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みんなが見ていない大切なものを見つめるねずみのお話『フレデリック』作・レオ=レオニ
オランダ生まれで、主にアメリカとイタリアで活躍したイラストレーター兼絵本作家のレオ・レオニの代表作。
あらすじ
来るべき冬に備えて日夜食べ物を集めるねずみたち。誰しもが働き続けている間、フレデリックというねずみだけはじっと固まっていた。他のねずみたちが「フレデリック、きみは働かないの?」と尋ねると、フレデリックは「こうみえたって働いているよ。寒くて暗い冬の日ために、僕はお日様の光を集めているんだ」と答えるのであった……、というお話。
この後も他のねずみたちがせっせと働く中、フレデリックは眠たげな目をしながらじっとしている。ねずみたちが理由を尋ねると、
「色を集めているのさ」
「言葉を集めているんだ」
とわかるようでわからないことを答える。
そしてやがて冬が来て、ねずみたちは石の間の隠れ家で冬を越そうとする。始めのうちは食料が潤沢にあったので楽しくわいわいと過ごすが、そのうちに食料が尽きてくるとねずみたちは暗く悲しい気持ちになってきた。その時にふとねずみたちは、フレデリックが集めていたという「お日様の光、色、言葉」を思い出し、フレデリックに尋ねるのだ。
「きみが集めたものは一体どうなったんだい、フレデリック」
それまでずっと虚ろな目をしていたフレデリックの目が、カッと見開きフレデリックはこう答えたのだ。
「目をつむってごらん……」
フレデリックが集めていたものが一体どうなったのかは、ぜひ本書を実際に手にとって読んでいただけたらと思う。
ネタバレにならない程度に書き進めるが、結局のところ、生きるために必要なのは食料や水だ。どれだけ技術やテクノロジーが進歩しようと、生きるためにエネルギーが必要なのはおそらく変わらないだろう。
そのエネルギーとなるための食べ物を集め続けるねずみたちと、直接的にはエネルギーになり得ないようなものを集めるフレデリックの対比。
もしも「生きる」ということが、ただ食べ物(エネルギー)を得て消費するだけであれば食べ物だけあれば全て事足りる。
しかし「生きる」ということは、それだけではないのだ。
望むと望まざるとにかかわらず、「生きる」ことには感情が伴う。
喜怒哀楽、そしてそのいずれにも分類できない豊かな情緒を感じながら僕たちは生きている。情緒という言葉には尽くせないほどの豊潤すぎるほどの質感のなかを、生きて死に行く。
それこそがフレデリックというねずみがいる意義であり、本作が描かれた意味なのだ。
「生きる」ことに量を与えるのが食べ物(エネルギー)なら、質を与えるのが「言葉や色(アート)」なのである。
生きることや生命活動に疲れたら、人生に迷ったら、ふとフレデリックのことを思い出して欲しい。
立ち止まって、ぼーっとして、生きるのに直接必要のないものを集める時間を過ごして欲しい。
周りからは何もしていないように見えるくらいにじっと佇んでみた時、フレデリックの見ていた景色が目の前に広がるだろう。
人形も可愛い。