色メガネに囚われない方法
最近仕事でお付き合いのある方から、ウナギ釣りの写真が送られてきます。
夕暮れになると自転車で近くの川に行き、ハイボールを飲みながらウナギ釣りをしているそうです。釣れたウナギは自分で捌いて七輪で蒲焼きにされてました。
リア充な休日を過ごしてるなー!と、とても羨ましく思い、僕もダメ元で家の近くの川にウナギ居そうか散策してみることにしました。
僕の家の近くの川は、街中でよく見るコンクリートで形造られた幅10mくらいの川で、下流の海近くでは水が濁った緑色、住んでる付近は水の色は濁っては無いですが少しヘドロも溜まってるような感じで、とても自然環境の良いとは言えない川です。
なのであまり期待はせず、ただの散歩のつもりで川沿いを散策しました。
水と歩道の高低差は4・5メートルほどですが、水辺に近づける親水広場や遊歩道が少しあるので、そこに降りてウナギの隠れ家になりそうなところや他に生き物がいないかのぞき込んでみると、カニやドンコなど、意外なほどに生き物が生息しており、観察するのが楽しくなっていました。
いつの間にかドブ川だと思っていたこの環境に惹かれ、生き物やウナギの隠れ家を夢中になって探している自分にハッとした時、今までこの川を歪んだ色メガネで見ていた事に気付きショックを受けました。
僕は山と川と海に囲まれた自然がそこそこ豊かな町で育ち、よく山の中に基地を作ったり、海でタツノオトシゴを取ったりしてました。大学ではランドスケープデザインや生物多様性について学んでいた経験もあり比較的人よりも自然に対しての知識と経験、好奇心はあると自負していました。
だから当然都市の自然環境も興味対象で、都市や街中に自然の豊かな場所をたくさん創りたい!とも思ってました。
そんな過去や想いがあったにも関わらず、、いや、そんなが過去や想いがあったからこそかもしれませんが、このドブ川の自然環境をよく見ずに魅力がない・可能性が無いと決めつけてしまい、自分の専門分野にも関わらず学べる機会・活かせる機会を潰してました。
反省します。。
少々大袈裟な反省かもしれませんが、自分が色メガネをかけて物事を見ているなんて思いもよりませんでした。
色メガネは案外そんなモノなのかもしれません。
いかにクリアでフラットな見方を心がけたとしても、色メガネはいつの間にかそっと鼻の上に掛かっているかもしれません。
それによってこれから起こる問題や進むべき道の判断を間違える事はあり得ます。
色メガネをかけない方法はないかもしれませんが、今回の僕のようにハッとする機会が増えれば増えるほど自分の目をリセットさせる事ができ、判断を誤ってたとしてもすぐ修正を効かせることができるのではないかと思います。
ハッとなって自分の思考を改めるとき、なんとなくいつも浮かぶのが、イームズの映画と森と木のことわざです。
イームズの映画「Powers of ten」は9分の短編映画です。1平方メートルの視野からマクロな視点・ミクロな視点を行ったり来たりすることで物の見え方や大きさが一覧化され、宇宙と素粒子は一つだと思わされるような感覚になります。
森と木のことわざは
「木を見て森を見ず」です。
小さい事に囚われて全体を見通さない例えですが、僕はこれを「木を見て森を見る。森を見て木を見る」と変換してます。
小さい事に注目しながらも全体を考え、全体を見ながら部分を考えるという意味になります。
物事を捉えるとき、どうしても目に写っている状態のモノ、若しくはこれまで経験して培ってきた自分の尺度で判断し捉えていますが、その情報はごく一部でそのモノの本質的な部分ではないかもしれません。
でも先ほどの2つのように多様な見方をし、その意識で物事を捉えることで、そのモノの実態が見えてきます。
今回はかなり長く色メガネに囚われていたようですが、その2つの知識はハッとするための大きな役割を果たしてます。
色メガネを攻略する方法、それは『ハッとする!』そんなお話でした。