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『「40歳を超えてから、大学院に通う」ということ』⑥大学院入試

 いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

(この『「40歳を超えてから、大学院に通う」ということ』シリーズを、いつも読んでくださっている方は、「寒がり」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)。

大学院で学ぼうと思った理由

 元々、私は家族介護者でした。

 1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 そして、臨床心理士の資格を取得するために、指定大学院の修了が必須条件だったので、入学しようと考えました。

 私自身は、今、振り返っても、40歳を超えてから大学院に入学し、そして学んで修了したことは、とても意味があることでしたし、辛さや大変さもあったのですが、学ぶこと自体が初めて楽しく感じ、充実した時間でした。

「40歳を超えて、大学院に通うということ」を書こうと思った理由

 
 それはとても恵まれていたことだとは思うのですが、その経験について、伝えることで、もしも、30代や40代や50代(もしくはそれ以上)になってから、大学院に進学する気持ちがある方に、少しでも肯定的な思いになってもらえるかもしれない、と不遜かもしれませんが、思いました。(もちろん、資格試験のために大学院へ入学するのは、やや一般的ではないかもしれませんが)。

 同時に、家族介護者へ個別な心理的支援を仕事として続けてきたのですが、少なくとも臨床心理士で、この分野を専門としようと思っている方が、かなり少ないことは、この10年間感じてきました。

 もしも、このnoteを読んでいらっしゃる方の中で、心理職に興味があり、臨床心理士公認心理師を目指したい。さらには、家族介護者の心理的支援をしたいと思ってくださる方がいらっしゃるとしたら、できたら、さらに学ぶ機会を作っていただきたい、という思いもあり、改めて、こうして伝えることにしました。

 この私のnoteの記事の中では、もしかしたら、かなり毛色が違うのかもしれませんし、不定期ですが、何回かに分けて、お伝えしようと思います。

 よろしくお願いいたします。

寒がり

 介護を始めた2000年のころ、心房細動の発作を起こし、その時にろっ骨の中で何かが暴れているように感じて、死ぬんだな、と思ったこともあったので、その予防のためには体重を減らした方がいい、ということも聞いて、2年かけて20キロくらい減量しました。

 その時には40歳くらいでしたが、そのせいか、その頃から寒がりになりました。

 というよりも、時々は寒さに対して薄い恐怖心を持つようになったことに気がついていたのですが、それについてはどうしようもなく、以前よりも、ダウンジャケットを着るようになり、それもかなり防寒力が強めのものを買うようになりました。

 それは、もうすぐ大学院の入試があって、自分にとっては朝早くから出かけることになり、しかも、2月という一番寒い季節だから、少しでも暖かくしないと、というような妙な焦りのような気持ちもあったのだと思います。

 2007年に母を亡くし、その頃から義母の介護を妻と一緒に続けながら、本格的に心理学の勉強も始め、初めて大学院の入試を受けることにしたのが、2009年の2月でした。

カゼ

 試験の日まで、あと一週間をきりました。

 体調を整えないと、と少し張り詰めて、介護をしてすきまに勉強をして暮らしていたのに、昨日の夜から少し寒気がするなー、と思っていたら、今日の朝にはカゼをひいてしまい、のどが痛く、予定していたお出かけも中止にさせてもらいました。

 妻には申し訳なかったのですが、でも、出かけない方がよかった、と思います。

 実は、カゼをひいてしまい、というのではなく、ずっとカゼをひいていて、もう1ヶ月くらいうすーくカゼを続けていて、そして、今日、また少し重くなるという感じでした。介護をしているのに、冬になると、こんな繰り返しにちょっと嫌になり、でも、来週は入試なので早く寝る癖をつけたいと思っていました。

 でも、実際は、そんなにうまくいかないのは、夜中に義母をトイレに連れていかなくてはいけないからで、今は、自分が寝る前の最後のトイレに連れいてくのを午前3時半から午前3時にして、それからすぐに寝るようにすれば、今の午前4時半睡眠よりも早く眠れる、などと、まだ実現していないのに、計算だけはしていました。

 だけど、当然ですが、義母のリズムを、こちらで変えることはできません。

 来週は、もう入試で、その時にまだカゼをひいてしまっていたら、最初から学力は足りないのだから、もうほぼダメなのだろうから、少しでも体調をよくしておいて、そして、いつも夜中に起きているパターンを少しでも変えて、早起きに対応できないとやっぱりダメで、本当に今回は厳しいと思っていました。

 すでに少し混乱していたようです。

大学院選択

 2007年に母が亡くなった後、本格的に大学院に入学しようと決めて、勉強を始め、2008年からやっと模擬試験も受け始めて、その結果は、一度だけ「B」判定が出たことがありましたが、それ以外は、「C」や「D」判定で、それは予備校の結果と、その評価の冊子によれば、合格はほぼ不可能らしい、というのは知っていました。

 それでも、まずは一度は受験をしないと、ずっと合格できないと思いました。あと3年はチャレンジできますが、それを過ぎると、今のように介護に専念するにはお金が足りなくなるので、早く、という焦りだけはありました。

 模擬試験を受けながら、どこを受験するかを考えて、選びました。

 今回は一校だけにしました。

 まず授業が夕方からであること。介護が続く限り、昼夜逆転に近い生活を変えることはできません。自分の体力を考えたら、ある程度は睡眠をとらないと、体がもたないので、それはありがたいことでした。

 また社会人での入学も可能で、社会人枠もあること。他学部出身者でも受験が可能なこと。私は若い時に卒業したのは法学部でしたので、それも大事なことでした。

 さらには、臨床心理士になるには、大学院の修了が条件でしたが、その指定大学院には二種類ありました。大学院を修了して、その年に、すぐに臨床心理士の資格試験を受験できる大学院。もう一つは、大学院を修了した後、1年以上、実際に現場で働いた後に受験できる大学院。

 今の生活では、どこかで働くこともできませんし、40代後半になっていた自分では、どこかが雇ってくれる気もしませんから、修了の年に受験できる大学院であることも自分にとっては条件でした。

 さらに、受験しようと思った大学院は、私立で、古くから学内に心理相談所がありました。カウンセリングというものは、人から人へ伝えられることがあって、そういう場所が長くある学校の方がいいのでは、と思っていたせいもあります。

 それで、受験する大学院を決めました。

受験当日

 今日は、2009年2月3日。受験の日で、そのために義母にショートステイに5日間、入ってもらっていました。受験当日の、2日前から施設に行ってもらいました。

 ショートステイは、いつも4泊5日で入所してもらいます。ご存知の方も多いと思うのですが、ショートステイの申し込みは二ヶ月前で、しかも、希望通り、取れるとは限りません。ですから、ケアマネージャーの方に、受験する事情を話し、そのときは予定通りにしていただければ、といつもは言わないのですが、強めに要望を出して、その通りになり、ホッとしました。

 この何年も、夜中に義母をみなくてはいけない日々が続いていて、だから、午前4時くらいに眠る日が多くなり、夜早めに眠れない体質になっていました。

 それで、ショートステイも試験日の2日前から入ってもらい、その間になるべく早く眠れるようにしたのですが、なかなか眠れず、それでも、この前からカゼ気味で、そのクスリのおかげなのか、いつもなら早起きに対して妙に緊張して眠れないのが、今日は、2回ほど途中で起きたのですが、午前1時から7時までわりとちゃんと眠れました。自分でも珍しい。でも、ありがたく思いました。

 朝、起きてから、カロリーメイトを食べていたら妻がビタミンといってキューイフルーツを持ってきてくれました。この日のために買った、厚着しても着られるコートを着て、でも電車が満員かもしれないのでフードははずして着たら、暖かくてありがたい気持ちになります。

 いろいろと細かいことが気になっていました。

電車

 電車は混んでいました。

 ラッシュというのはもっと混んでいるのだろうと思いながら、久しぶりにすぐそばに人が立っている場所にいました。電車を乗り換えてから約50分。ずっと乗っているから、もし受かったら、1時間と少しくらいはかかることになるので、わりと遠いかもしれません。

 別の大学は、もっと近かったのですが、キャンパスへ見学に行って、今日、受けるところの印象のほうが良かったし、渋谷にある大学院は心理系の単位が32単位ないとダメ、という事なので、最初から心理系の大学を出た人でないと受験できない、ということのようでした。人気のあるところは、そういう強気の態度をとらないと、受験する人間が多くて大変なのかもしれませんが、でも、受験くらいさせてくれても、という気持ちが、今でも少しあります。

 電車の中で立ちながら、模擬試験の解答を見て、覚えようとしていました。混んでいる中で見ていたら、途中でその1部を落として、気がついたら、人の足に踏まれて、しばらく気がつかず、そのうちに「は」っと思って拾いました。少し汚れています。

 途中で座席に座ってからも、少し見ていました。「プラセボ効果」を覚えて、でも出ないだろうな、そう簡単に、という気持ちにもなり、大ざっぱな部分は覚えても、細かいところはどうなんだろう、とまだ自分を疑っています。覚えていなくてはいけない範囲が、勉強するたびに広がっていくような気がしているくらいでした。

試験会場

 最寄りの駅を降りて、改札を出たら、「こちら」というプラカードを持っている人がいました。さらに階段を上がって、外へ出て、カバンをごそごそして、受験票を出そうとしていたら、「受験生の方に」のチラシを渡されそうになります。今日は、大学の入試も同じ日程のようです。

 大学の入り口で部屋のことを書いた紙を渡され、4号館に入り、2階へ上がり、教室を歩いて自分の番号がなく、一回、出て、係の人に聞いたら、社会人の方は3階です、と言われました。さらに3階へ上がったら、確かに、年齢層が高くなりました。女性の方が多く感じました。私は一番前の席で、いわゆる小学生の使うような机です。

大学院入学試験

 試験前に、トイレに2回行きました。

 柔道部のような体の中年男性が試験監督で、「これからは外出はしないでください」と言うので、手をあげて、もう1回、トイレに行きました。少し焦る気持ちで帰ってきたのですが、まだ用紙は配られていません。

 説明は、全文決まっているようで、紙を見ながら、そのまま読むように話しています。チャイムの説明もあります。

「始まる時間と終わる時間は受験票の通りです。でも、今日は同じ日程で大学の入試もあります。だから、午前11時にチャイムがなりますが、びっくりしたりしないでください」。

 あまりにも棒読みで、少し笑ってしまいました。実質的には、午前11時半までの90分が試験の時間です。社会人枠で、試験科目は臨床心理学。もう机の上に何かを置いてはいけないので、さっきまで読んでいた心理学用語の本もカバンにしまいました。

 一番前なので、人がいませんが、前を見て、ベストを尽くそう、と自分に言い聞かせます。

 試験が始まって、ホッチキスをはずしながら問題を見渡したら、知っていそうな言葉がいくつか並んでいます。12月の模擬試験では、すべての言葉を知らなかったので、少しホッとします。

 それでも、まったく聞いたことがない人名と、まったく知らない専門用語が1つずつありました。それでも、何しろ書きました。いつもよりも、少していねいに書かないと、字が下手なので、読めないのは知っているので、気をつけて、書きました。机が狭く感じます。

時間

 いつも介護のことが頭にあるので、他のことを何も考えなくていい時間は、とてもぜいたくに思え、気持ちよく感じました。ここにいたら、目の前の試験のことだけを考えて、それに全力をつくせばいいことが、気持ちが楽でした。

 といっても、結果が悪かったら、たわごとに近くなるのでしょうけれど、ホントにそう思えました。そして、気がついたら50分くらいは一気にたっていました。あと40分です。

 200字で説明しなさい、という問題があり、専門用語であまり知らないものは、答えを書かないで、印をつけて、他が終わってから考え始めたのですが、なかなか届かい感じがしました。

 自分の回答は、あいまいなところも多かったのに、一応、少しは書けると、なんだか出来た気にもなっています。

 最後の600字の小論文は、児童虐待がテーマでした。考えたら、高齢者虐待とどこか通じる部分もあるので、最後の3行くらいは、それを反映させられたかもしれないと思う一方、でも、専門用語は足りないかもしれない、などと思いながら、書いていました。

 さらに、まったく知らない人名を、自分が覚えている専門用語だけを使って、もっともらしく書き、全然聞いたことがない専門用語は、勝手に論理を通そうとしました。

 そうしているうちにさらに時間はすぎました。

 試験が、終わりました。

試験終了

 私のうしろの人が、「あなた筆記用具を置いてください」と言われていました。
 その時点で、試験監督が、芸人のTIMのゴルゴ松本に少し似ていると気がつきました。 

 それから、また試験後の棒読みの説明が続きました。

「ここから先は許可なく筆記用具を持った場合、不正行為と見なします」

 手をあげろ、と言われているような気分。そして、解答用紙と、問題用紙を集められて、試験は完全に終わりました。

 まったく分からなかった答えを受験票に小さく書いたのですが、そのうちの専門用語は持っていった用語集にも書いていませんでした。

 一応、区切りはついた感じはしました。

 少しは出来た感触があったけれど、私が知っていると思えるという事は他の受験生もほぼ間違いなく知ってるでしょうから、筆記を合格して、次の面接を受けるまでとても難しい、と思いました。

 もし、今回、かなり低い確率とはいえ、面接まで行ったとしたら、それで受からなければ、ずっと無理だろう、という予感もしました。まだ、そこまで進むこともないのに、面接で落ちるのは、適性がないような気がしていました。

 何しろ、ちょっとホッとしました。今日から、また日常に戻ることになります。

不合格

 それから約一週間、皿を洗っているときにも、ふと心理学の用語が浮かんだり、無理とは思いつつも、もし合格したら、とか。そこで修了して、さらに資格試験も合格して、それから仕事があるのだろうか。と意味のない空想、というよりは、妄想に近いことまで頭に浮かぶので、試験を受けただけで、何かが変わるのかもしれないと思いました。

 介護は変わらずにずっと続いていましたが、いつも以上によく眠れませんでした。

 書類を再確認して、2月10日に合否を郵送する、と知ったので、もしかしたら10日中に着くかも、とも思ったのは、友達に関する30年くらい前の記憶があったからでした。彼女が都内にいて、その友達も都内にいて、朝出した速達が夕方には届く、と嬉しそうに言ったのですが、当然ながら、合否を知らせる手紙は、その日には着きませんでした。

 もし、11日の朝早くだったらチャイムが鳴ってちょっと嫌だな、と思ったのは、この日も夜中に介護をして午前4時頃に寝ているので、できるだけ午前中には寝ていたいからですが、なんだか気になって眠りが浅く、チャイムが鳴ったのは午前11時くらいでした。

 やっぱり気になって、起きて階段を降りていったら、妻に「着いたよ」と言われ、さらには「いっしょに開けよう」と続けてくれて、封筒を開けたら、『残念ながら不合格となりましたので通知いたします』という文でした。

 ああ、やっぱり、と思う気持ちと、がっかりと、また続く毎日と、もしかしたらずっと受かる事がないのではないのかという不安が強めに出ました。でも、これで受かったら、バチが当たるような勉強量だったと改めて思いました。

日常

 勉強もホントにもっと時間を大事に使って知識を身につけて、もう少し恥ずかしくないようになってから、ちゃんと学生になりたい、とも思いましたが、なんだか結果を欲しがっている自分がいて、それはあせりで、年齢が進んでいるから、という事もあるのでしょうけれど、いい加減なにか疲れてきて、いい意味で変化が欲しくて、ということなのかもしれない、と思いました。

 そんなにうまくいくわけもないのに、でも、なんだかごほうびが欲しいのかもしれません。単純にまだ努力が足りないだけなのに、そんなことをふわっと思うのは、疲れがたまっているのかもしれないとも思いました。

 自分としては、浪人1年目という気持ちにはなっていました。若い時の、大学受験の時も1年浪人はしていますが、それと同じになるには、来年には受かられなくてはいけません。

 今日からがんばろう。もっと時間を大事に使って、ラジオの放送も使って、頭に染み込ませるように心理学のこと、英語のことを身につけたい。こういうときに、身体的な言葉が、本当だと思います。

 毎日、地道にやらないといけない。そのことを改めて確認したような気持ちでした。
 英語と心理学を毎日勉強し始めて、丸1年以上がたちます。ということは、2018年いっぱいまでその2つも一日も休まず続けることが出来れば、吉本隆明が言っていたように、合格は別としても、それでも一人前になれるはず、などと思うと、ちょっと希望は持てるような気もしました。

 それは、ずっと合格できないかもしれない、という強めの不安を、自分で打ち消したいからだとも、思いました。

 妻は、スナック「うカール」の空袋を飾ってくれていましたが、それを、あっさりと捨てました。そのワクの中に、今は不合格を知らせる書類が飾られています。これもチャレンジした結果、ということのようです。

  また毎日が始まります。

 ラジカセを買って、放送大学を録画し、聞かないと。
 体にいいイスを買わないと。
 その前に、部屋を掃除して、もっと勉強の時間を増やせるように整えないと。
 さらにその前には、今のカゼを直さないと。

 介護をちゃんと続けながら。

 けっこうやる事があります。
 そんなことを思うと、ちょっとだけ明るい気持ちになりました。

 そして、いい結果を出せたらいいな、と思いました。そうしたら、すごく嬉しいだろうな、とも思いました。


 今回は、以上です。

 次回は、「⑦浪人」の予定です。

(この記事は、当時のメモをもとに書いています。多少の加筆・修正をしています)。


(今はさらに改訂されていますが、この書籍↑は受験の時にも読みました)




(他にも、いろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。


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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
 この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。