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#034_人はいろいろ捨てて出家して僧侶になりますが、名前も捨てます。

人はいろいろいろいろ捨てて出家して僧侶になりますが、名前も捨てます。

名前は人間関係を規定し、規定された人間関係は、他者から見た自分という構造的な自我への依存対象を再生するからです。

赤根彰子先生(「こころのヨーガ」の著者)が、セッションでかならず「自分がだれかということも、いったんわすれてヨガを」と言っていたのをおもいだします。

ヨガセッションではだれかに評価されるということがありません。自分で自分を評価することもなくなります。自分を映す鏡はなく、講師は自分を見ておらず、部屋にはヨガをしている人間しかいない状態。自分が自分であることを手放せる瞬間が訪れたときに、それを受け入れる準備が整っている状態。


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