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#021_スワミになる、出家するということは、人間関係に支えられて保たれる自我を手放すという
インドで侵食を共にした僧侶ヴィシュワルーパナンダ師が数年後にトウキョウに来たのでお会いしに行ったときに、ひとつ屋根の下に数ヶ月間暮らした彼は「おお!ひさしぶり!」とはもちろん言わずに、はじめて彼と出会ったときとまったく同じ目でぼくを見たわけですが、スワミになる、出家するということは、人間関係に支えられて保たれる自我を手放すということである。
名前を捨てて、家族を捨てて、周囲の人々に対する愛着と、周囲の人々から受ける愛着とを捨てることで(否定するのではなく、長い時間を経て準備が整ったので放棄することで)、それらに依存することによって初めて成立する、「自我が不要であることに気づき、ただ生きる」フェイズに立つことになります。
自我とはぎっしり身を寄せ合っている風船のようなもので、そのカタチ、その存在のすべてを周囲に依存しており周囲のだれもがさらにその自我をその周囲に依存していて(あるいはキリスト教的な神に依存していて)、そのこと自体ではなくそのことに気づかない状態、しがみつくべきではない自我にしがみつくのが、ぼくらの苦悩の唯一の原因であるとインド思想は教えます。