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2019 日日是好日 「立 」

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#エッセイ

情報は与えられるものか、取りにいくものか。

先日ツイッターにある新聞記事が流れてきた。

元の投稿には、7月23日に発行された朝日新聞の記事とある。7月21日に選挙が行われた参議院議員選挙を受けての投稿だろう。ぼくはこれを読んで、たしかになぁと思う反面、他にも考えないといけないことが浮かんできた。それを少し書き残しておきたい。

情報を与えられる場が少ないまず記事を読んでみると、投票率の低かった今回の選挙で、開票当日は報道されるのに、事前の

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健やかさの三要素とは。

健康について考えることがある。

ちょっとネットを調べてみると、何を食べると体にいいとか、規則正しく決められた時間に寝るのがいいとか、いろんな情報がある。書店にいけば「最高の/究極の〜法」の言葉で宣伝する健康法の本をよく見かける。

人それぞれ体質や環境があるだろうし、正解はないと僕は思っている。

ただ、健康よりもう少し広い意味での健やかさ(自分なりに広いと定義しているものだけど)は、「よく食べ

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空っぽな時間をつくるために。

日々忙しくても頭はいつも働いている。

スマートフォンが手元にある今、ある程度ならどこでも繋がることができる。仕事ならどこにいても相手先と電話をしたりメールを返したり、書類のチェックもできる。友達や家族との会話もLINEをはじめとして、いつでもできる。ゲームも読みものもそこから始められるから、空いた時間はそれに費やせば埋まっていく。

このいつでもどこでも出来ちゃうモノに、慣れて使い倒してきたわけ

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習慣に必要な、「組み」の時間。

習慣に必要な、「組み」の時間。

今日一日のことを寝る前に少しだけ振りかえってみる。

疲れてしまえばそんな余裕もなく、気づけばベッド中…なんてこともしばしば。ある本で読んだ「一日に使える意志力(選択力?)には人それぞれ限度がある。」という言葉を思い出すと、その通りかもなぁと思えてくる。

そうすると、意志をもって選択できることには限りがあるのだから、無意識でも取り組めるような習慣を間に挟んでおくのがいい、という考えに行き着いた。

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山登り型の文章と、散歩型の文章。

山登り型の文章と、散歩型の文章。

友人が月刊発行する通信『まなびおむすび』に、今月の考現学というコーナーがある。日常であった一つのできごとから考えを深めていくコラムに、いつも楽しく読ませてもらっている。そのコーナーの紹介文に書かれたものが気になっていた。

「今ここ」からはじめる考現学。(書ける・書けない)を考えず書いているうちに、未知なるものが見えてくる。

文章の書くにはいろんな方法がある。

細かく言ってしまえば人それぞれだ

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オトナになるってどんなこと?

オトナになるってどんなこと?

大人とは一体なんなのだろう。何をもってそう言えるのだろう。

それは年齢的なものだろうか。それともある一定の経験をすればいいのだろうか。きっと、明確な基準はないのだろう。聞く人を変えれば、人の数だけ大人像がある。

例えば、そもそも「子どもから大人になる」も正しいとは限らない。子どものようで大人びた人はいるし、大人のようで子どもみたいな人もいる。自分という一人の中に「大人の自分」も「子どもの自分」

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備忘ログ「優しくある。」3/4-10

備忘ログ「優しくある。」3/4-10

想像してみよう。

相手は何を考えていて、どうしたら喜び、楽しめるのか。想像して相手の心に自分の心をなるべく近づけようとする、それは優しさの一つの形だろう。

ふと、優しくあるには「慮る」と「思いやる」二つの段階があると思った。

「慮る(おもんぱかる)」は、よくよく相手のことを考えることであるが、これは言葉の音を考えると「思い計る」が形を変えたもののようだ。つまり、考慮や遠慮、配慮にみられるよう

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備忘ログ「時間との付き合い方。」2/18-24

備忘ログ「時間との付き合い方。」2/18-24

季節外れのインフルエンザになった。思い返せば予兆はあって、あぁ、あそこでもっと気をつけておけばなぁとか、友達の言ってたことを思い出せば良かったとも思っていたが、防ぐことはできなかった。

なってみれば、外には出れないし、大して動くこともできないしで不便だ。手元で本を読んだりスマホをさわってみるも疲れは早めにやってくる。自然と、ぼーっと考えることが多くなった。もっと早めに更新する予定だったけれど、少

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備忘ログ「自分であること。」2/11-17

備忘ログ「自分であること。」2/11-17

僕たちは1日にたくさんの情報にふれる。

ネットが見れるようになってからは、それはもうあふれんばかりの情報に。まるで駅のホームで電車が過ぎ去るかのように情報を眺め、朝のラッシュ時の人混みのように巻き込まれていく。

本が好きで日に一冊読むか読まないかのペースだけど、ネットの記事も同時に読む。ただ本とは違い、読んでいてもまた同じ記事を読むことはそうそうない。本は何度も読み返すのに、同じ文字でもネット

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「いい!」の循環。

「いい!」の循環。

大事なことはシンプルなことだった。

僕の出発点は、「自分が幸せであること。自分と関わる周りの人が幸せであること。」である。シンプルだがそれが答えだ。自分だけが幸せではダメで、人は環境や人間関係など様々なものから影響を受ける。だから周りを大切にし幸背であることで、自分にも良い影響がくる状態になる。

そこに新たな一文が加わった。「自分が幸せであること。自分と関わる周りの人が幸せであること。そのため

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夢や理想よりも、愛は大切なものかもしれない

金曜ロードショーで『LA LA LAND(ララランド)』が放送されたことを受けて、周りの友人では「幸せについて考えさせるなー」という声が目立って見えた。僕は映画館で観ていなかったから、なんだいなんだいそんな映画なのかいと、じっくり観ることにした。

ミュージカル映画ということで、全体は音楽とともに盛り上がりながら楽しみ、後半にかけて押し寄せてくる展開には、たしかに考えさせられるものだった。

考え

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鏡をみるように、自分の言葉を眺めること。

自分のことは、思った以上に見えない。

相手の気持ちがわからないという言葉をみると、自分のことすらもわからないだろう、と思う。逆に自分が見えるようになることで、相手のこともわかるという話もある。自分を知るにはどうすればいいのだろう。

こんなことを考え出したのにもきっかけがある。少しずつ考えていたけれど、今日読んだこの記事の影響が大きい。

後半にある言葉にスイッチが入ったようだ。

人は自分では

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運が、偶然ではないとすると。

「あの人って運いいよね。」と言われる人がいる。やたらにいいことが起きている人を目の前にすると、自分と比較して、ついそんな言葉が滑りだしてしまうのだろう。

確かに良さそうな人はいる。これはたまたまそうなっているのだろうか。星のもとに決められていて、しょうがないことなのだろうか。僕は違うと思う。運がいい人には何かそれなりの理由があると思うのだ。

「運 本」と検索をかけるだけでたくさんの本がヒットす

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愛はこころを受けとめ、注いでいくもの。

「愛」についての議論はよく目にするものだ。もちろん解はない。こんな大きな題に解はぱちっと定まらない。いつだって「これくらい」という近似値しかない。だから自分なりの答えをもつことに意味がある。

有名な少年漫画『NARUTO ナルト』で忘れられない場面がある。禅僧が正座をし、両手を広げる。その手にはそれぞれ「心」と「受」の漢字が書かれており、賞賛の言葉をうけて、涙しながら合掌する。物語の中では一瞬の

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