商人▶️『呂不韋(りょふい)』▶️投資=その3(投資)
こんにちは。
ケイジ4世の歴史のターンです。
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大国秦の丞相にまでなった『呂不韋』ですが、その後もその才能を遺憾なく発揮しています。
秦王についた『荘襄王(そうじょうおう)』は周王朝を即位一年目で攻撃し、800年続いた周王朝の歴史に幕を閉じさせています。
これも呂不韋の助言によるものとされています。
また、趙に残された趙姫と嬴政(えいせい)を呼び戻します。
人質生活として粗末な扱いしていた嬴異人(えいいじん)が秦王『荘襄王』になったわけなので、たまったものではありません。報復を恐れて妻子である2人を丁重に返送したのは間違いありません。
秦王嬴政
産まれてからずっと人質生活にあった嬴政は人間不信の塊だったとも言われています。
ましてや、父親が趙を先にでて母親と残されたわけですから、孤独感や不安感は相当なものだったのではないかと、容易に想像されます。
その後、荘襄王と呂不韋は周辺諸国に攻撃や圧力をかけ秦の力を益々強大のものにしていったようですが、その矢先にわずか3年で荘襄王が没します。
紀元前247年、その時嬴政はまだ13歳でした。
仲父(ちゅうほ)
嬴政が秦王になり、呂不韋の権勢は益々強大なものになります。
丞相から相国(しょうこく)となり、廷臣としては最上位の位に着きます。
また、王の嬴政からはそれまでの功績から『仲父』とまで呼ばれます。
これは、『父親の次』ということ。
語源はもっと昔、斉の桓公の時代に歴史的に名宰相と言われる『管仲(かんちゅう)』という政治家がいて、その助力もあり時代の『覇者(はしゃ)』となった桓公から、「一にも『仲父』、二にも『仲父』と」と尊称を込めて呼ばれたことからきている
財力▶️食客3000人も
そこまでの権勢を誇り、その後の財力ももちろん相当なものでした。膨大な領地ももち、食客(しょつかく)も3000人居たと言います。
当時、他国の公子で
その食客達に歴史書『呂氏春秋』を作らせたりもしています。
そして、それを門に置いて「これを一文字でも削除できるものには千金を与えよう」と掲示して力を誇示したと言われています。
また、これが『一字千金』の語源になっています。
このように権力、財力、知力、そのほとんどを手に入れたということになります。
投資
私は自社株とちょっとだけ他で持っているくらいなので、投資については実はあまりわかっていませんが、この故事から読み取れるもとは多大にあると思います。
✅何を『奇貨』と見るか
▶️見た目ではなく本質を見て可能性を想像
できるか。
または、光るものを見出せるか。
✅タイミングはその時か
▶️見た目がボロボロ、安い時に買えるか。
安く買って高く売る
✅『奇貨』の増減に反応、対応
▶️高くするための取り組みやターゲット
価値が下がる可能性をキャッチできるか
また、それに対してどう手をまわせるか
✅価値が高騰したあと
▶️価値が高騰し利益ぐ発生した後の使い方
などなど。
やはり、歴史って好きだなぁ。
歴史から学べることは膨大ですよね。
これからもまた発信します。
今後も見てやってください。
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