魔女の宅急便のキキの成長の過程を臨床心理学の観点から考えてみる。~キキはどんな「魔法」にかけられたのか~
魔女の宅急便
注意事項
※あくまで私の個人的な考察にすぎません。私の感想です。根拠はありません。
最近、魔女の宅急便がテレビでやっていました。どんな映画なのか説明は不要ですね。
ジブリの作品は、人が困難な状態にあるときから回復するときに必要な要素がぎっしり詰まっていると思います。フィクション作品と言えどバカにしてはいけません。
もっともジブリ作品をバカにするという人がこの世に存在するのかは疑問なのですが。笑
コロナのせいで暇なので、今まで学んだ臨床心理学の知識と体験を活用して、魔法が使えなくなったキキがどのように回復していくのかという点について考察していきたいと思います。今回は日本で開発された「森田療法」をベースに考察します。
アイデンティティの喪失
「私、魔法が使えなくなっちゃった。」
「修行中の身なのに魔法を使えなくなっちゃったから、私には何の取り柄もない。」
魔法という言葉が使われており、現実味がありませんがこういったことは私たちも味わうことがあると思います。
例えば、「頑張れなくなってしまった私には、何の取り柄もない。」
「真面目さが取り柄なのに、真面目さがなくなってしまえば、私には何もない」「部署のリーダーをやっていたが、失敗してしまった。リーダー失格だ。」
つまり、自分が否定されており傷ついているということ。何かのきっかけでアイデンティティが失われている状態。
人間は様々な特徴の集合体であり、その集合体のことをアイデンティティだとかそんな言葉で言われています。ここで重要なのは、
アイデンティティは集合体であるということ。どれか一つの特徴のことを指して言うのではなく、その人の全体性と言っていいでしょう。
みなさんも「私は◯◯な人間だ」「◯◯であることが私だ」みたい自信をもって言えることがあるのではないでしょうか?
魔女であるキキにとって「魔法を使える」ということは数ある特徴のなかでも、大きな部分を占めているものだと思います。メインアイデンティティとでも名付けましょうか。笑
note界隈のみなさんはご自身の無数にある特徴のなかで大部分を占めるものはなんでしょうか?優しさ・真面目さ・勇敢であること・積極的であること、人それぞれ違ってきますね。
このメインアイデンティティがなくなってしまったとき、人は精神的にかなり大きなダメージを受けます。身体的に言えば、手や足がいきなり切り取られてしまったという状態と同じような感じでしょう。
しかしながら、メインのアイデンティティがなくなったからといってその人全てがダメになるわけではありません。ダメになってしまったと錯覚している状態になるわけです。
では、失われたアイデンティティはどのような過程をたどり、回復していったのでしょうか?
ポイントを①②③にわけて考えていきたいと思います。
①ウルスラとの会話
ウルスラは森の中に住んでおり、絵描きの女の人です。赤のタンクトップと短パンを履いているお姉さん的存在のあの人です。
魔法が使えなくなったキキとウルスラが話すシーンがあります。ここでのウルスラなかなか重要なことを述べています。
ウルスラ「魔法も絵も似てるんだね 私もよく描けなくなるよ」
キキ「ほんと!? そういう時 どうするの?」目を見開いて
ウルスラ「ダメだよ こっち見ちゃ」
キキ「私 前は何も考えなくても飛べたの でも 今は分からなくなっちゃった」
ウルスラ「そういう時はジタバタするしかないよ 描いて 描いて 描きまくる」
キキ「でも やっぱり飛べなかったら?」
ウルスラ「描くのをやめる 散歩したり 景色を見たり… 昼寝したり 何もしない そのうちに急に描きたくなるんだよ」
キキ「描きたくなるの?」
ウルスラ「なるさ」
この会話でキキが魔法を使えるようになったわけではありませんが、回復の兆しとして重要なことがあります。
第一のポイントは、
尊敬しているウルスラにも絵が描けなくなったことがあることを知ることです。
つまり、「私だけ特別に苦しいわけではないんだ。あのウルスラにもそういうことがあったんだ。」とキキが思うことです。日本独自の心理療法「森田療法」を創始した森田正馬に言わせれば「平等観の獲得」です。心は一定の状態であるのではなく、流動しているものなんだと感じることが重要です。
困難な状態にあるときは、基本的に「そんなの私の苦しみに比べれば、、、」となります。大多数の人がそうなります。こういうときに、自分がとても尊敬している人の失敗した経験・つらい体験を聞くということは意外と大事になってくるものです。
※まぁ でもめちゃくちゃひどく困難な状態にあるときは基本的に最初に話を聞いてもらった方がいいので、他の人の話が聞ける余裕ができるまでたくさん話しましょう。
第二のポイントは、
ウルスラの「ジタバタするしかない」ということ。
またまた森田を引用しますが、「とらわれから脱するにはとらわれるより他にない」という言葉を言っています。逆説的でなかなか好きです。
「私はもう何をやってもダメだ。」というときは、そういう気持ちはあるがままに受け止めて嫌々ながらも取り組んでみる。そしてそれでもダメだったら、しばらくなにもしない。しばらく休んでまた取り組みたかったら取り組む。
このジタバタが意外と重要。アフォーダンスという比較的新しい心理学の言葉があります。簡単に説明すると
「意味は環境から与えられる」
ということです。もっと詳しく話すと
人間は、環境から与えられる情報を受け取り、最適な行動を選択する柔軟性をもっている。
アフォーダンスの概念はとてもユニークで逆説的なので理解するのが難しいかもしれませんが、調べると結構面白いので気になった方は是非深く調べて見てください。
ジタバタするなかで、環境のほうから意味が与えられ、自分が再び作られていくということですね。
このときジタバタしているときに日記などをかいて、心の流動性を残しておくのも臨床心理学的にもっと言えば森田的に良い手です。
苦しいときもあれば、苦しくないときもある。知識的にはわかっていますが、体験的に理解することが大事。まさに「体で覚える」「感覚的に理解する」ということでしょうか。
②周りの人々のつながり
魔女の宅急便にでてくる人々はみんな暖かいですね。キキが魔法を使えなくなったとき、そのことを責めた人は誰一人もいません。
キキを魔女というアイデンティティの一側面だけで判断していたのではなく、キキを「キキという一人の全体性をもった人間」と見なしていたからだと思います。
直接的な発言はみられませんでしたが、キキは周りから「魔法はつかえなくても、キキはキキ。それ以上でもそれ以下でもない」という埋もれたメッセージを受け取っていたんです。たぶん笑
環境から「君はキキという一人の人間だ」と認められている感覚があることはとても大事。
この感覚を体験的に理解した場合、きっと人のことも認められるようになってくるのでしょう。
③変化の兆し~トンボの危機~
魔法が使えるようになった。つまりアイデンティティを取り戻した瞬間は、飛行船から落ちそうになっている少年トンボを助けるあの名シーンでした。
あの時、キキには何が起こっていたのでしょうか。
重要なポイントは、
目の前の人を助けることに必死になっていた。
というところです。
アイデンティティの一部が失われているとき、どうしてもそこに注意が向いてしまいます。特に、「私はこういう人間だ」と自信をもって言えるほど、それが失われてたとき「俺はダメなんだ、本当にダメな人間なんだ」と落ち込みます。
このとき、普段は外に向かっていたはずのエネルギーが内に向かっています。
このエネルギーが再び外に向かうようになれば、回復している状態と言えるでしょう。
キキのエネルギーが内から外に向かった瞬間はどこか考えてみましょう。
キキは、飛行船から落ちそうになっているトンボをテレビで見ます。
ここからエネルギーの転換がはじまったのだと解釈しています。
「大事な友人が今、まさにピンチだ。私が助けなければ」
ここで内に向いていたエネルギーは完全に外に向かいます。
キキはこのとき「私なんてダメな魔女だ」「魔法が使えなくなってしまった自分なんてなんの取り柄もないんだ」などと思っていたでしょうか?
そんなこと一つも思っていません。目の前の人を助けることに全集中しているときには、自分がダメだとか良いとかそんなことは考えないものです。魔法が使えなくなってから、はじめて飛べるようになった瞬間のキキは、ただ飛ぶこと、そしてトンボを助けることしか考えていませんでした。
「我を忘れて」という日本語をよく使いますが、まさにこの状態にぴったり。
必死にものごとに取り組む時は、自己内省なんかしてないものです。ただ、ただ目の前のことに取り組んでいる。ただ、為すべきことを為している。
逆説的ではありますが、この「我を忘れて」いる状態こそ、本当の自分自身というものが表れてくるのかもしれません。
我を忘れて、目の前の人を助けることに全エネルギーを向けた結果、再び魔法が使えるようになる。つまりアイデンティティ(我)を取り戻す。
ちなみに、森田は「あるがままになろうとするのは、それはすでにあるがままではない」という言葉を言っています。
よく森田療法とマインドフルネスは比較されます。どちらもキーワードはあるがままですが、決定的に違うところはこういったところでしょう。
森田が生きていたら、マインドフルネスにどんなコメントをしていたのでしょうか?
まとめ
長くなりましたが、まとめると人が、アイデンティティの大きな側面を失ってしまったときにたどる過程は、魔女の宅急便からみると以下のような感じ。
アイデンティティの喪失
↓
悩み、苦しみ時期(エネルギーが内に向いている状態)
↓
もがく、休むを繰り返す時期(まだまだエネルギーが内に向いている状態であるが、ここで徐々に周りから認められているという感覚を取り戻す)
↓
あるきっかけで一気に転回する(トンボの危機というきっかけでエネルギーが完全に外に転回)
簡単にするとこんな感じですね。 あくまで解釈なのでどうなのかはわかりませんが。
キキは、一人で悩み頑張ったんだと主張する意見もあると思いますが、実は周りの環境から気づかぬ内に小さな「魔法」をかけられていたんだと思います。とちょっとロマンチックに言ってみました。
気合いを入れて書いたnoteでした。いつもより引用は多め。笑
みなさんも「我を忘れて」はどうでしょうか?
しかしながら、「我を忘れ」ようとしたらそれはすでに我を忘れられてないですね。
人はパラドックスな存在です。この矛盾を引き受けて抱えられる人はどんな素晴らしい世界を見ているのでしょうか?
長々失礼しました。
※何度もいいますが、私の解釈なので根拠はありません。一個人が書いたただのnoteとして見てください。
参考
映画「魔女の宅急便」
生活の発見会?森田正馬(1998) 「現代に生きる森田正馬のことば1~悩みには意味がある」白揚社
北西憲二(2014) 「森田療法を学ぶ~最新技法と治療の進め方~」金剛出版
森田正馬(2008) 「新版 神経衰弱と強迫観念の根治法」白揚社
岩田真理(2012) 「動きと流れの森田療法~森田療法が開く新しい世界~」白揚社
いつだか立ち読みした「アフォーダンス~知性はどこからくるのか?~」「マインドフルネス講義?」
Googleサイニーで検索した、森田とACTの比較研究?みたいな論文
その他、臨床心理学系統の本