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SNSと距離を置きたいときに考えること
先日、「私のSNSとの付き合い方」という記事を書かせていただきました。
この記事が私の想定以上にスキをいただき、ありがたいことに初めて記事にコメントをいただきました。
SNSって毎日触れるものだから、関心事になりやすいのかなと思います。
そこで今回は、なぜSNSを使っていると疲れたり、ぼーっとした感覚になるのかを、私なりに考えてみます。
文章から気持ちを読み取る
私はHSPの傾向があってか、LINEやTwitterなどのSNSの文章から、”画面の向こう側で相手がどんな気持ちか”を無意識に考えてることが多いです。
みんながみんな、同じ受け取り方をするわけじゃない。
。や!の有無、たった1文字のてにをはの違いなどから、微妙なニュアンスを読み取ろうとします。
その結果、疲れてしまいます。
反応の不確実性
友人に送ったLINEそろそろ返信くるかな…
さっきの投稿にいいねはついたかな…
SNSのその先に相手がいるということを意外なまでに忘れ、
不安を煽り立てられている気がしてならない。
いつ来るかわからない反応を待ち望むから、疲れるのです。
受動的で際限がない
検索エンジンに「明日の天気」「乗換案内」などと入力して調べるときは、なんとも思わないのに、
TwitterやInstagramなどのSNSで流れてくる情報は見ていると疲れる。
ということはありませんか?
その違いは、手に入れた情報が「能動的か受動的か」ということと、「情報の終わりが見えるかどうか」ということに尽きると思います。
Twitterで見かけたあのツイート、Instagramでおすすめされたあの投稿、
結局SNSを閉じた時には情報が飽和していて覚えていないことが多い。
自分で調べたいことを決めて、自らの手でその情報にありつけたときは、
納得感があります。
SNSを使って虚無感に襲われるのも、この特性によるものだと考えます。
受け取りたくない情報を知ってしまう
1つ前で書いた”際限がない”ということと重なるところがありますが、
自分で見ようとしなくても入ってくる情報ってたくさんあると思います。
私は不安になるニュースや悲しいニュース、嫌な気持ちになる言動を見かけて、気分が落ち込むことがあります。
SNSに触れていると、得たい情報が選べないシチュエーションって結構多いなと、
この記事を書きながらそう思いました。
SNSとの距離感
SNSが疲れる理由について、私なりに考察してみました。
SNSがどういう仕組みで、どんな行動をしているか(させられているか)、
それに気づいておくだけでも、SNSとの付き合い方は変わると思います。
SNSにどっぷりはまってしまった私たちスマホ世代は今後、
どのくらいの距離からSNSを眺めてみるのか、考え直してもいいのかもしれません。