【試し読み】『井筒俊彦 起源の哲学』
2023年は井筒俊彦の没後30年にあたります。
この10年の間にほぼ全ての著作が再刊され、再評価が進んでいます。
しかし、井筒の生涯は未だ謎に包まれ、広大無辺な思想の全貌も解明されていません。
安藤礼二氏が20年をかけて執筆した『井筒俊彦 起源の哲学』。(2023年9月刊行)は、一貫した視点で井筒の思想を読み直し、独自のインタビュー調査を交えながら、その謎の解明に挑みます。長年求められてきた記念碑的な一冊。その「はじめに」の一部を公開します。
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はじめに
私にとって、井筒俊彦(1914―1993)は特別な批評の対象であった。
私が世に問うた最初の書物、『神々の闘争 折口信夫』(講談社、2004年)の段階ですでに私は、民俗学者であり国文学者であった折口信夫の営為に、真の意味での完成を与えたのは井筒俊彦ではなかったかと論じている。折口信夫による神道、鈴木大拙による仏教、井筒俊彦による一神教の創造的な解釈学、そうした解釈学の系譜によって、近代日本思想史にして近代日本表現史を描ききることができるのではないか。当時そう思っていた。そして、その思いは現在においても、まったく変わっていない。
井筒俊彦は、折口信夫からは直接的に、鈴木大拙からは間接的に、その教えを受けている。井筒俊彦の一神教は、折口信夫の神道と鈴木大拙の仏教を一つに総合するものとして形になった。それが私の結論である。これまでに私は、折口信夫の営為については、自分で完全に納得がいくまで考え抜き、一冊の書物、『折口信夫』(講談社、2014年)としてまとめることできた。鈴木大拙については、自分では完全には納得するところまではいってはいないが、しかし当時尽くせるだけの力を尽くして、これもまた一冊の書物、『大拙』(講談社、2018年)としてまとめることができた。
最後まで論じられなかったのが井筒俊彦である。井筒俊彦が残してくれた多彩で膨大な仕事を、 その根底から理解するためには、アラビア語とペルシア語の知識が必要不可欠である。しかし、残念ながら私は、その二つの言語に対する初歩的な知識すらまったく持っていなかった(現在は少し異なる)。私にできることは、ただ愚直に井筒が残してくれたテクストを読み進めていくことであった。しかし、2000年代の初頭においては、そのこと自体が難しかったのだ。すでに中央公論社から 著作集は刊行されてはいたが、井筒の生涯全体、著作全体をカバーするものとは言い難かった。なぜなら、井筒が世界から評価された著作群は日本語ではなく英語で書かれていたからだ。井筒の英文著作を網羅的に揃え、網羅的に読むことは、一介の批評家である私にとっては不可能であった。
また、現在においてはやや理解されがたい状況であるかもしれないが、専門とする研究者たち以外で――あるいは専門とする研究者たちのなかにおいてさえも――井筒が残してくれたテクストを意識的に読んでいこうとする表現者はほとんどいなかった。少なくとも私にはそう思えた。井筒はまったく読まれていなかったのだ。私自身、井筒について書いた原稿の掲載を、文芸誌や一般誌から、マイナーすぎる、あるいは「誰も知らない」という評言のもと、何度か断られている。時代が大きく変わったのは、若松英輔氏が、井筒についてのはじめてのモノグラフ、『井筒俊彦 叡知の哲学』(慶應義塾大学出版会、2011年)を出版した前後からであったと思う。
若松氏の調査および研究と並行するような形で、慶應義塾大学出版会から井筒が日本語で残してくれた著作のすべてを編年体でまとめ、綿密な校訂を付した『井筒俊彦全集』が刊行され、さらには主要な英文著作もまた『井筒俊彦英文著作翻訳コレクション』として刊行された。
文字通り、井筒俊彦が日本語と英語で残してくれた著作のほぼすべてを読むことが可能になったのである。私自身もまた、この『井筒俊彦英文著作コレクション』のなかの一冊を構成する『言語と呪術』の監訳を担当することができた。私は、井筒俊彦が一体何者であったのか、また結局は何を為したのか、それを知るためには、なによりもまずこの『言語と呪術』を読まなければならないと思っていた。そうした思いも、いまこの現在においても、当時とまったく変わっていない。結局のところ、井筒俊彦とは、「意味」の探求者だったのである。言葉のもつ呪術的にして詩的な「意味」があらわとなる瞬間、「意味」が生み落とされる瞬間を哲学に、文学に、そして宗教の起源に探究した表現者であった。私にとっての井筒俊彦は、その点に尽きる。「意味」の発生にして、「意味」の解放は、現実の時間と空間の秩序を根底から覆してしまう力を秘めている。井筒俊彦の表現は、限りのない魅惑とともに限りのない恐怖もまた秘めている。最も力をもった表現は、そのような両義性にして二重性を免れ得ない。私は、井筒俊彦の営為を、そうした両義性にして二重性のまま、一冊の書物としてまとめたいと思った。その結果が本書である。
私が最もこだわった「意味」の探求者として井筒については、『言語と呪術』の解説としてまとめた一文を、本書の第三章「始原の意味を索めて」として収録している。『全集』と『英文著作コレクション』の刊行によってはじめて日本語として読めるようになった井筒の全体像に関しては、おそらくは第二章「ディオニュソス的人間の肖像」が最も詳しい。私が理解した限りでの井筒俊彦の全体像を提示している。本書の第一章「原点」は、これまでまったく「私」について語ってこなかった井筒の「家族」の謎に、関係者たちへの取材をもとにして迫ったものである。井筒を論じた他の著書にないオリジナリティがあるとしたら、ここまで述べてきた第一章から第三章にあるはずである。第四章以降は、井筒のもつ魅惑と恐怖の両極を、自分なりにまとめていったものである。特に第四章の前半を構成する「大東亜共栄圏の哲学」は、本書に先んじて2006年に発表したものであるが(今回微修正を加えている)、この危険な論考を真っ先に、なおかつ最大限の評価をもって読んでくれたのが、小説家の大江健三郎氏であった。大江氏の励ましによって、私は文章を書き続けることができた。大江氏は、自身の名を冠した賞で報いてくれた。また、近年高まっている井筒批判については終章「哲学の起源、起源の哲学」において、私なりの応答を記している。この終章が、私にとっての井筒俊彦理解の最前線でもある。
その探究の焦点は「空海」の営為をどう捉え直していくかに、おそらくは集約されていくであろう。大乗を超えると称した金剛乗の教えを、空海はこの極東の列島、日本にはじめてもたらした。世界にその版図を広げた中華の大帝国、唐の中心で金剛乗の教えは磨き上げられていった。金剛乗の教えを大成した空海の思想上の師、不空はなによりもソグド人たちのコミュニティーをその活動の基盤としていた。ソグド人たちとは、唐帝国とローマ帝国を一つに結ぶシルクロードの交易を一手に担っていたイラン系の人々である。唐とローマを一つに結ぶそのシルクロードの最も重要な結節点にイランは位置している。2022年9月の2週間ほど、私は、幸運なことにイランの各地(テヘラン、タブリーズ、シラーズ)を旅することができた。昨年末、残念ながらこの世を去った世界的な建築家、磯崎新氏の導きによって、であった。磯崎氏は井筒俊彦の営為に甚大な関心を抱いていた。イランを訪れてみて、私は実感した。イランとは、なによりも「道」である、と。もちろん、わずか二週間程度の滞在の印象なので、単なる一旅行者の感想にしか過ぎないのではあるが……。
そこには空と大地、光と闇しか存在していなかった。荒涼たる岩山と砂漠の間を人々が行き交っている。その合間合間に、雪解け水を水源とした新鮮な水が湧き出し、その結果として緑が、オアシスが存在するようになる。そこに都市が生まれる。都市と都市が、交易民たちの「道」によって結ばれていく。外に通じる無数の穴が穿たれた城塞、キャラバン・サライ(隊商宿)やバーザール(市場)が、そのまま都市へと拡大されてゆく。イランからローマへと向かう道には、アルメニア正教やキリスト教ネストリウス派といった正統な教義が定まる以前のキリスト教の始原にあたる教えを奉ずる数々の教会が残されている(現在でもその教えが守られている)。まさに「原始キリスト教」の 道である。イランから唐へと向かう道は、その過程で「大乗」という教えが生み落とされた西域地方にダイレクトにつながり、その西域地方に大きくひらかれてゆく。正真正銘、「大乗仏教」の道、大乗仏教を生み落とした道である。私たちが訪れたイラン北東部、アルメニア、アゼルバイジャン、さらにはトルコと国境を接するタブリーズの博物館では、そこから発掘された中国製陶器の数々が 展示されていた。文字通り、「道」としてのイランによってローマと唐が、原始キリスト教と大乗仏教が、一つに結び合わされていたのである。
井筒俊彦の自他共に認める代表作、全編が英語でまとめられた『スーフィズムと老荘思想』は、 イランで形を整えたスーフィズムのなかから生まれたイスラームの「存在一性論」と、中国で儒教 との対抗関係から生まれた老荘思想(タオイズム)との間に存在する思想上の類似を探った著作であ る。「大乗仏教」はその二つの極の間に生み落とされたのだ。そう読み解くことが可能である。井 筒は、そこ、スーフィズムとタオイズムの「間」に歴史的な交渉ではなく、あくまでもの教義上の、世界観における構造的な類似のみを認めるという立場を崩さなかった。その点で、多くの批判も浴 びた。それは机上の空論であり、最悪の宗教的な折衷、エキュメニズムに過ぎない、と。しかし、後半生、イランを生活の場としていた井筒は、まさに「道」としてのイランによってスーフィズムとタオイズムが相互につながり合い、相互に転換し合う様を、まざまざと幻視していたはずである。それは、空海の金剛乗が形作られていく「道」でもあった。構造のみならず、歴史の上からも検証 可能な「道」である。今後、この私もまた、限りなく微力ではあるが、自分なりの方法で、井筒が 切り拓いてくれた「道」をたどり直していきたいと考えている。それが、井筒から引き継いだ私自身の課題である。
(続きは本書にて)
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