は、月に一回釣りに行く事です。(最近は行けておらず溜まってます。涙) 釣りの2週間くらい前からソワソワし始めて、空き時間を見つけては釣具をイジイジしている訳ですが、6月から解禁のタコ釣りとなれば手作り仕掛けを作って備えます。 タコを釣るのはエギと言ってエビの形をしたルアーですが、エギの頭上で浮遊させて離れたところにいるタコの注意を引き、エギを見つけやすくする「タコビラ」という道具を作ってより良い釣果を狙う作戦です。 市販の部品を切って繋いでの
4本足は安定してますが、地面が平らでないとガタつきます。 3本足は地面に多少凹凸があってもガタつきはしませんが、力が一方に偏るとバランスを崩してしまいます。 1本足だとどんなにボコボコな地面でもガタつくことはありませんが、両足でずっと支えておかなければなりません。 椅子に安定を求めるように、多くの人は日々の生活やこれからの人生に安定を求めるものです。どんなに突出したどんなに波瀾万丈な生き方をしている人でも、自分の中で安定したカタチを探り、バランスを取りながら自分の道を進んで
「建物の役割は、人間(住民)に自然のよい影響をすべて与える装置として働くことであり、またそれは、人間(住民)を自然や建物がつくり出す環境に現れるすべての悪い影響から保護することである。 …建物もそれが緊密に所属している自然と同様に豊かなニュアンスを持っていなければ、その役割を果たすことができないということも、われわれは認めるべきである。」
40年前に日本の建築界で「物語り性」という言葉が流行ったそうです。物語りこそが大切なものではないか、という意味で語ららたのですが、 高度経済成長期、建築大量生産時代の中身の薄い計画に対抗するような動きでしょうか?この時代にような言葉が流行るとは、思ってもみなかった。
百年単位の遠くにある未来と過去の時間を「今」に引き入れることを問うべきだ。さらに、微細なディティールから建物の姿形、その外に広がる近隣や地域、さらには世界にまで広げてみて、それらをどこまで「ここ」に引き込むことが出来るかを問うべきだ。 内藤廣著『場のちから』 イームズのpowers of tenを思い出した。
虎屋十七代当主の黒川光博氏の言葉。 「伝統とは革新の連続である」 室町時代からの伝統と格式を持つ菓子製造の歴史は、実はその時代に必死に応えようとする姿勢の連続にこそある、ということらしい。 内藤廣著『場のちから』