そこらへんの人

そこらへんの人です。

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切実な願い。

なにか心理学関連で疑問に思ったこと、知りたいこと、面白い本、新しい研究、あるいは解釈の間違いなどがあったらコメントで教えてください。暇人なので、調べたりします。※素人なので情報の質は高くありません。 私のnoteは一度記事を書いたら終わりというわけでなく、その記事に関する新しい情報が手に入った場合、 例 「4/1 追記 (新情報)」 という感じで、どんどん更新していこうと思っています。なので、一度みたnoteでも新情報を載っけてる可能性があるので見てみてください。※ち

    • 「52ヘルツのクジラたち」町田そのこ

      52ヘルツのクジラ 普通のクジラは10〜39ヘルツくらいの声で鳴き、それでコミュニケーションをとっているらしい。そのため52ヘルツで鳴くクジラは他のクジラとコミュニケーションができず、世界で最も孤独なクジラと言われている。  52ヘルツのクジラの声は80年代に発見され、毎年周波は確認できているが発見はできておらず種類もわからないらしい。 誰にも届かない声 52ヘルツのクジラだけでなく、人間にも誰にも届かない声で鳴いている人がいるかもしれない。極めて個人的な悩みは人に共感され

      • 久しぶりにnoteに降臨したぜ マイペースにつぶやくぜ

        • 朝井リョウ「正欲」

          朝井リョウの「正欲」を読んだ。 私なりにざっくり言えば「多様性」がテーマの作品である。 多様性を認める・理解するということは大切なことだと思っていたが、今一度考えさせられる。 作中にて特殊な性癖を持つ登場人物のセリフに以下のようなものがあった。 「なんであくまで自分は "理解する側の人間" だと思っているんだよ」 多様性を考えるとき私はいつもマジョリティの立場にいたことにハッとした。私がマジョリティ側であるとは限らないし、そもそもマイノリティの人たちはマジョリティの人

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        切実な願い。

          心の内に潜んでいる「慢」。~反応しない練習より~

          反応しない練習「反応しない練習」という本を読んだ。あ、読んでない途中だ。これは仏教関連の本で近年結構話題になった本。現段階ではとても読みやすい本、わかりやすい上に文体も難しい感じではない。 Amazonレビューも700件ほどありさすが話題の本だ。 それはさておき、今回も思ったことをつらつらと書く。 特に気になった「慢」についてのことを書く。 「「慢」という心のビョーキに気をつける」という章気になった部分は以下 人を苦しめる「判断」には、「自分はエライ」「正しい」「優

          心の内に潜んでいる「慢」。~反応しない練習より~

          どうするのがいいのだろうか?

          友人の話大学4年生のとき苦労して内定をとった会社に勤めていた友人がコロナの影響で解雇された。 おそらく友人に限らずもこういった境遇に置かれた人は少なくないのだと思う。 なんとも理不尽な世界だと思う。 悪者はどこにいるのか?言ってしまえば自然災害には悪者はいない。(誰のせいでもない。) まだコロナをばらまいた明らかな絶対的悪人がいて、それを攻めて攻撃する方が精神衛生上よかったのかもしれない。 でもそんなものはない。 悪者は自分か?どこにも責める要素がなくなると、 「

          どうするのがいいのだろうか?

          マシマシキャベツ。

          マシマシキャベツ。

          自覚と悟りへの道。(森田療法の本です。)

          自覚と悟りへの道という本を読みました。最近本を読んでるには読んでるけれど、noteの下書きがたまるばかり。やっと投稿にこぎつけました。 何を書けばいいのか迷ったので、とりあえず 目次を読んで疑問に思ったところ・面白そうと思ったところ(今回は4つ) 実際に読んでみて学んだこと、私なりの解釈 を書いてみようかななんて思います。 完全に私個人の読書復習noteになってしまっていますね。笑 こういう使い方もありなのかな? 印象に残ったことを4つ・自由自在の境地に達するに

          自覚と悟りへの道。(森田療法の本です。)

          短期療法の極意的なものが、病気であってもなくても人間であれば人生において使えそうな件。

          最近のラノベのタイトル最近のラノベのタイトルって長いですよね。そんなことを意識して、今日のnoteのタイトルとしました。 「解決志向ブリーフセラピー」という超絶面白い本(ワークショップの文字起こし)を読みきったので、思ったことを書いていきます。 とても面白いと思ったことは忘れないように最初に書きます。 面接前に既に良い効果が出る。クライエントの何割か(忘れた)は、電話でカウンセリングの予約をしてから、実際にカウンセリングするまでの間で、良い変化が起こっているらしい。 こ

          短期療法の極意的なものが、病気であってもなくても人間であれば人生において使えそうな件。

          死ぬ瞬間「受容」

          死ぬ瞬間を引き続き読んでます。復習すると、エリザベスによれば死ぬ過程で人の心は 1否認 2怒り 3抑鬱 4取引 5受容 の5つのプロセスをたどるらしい。順番にたどるわけではなく人によって行ったり来たりする。もちろん何かが抜けている場合もあるし、みんながみんな受容に至るわけでもないらしい。 マズローの欲求階層説もエリクソンの発達段階説もフロイトの精神性的発達論もわかりやすく段階ごとに分けているけども、実質これらの理論通りにきっちり進む人はあんまりいないと思う。 ネットで

          死ぬ瞬間「受容」

          マインドフルな生活を心掛けてから10ヶ月ほど立つので体験をまとめます。

          普勧坐禅儀道元が帰国後にはじめて記した書です。ネットでチラッと調べると「万人に坐禅を勧めるもの」「坐禅の真髄を記したもの」と色々書かれてます。 私も読んだことがないので詳しくは知りませんが、いつだか聞いた坐禅の市民講義みたいなのでは、「道元の坐禅体験が記してある」というようなことを言っていました。 なので道元を真似して今日のnoteを書こうと思った次第です。 坐禅とは言いつつも、正直、色んなやり方をしました。呼吸に注意を向ける瞑想、気づきをただ見ていく瞑想、慈悲の瞑想(

          マインドフルな生活を心掛けてから10ヶ月ほど立つので体験をまとめます。

          できないことをしようと思ったとき、私たちは常に「できない自分を見続ける」ことになる。

          チャレンジ私の定義でいうと、チャレンジとは「今現在できないことを、できるようにするための行動及び、その過程のすべて」です。 できないことに取り組む時、私たちの多くはこう思う。あるいはこう思った方がいいと言われてきた。 「はじめてやるんだから、できないのは当たり前」 「最初は失敗してもいいんだ」 「できないことは、恥ずかしいことじゃない」 「失敗は気にせず、どんどん行動していこう」 「少しずつできるようにしていこう」 他にもたくさん考えることができるけれども、基本

          できないことをしようと思ったとき、私たちは常に「できない自分を見続ける」ことになる。

          夢分析と参与観察

          夢分析と参与観察

          警察官・消防士の友人の話。

          何人か警察官や消防士の友達がいる。彼らと出掛けたりするときに、例えば私が 「そういえばさ、警察の仕事の調子はどう?」 など「警察」や「消防」というワードを出すと彼らは 「シッ!」と言い、周りを気にする。 ふと気づき「ごめん、」と私は謝る。 なぜ?いつも疑問に思う。なぜ、自分の仕事を隠さなければならないのか。警察官や消防士と言えば、国民のことを守ってくれるヒーロー的な存在ではないのだろうか。子どもたちの憧れの仕事ではなかったのだろうか。 もちろん守秘義務などもあり話

          警察官・消防士の友人の話。

          自分の書いたnoteを振り返ってみると。

          内省心理が好きな私にとって「内省」には、とても深い意味があります。 「内を省みる」ことによって、私たちの心がいかに流動性のあるものか理解することができます。 この「内省」する作業をしていくと、心はあべこべで矛盾するものが同時に存在していたり、あるいは悪であったものが善になっていたり逆もしかり。 「内省」により「心」を体験すると、他人にも穏やかに柔らかく慈悲の心を持ち接することができる気がする。 noteを振り返ると時期あるいは時間によって、言葉の使い方、文章の書き方に

          自分の書いたnoteを振り返ってみると。

          ドストエフスキーの罪と罰。

          名作「罪と罰」小説はあまり読みませんでしたが、エーリヒ・フロムの「聴くということ」の中に、「人間を理解するには、精神分析の技法の本を読むよりドストエフスキーあたりを読んだ方がよっぽどいい」的なことが書かれていたので、早速「罪と罰」を購入。 購入して購入したときにふと「自分はもっと人間のことを知りたい」という気持ちに気づく。そしてフロムが好きなことにも気づく。 私たちはふとした選択、行動、言動を通して「自分」というものをより知っていくのではないかなんてことを思う。そうなって

          ドストエフスキーの罪と罰。