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「介護時間」の光景(54)。「駅」。4.20.

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。

 この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2001年の頃」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

自己紹介

 元々、私は家族介護者でした。介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 ただ、そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 分不相応かもしれませんが、介護をしながら、学校へも通い、臨床心理士の資格を取りました。2019年には公認心理師資格も取得しました。現在は、家族介護者のための、介護相談も続けることが出来ています。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2001年4月20日」のことです。終盤に、今日、2021年4月20日のことを書いています。

2001年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い(リンクあり)、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。

 ただ、それ以前の病院といろいろあり、そのことも原因で私自身が心房細動の発作を起こし、これ以上無理すると死にますよ、などと医師に言われ、毎日、心臓の薬を飲み続けていましたが、まだ時々、めまいを起こすようなこともありました。そのせいもあって、うつむき加減で、なかなか、次の病院に移っても、医療関係者を信じることができませんでした。

 母親の状態も安定せず、急に会話もできないくらい悪くなったかと思えば、数ヶ月経つと、それが嘘のように「平常」になったりの繰り返しで、そのことで、かなり消耗してました。

 自分が通うことで良くなる気もしませんでしたが、通わなくなることで、二度と会話ができるレベルに戻ることもなくなるかもしれない。根拠はないのですが、そんなことを思うと、怖くなり、気がついたら、病院に通うような毎日でした。

 そのころの話です。

2001年4月20日

『午前7時前に電話のベルが一度だけ鳴って、それで起きて、遠くに聞こえていたけれど、昨日は午前3時くらいまで眠れなかったので、眠いから、また寝たけれど、午前9時頃に「あーれー」という義母の声。

 それから、妻が下へ行く音がして、それから「きゃー」っていう切羽詰まった声を出していたから、慌てて、1階へ行ったら、何事もなく、妻に心配された。
 何だったのだろう。

 でも、それで今日は早く起きてしまって、出かけようとしていた用事がダメになり、また寝たら、起きたら午後12時だった。

 今後は、自分の心房細動の病気のことも含めて、真剣に考えないと「無駄死に」が待っているとしか思えない。

 午後に家を出る』。


 駅に着いたら電車が行ったばかりだった。
 地元の私鉄の小さな駅。近くの都会へ向かって電車が去っていく。

 ホームに入ったら、誰もいない。一人もいない。線路をはさんで、向こうのホームにも一人もいない。午後2時過ぎ。ついているのか、ついていないのか。ここのところ運や不運について考える事が多くなった気がする。こういう状況って、けっこうあるんだろうか?

                    (2001年4月20日)


『病院には、午後4時半頃着く。

 母は、横になって寝ている。

「体、そらしてない」

 そんなことを言っているのだけど、意味が、ちょっとよく分からなくて、でも、手を動かす動きをして、体を動かすことを促すと、「さっき、やったばかり」と言う。

 その後に、唐突に「目薬をさしたことがない」と言った。。
 でも、夜にしたみたいだけど、と答えると、今度は「さっき、した。昼頃、やった」と言い始めた。

 その反応が早くなっているから、 記憶の蘇りが、少し良くなっていないだろうか、と希望を勝手に持ってしまう。

 そんなことを思っていると、「お風呂は全然、入っていない」を、今度は繰り返している。もちろん、そんなことはないけれど、それでも表情は随分と落ち着いてきたから、それで、こちらの気持ちも少し穏やかになる。

 午後7時頃、病院を出る。
 今日は、送迎バスに乗る。

「今日は何日か、ぜんぜん、分からない」という言葉を繰り返すのは、今までと同じだった。
 それでも、今日も、おしめをしていないのはありがたかった。

 帰りに、駅ビルで欲しいCDを探すけれど、なかった』。


 それからも病院に通って、家に帰ってきたら、義母の介護をする日々が続いたが、2007年には、母親が病院で亡くなり、それから、また年数がたち、2018年の年末には、義母も亡くなり、介護が終わった。


2021年4月20日。

 つい2日前の夕方、体調が悪くなった。

 後頭部が痛くて、何だかスーッと体が冷えていくようで、妻に、顔色が悪いと心配された。熱はなかった。

 横になったが、眠れなかった。
 後頭部が痛かった。9年前、立てないくらいの強いめまいと、気持ち悪さで、救急車に乗って、入院した時、脳外科の医師に、首から流れてきている脳への血管が右に大きく曲がっています、そのせいか、年齢よりも動脈硬化が進んでいます、と映像を見せてくれた。酒もタバコもやらないのに、と、すごく理不尽な気持ちもしたが、今回は、そこが破れて、いよいよ死ぬのかと怖くなった。その時の映像が蘇る。痛みが続くせいで、眠れず、ただ不安だった。

 それでも、気がついたら、2時間ほどがたっていたから、少し寝ていたのかもしれないが、頭の痛みは止まらず、前の方に移動したり、目の奥が痛くなったり、と全体的に脳が出血しているのではないか、といった気持ちになり、怖くもなったが、仕事に関しては何の成果も出してないのに、ともやっぱり思った。

 妻が用意してくれた夕食も、一口くらいで、本当に食べられなかった。

 こんなことは、それこそ入院した時以来だった。

 もう死ぬかもしれない。

 そんなことを思っていて、また寝て、さらに時間がたった。
 妻は食器の後片付けもしてくれて、さっき、洗濯機を回したものも干してくれて、気がついたら、妻も、少し寝て、起きて、お風呂にも入っていた。

 私は、午後10時を過ぎたあたりで、起きても普通になった。妻にも顔色が戻ってきた、と言われる。

 ホッとした。

 9年前に、入院した時は、最初は脳ではないか、と言われていたのに、いろいろと検査をしたら異常はなく、耳鼻科にもみてもらって、何も分からず、おそらくは過労とストレスだと言われる。

 今回も、そうだとしたら、何もしていないのに、疲れるなんて、と思うが、妻には、「やっぱり無理していたんだと思う」と言われる。

 焦りと無力感に、ひきずられ過ぎていたのかもしれない。

 いつも肩こりがひどいけれど、さらにゴリゴリしているようで、腕を回してみて、うまく回らないことに気づき、この2日間は、意識して腕などを動かすようにしてきた。

 介護相談などで、リラックスを勧めることもあるのに、恥ずかしながら、自分ができていなかった。

気持ちを変えようと思った

 今日(4月20日)は気温も上がって、天気もよくて、いつの間にか、かなり茂っていた柿の新緑もきれいに見える。

 何かをしなくちゃ、という焦りや、成果が上がらないから、もっと頑張らないと、という気持ちが、少しだけ減っているようだった。

 午後から、郵便局に出かけて、お金をおろして、色々な支払いをした。
 少し買い物をして帰ってくる。

 妻に心配をかけた2日間だった。
 食欲も戻ってきたのだけど、食事なども胃に優しいように、工夫もしてくれて、申し訳なくも、ありがたいことだった。

 このところ、やたらと無力感が強かったけれど、体に疲労も溜まっていたのかもしれない、と思った。

 やたらと出来ていないことばかりを考えて、やみくもに焦ることはやめて、少しペースを考えた方がいいのかもしれない。

 自分にとっては、静かな1日だった。





(他にも、いろいろと介護について書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、ありがたく思います)。



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