畑野ライ麦 『恋する少女にささやく愛は、みそひともじだけあればいい』 書評




【!】 ネタバレがあります 【!】




 短歌という非常に短い表現によって少女と思いを通わせる青春物語である。

 主人公は、大谷三球(サンタ)、野球少年というまた面白い取り合わせだ。

 大谷は高校一年生。プロを目指していたが、怪我によって引退を選んだ。そして、何か新しいことを始めようと思い、図書館で本を漁っていた。

 そこで彼は、薄青い着姿のような服に身を包み、銀の髪、消え入りそうな色形の小さな少女に出会う。”自称” 中学生短歌女王の涼風救(スクイ)である。

 サンタは、かき集めた本の中に短歌の専門書も抱えていた。スクイはそれを見て、短歌はおすすめしないと言う。しかし、サンタは、逆に短歌に興味を持ってしまった。

 スクイは、仕方なく、そのような専門書では難しすぎるとアドバイスし、初歩的な内容の本を紹介する。

 サンタは、自分でも上手くなれるだろうかと思いついたままに尋ねた。スクイは、その姿に心を動かされて、サンタにチャットアプリを使って短歌の指導を始める。

 初めはそれなりに牛歩で学んでいたサンタだが、ある時、短歌を上達させるためにネットをディグり始める。そこで、詩歌マリアというアニメーションの女の子の姿をした配信者に出会う。

 マリアは、初配信で、短歌をテーマにして活動すると言った。そして、短歌の添削コーナーを始める。

 サンタは、スクイに教わって初めて作った短歌を投稿してみる。その歌はマリアに好評だった。以降、サンタはマリアの配信に歌を投稿するようになる。そのマリアが実は同じ高校の一つ上の先輩、月島手毬だというのは、なんとも現代的な話だ。

 初心者のサンタ、中級者くらいの手毬、そして謎多き自称天才、スクイ。サンタは、スクイの的確なアドバイスで実力をつけ、手毬に褒められるくらいの歌を詠めるようになっていく。

 しかしそれだけ短歌に秀でている人間が、生え抜きの天才であるわけがない。

 スクイの持つ過去は物語の影の部分だ。それは三人の歌人を繋げ、彼らは短歌によって影を超えていく。本来限界まで削ぎ落とされた表現である短歌によってである。

 スクイは、自称天才も何も、短歌の大家を祖父に持ち、自身もすでに著名で歌集の出版も決まっている本物の歌人だった。

 だが、彼女が薫陶を受けた祖父から、師弟関係を捨てろと言われていた。それは、スクイに自分自身の言葉を見つけてもらうためだった。

 しかし、スクイにとって、祖父の歌や言葉遣いは、心を打たれた美しいものであり、他人から変な言葉遣いと扱われようとも追いかけたものだったのである。彼女は、現在、そのせいで短歌を書けなくなっていた。

 一方、そのスクイの短歌に救われたのが手毬である。

 手毬は、雛歌仙との異名を持つ歌人の歌を読み、素直な自分の言葉で他人が救われたら嬉しいと思い、短歌を始めた。雛歌仙は、スクイだった。歌仙とも評される祖父に紐づけられた、彼女にとってかけがえのない称号だった。

 物語の最後で、サンタは、手毬に配信の場を使わせてもらい、短歌を送り合ってスクイと心を通わせる。サンタにとって、スクイが導いてくれた短歌の道は、大切な野球を失って憔悴していた中で、自分自身を再発見するきっかけだったこと。スクイが自分の短歌を失っても、次は自分が導く旗手とならんということ。そして、スクイへの好意。

 その時、歌はどれだけの書物になるような文字数も、どれだけの思いでも伝えることができる。矛盾は両立し、空白だらけの言葉が、はち切れんばかりの感情を表現する。

 短歌という表現に許されたキャンパスは言葉、文字三十一字、すなわち「みそひともじ」。その喋る(近年ではチャット形式だろうか)にしては長く、書くにしては短い文字数の縛りの中で心を交わすさまは、いじらしく、また、自分に掛けていたヴェールを脱ぎ、作中で手毬が述べたように、言葉とそれを発する人へ真摯に向き合い、正直な自分自身を表現するための長い助走にもみえる。

 作中に描かれる三次元的な存在ではないタイプの配信者やチャット上でのコミュニケーションは、ネット上の人格と本人の乖離や、誇張、あるいは過剰に抑圧された発言など、現代的なコミュニケーションの問題を、短歌と並ぶことで対照化してくれているとも捉えられるかもしれない。

 そうして彼らが不器用に通じ合い、飛び立とうとする様子からは今後も目が離せないだろう。




・畑野ライ麦『恋する少女にささやく愛は、みそひともじだけあればいい』 2024 SBクリエイティブ株式会社


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