運が、偶然ではないとすると。

「あの人って運いいよね。」と言われる人がいる。やたらにいいことが起きている人を目の前にすると、自分と比較して、ついそんな言葉が滑りだしてしまうのだろう。

確かに良さそうな人はいる。これはたまたまそうなっているのだろうか。星のもとに決められていて、しょうがないことなのだろうか。僕は違うと思う。運がいい人には何かそれなりの理由があると思うのだ。

「運 本」と検索をかけるだけでたくさんの本がヒットする。『運の教科書』『運のいい人の法則』『運を支配する』など。僕は運関連の本は読んだことはないけれど、ありがたいことに運に恵まれている。だから最近考えていたことを書き残しておきたい。


運は偶然の産物なのか?

運とは巡ってくるものであり、不確かなものだ。はじめは偶然の産物のように考えていた。だからいい人を見かければ「あの人だけずるいな」という感情が生まれてくる。

でも違った。運とは「運ばれてくるもの」だ。それはたまたまではなく、蒔いた種が芽吹き花が咲いて、新しい種を飛ばしてくれるような。タンポポの綿毛のようだなものだとある日納得した。

誰かがお仕事をくれる、とか、誰かが面白そうなイベントに誘ってくれるとか。いいことが起きはじめる時には自分の小さな努力、気配りがある。それが巡り巡って、ある日ポンっと「いいこと」としてやってくる。重なっていくと「運がいい人」になるのではないだろうか。

きっと、運がいい人はいい人になるような行動をしているのだ。


運がいい人の景色は美しい

運がいい人は笑顔が素敵にみえる。それはいいことが起きていて、自然と顔もゆるむからだろう。

前に例えとしてだしたタンポポの綿毛のことを思い出してほしい。綿毛は風に乗って広がっていく。広がった先でまたタンポポは花を咲かせ、綿毛をつけて飛ばす。そんなことが続いていくと、タンポポが綺麗に咲いた畑になる。緑の芝生に黄色が映えて美しい景色。それがその人を表す笑顔になる。

綿毛の数は人それぞれで、小さな種をどれだけ蓄えられるかは日々の行動にいかに目を配れるかだと思う。小さな行動を大切に、種を育てていこう。

運も実力のうちというのは言い得て妙かもしれない。


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書きながら、同じようなことをみたのを思い出した。探してみたら、あかしさんのnoteを見つけた。やっぱり大事なことだよなぁ。


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