【現代短歌】木下龍也『オールアラウンドユー』
以前にも紹介した、現代歌人木下龍也さんの歌集。
本書には、昨年鬼籍に入られた谷川俊太郎さんとの対談抄録も付属している。
個人的には、この木下龍也さんと谷川俊太郎さんは、どこか似ているような気がしており、お二人が対談していることは「類は友を呼ぶ」というか、あるべくしてあったことのように思えてならない。
勝手な推測だが、お二人とも「言葉というものを信じていながら、同時にその無力さもわかっているが、それでもなお何か得体の知れぬ情動に駆られて創作を続けている」というような常人では持ち得ない類い稀な感覚を有しており、その点を(見たことも会ったこともないお二人を)僕がおこがましくも「似ている」と感じたのではないかと思っている。
とにもかくにも、木下さんは現代短歌界隈で、いつか詩の世界でいうところの谷川俊太郎さんのような存在になると個人的に思っているので、誠に勝手ながら応援しているのである。
前口上はこれくらいにして、本書の中で好きだった歌をここに引用する。
最後の三首が特に好きだった。
新品の本にはない感覚。昔、本を傷つけないように本をほぼ開かずに読んでいた不思議な子がいたけれど、僕はむしろボロボロになった本が好きである。ずっと鞄にいれっぱなしだった太宰治の全集は、新品で買ったとは思えないくらいボロボロになってしまったけれど、それくらい長い時間僕が持ち歩いていた証拠でもあり、本にとってはいわば名誉の傷なのである。
最近、僕は全てが比喩だと思っている。全ては実体でありながら観念であり、掴めるようで掴めない……、これは一体なんだろう? と考えていった結果、全てが「比喩」だと思い直すとどこか腑に落ちるところがあった。
この一首は、それに通ずるところを感じた。あらゆる表現は何かのバリエーションでしかない、と。僕たちが生きるこの人生とやらもまた……。
シンプルに美しい情景が浮かぶ一首。光の毛先をとかし終えた櫛は、湖の底の砂に刺さって闇の簪となるのである。
あまり読まれることのない現代短歌、少しでも興味を持っていただけたら幸いです。