#197_出家したものは、隣接する他者によるアイデンティティ依存に応じないことを免責され、そうして最終生を静かに生きることが可能になります。
仏教やヨガの教えを生きるということは、自我への執着を含む、ほとんどすべての欲求を手離すことであり、これを実行することで、周囲の人間にも同じように欲求を手離すことを要求する場面が発生します。
たとえば、自我=アイデンティティを手離すことが、そのアイデンティティに依存していた他者を振り切る行為になるようなケースです。
AさんがAさんであるためには、AさんをAさんと認知して、そのことをAさんに対して継続的に発信し、その発信を永続することにコミットする他者であるところのBさんが必要です。
Bさんが自我を手離すとき、Bさんによる認知に依存していたAさんのアイデンティティは強力な支えを失い、宙にさまようことになります。
このときに、仏教やヨガの教えは、Aさんの悟りを急がせないために=今生での悟りを要求しないために、Aさんに輪廻転生の概念を設定し、またBさんに出家の制度を設定します。
出家したものは、そうすることによって、隣接する他者によるアイデンティティ依存に応じないことを免責され、そうして、最終生を静かに生きることが可能になります。