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『「介護時間」の光景』(67)「E.T.」。7.21.

 いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

 この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2007年の頃」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います。(後半に、今日、「2021年7月21日」のことを書いています)。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

自己紹介

 元々、私は家族介護者でした。
 1999年に介護を始めてから介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 介護をしながら、学校へも通い、2014年には、臨床心理士の資格を取りました。2019年には公認心理師資格も取得しました。現在は、家族介護者のための、介護者相談も続けることが出来ています。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 仕事もやめ、母の入院する病院に通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けている時には、将来のことは、少し先のことさえ考えられなくなり、ただ、毎日の目の前のことだけを見るようになっていました。それが、2000年から続きました。

 自分が、母の病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでしたが、でも、通わなくなって、2度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、通い続けていました。

2007年の頃

 その日々に少し慣れて、母の症状も安定し、少し自分のことを考えられそうになった2004年の頃、母の肝臓にガンが見つかりました。手術を受け、その時には、いったんは良くなったのですが、翌年、再発し、年齢などの状況もあり、また手術することなどは難しくなりました。

 それから、私が病院へ行く頻度も高くなり、ほぼ毎日、通うようになりました。少しでも、楽しい時間があれば、わずかでも病気の進行が遅くなるかも、という思いもありました。

 どうなるのか分からない時間の中で、2006年には家族で旅行に行き2007年の冬にも旅行へ行きました。

2007年の予定

 その頃の手帳には、「2007年 母の外出・外泊予定」を書いていました。

 「1月 初詣
  2月 熱海旅行
  3月 (母にとっての姪にあたる女性と、久しぶりに会う)
  4月 花見
  5月 実家へ外泊(母にとっての甥夫婦を呼ぶ)
  6月 葉山の美術館
  7月〜8月 箱根 富士屋ホテル or 小涌園
  10月    実家へ外泊
    11月 上野の美術館(?)
       12月 外食」

   この予定では3月までは実行できましたが、4月以降は、母親の体調が悪くなり、5月には、母は病院で亡くなりました。

    葬儀や、様々な手続きなどがあり、時間は早く過ぎましたが、その後、もう病院に毎日のように通わなくて良くなった生活に、なかなか慣れませんでした。家で、妻と一緒に義母の介護は変わらずに続いていました。

 そろそろ、臨床心理学の勉強を、本格的に始めた頃だとも思います。

2007年7月21日

『今日、たぶん、母が死んでから、初めて母の夢を見た

 そばにいるから、
「もう、死んじゃっているんだよ」と言っても、 
 それが声にならず伝わらない。

 夢だったからだろう。

 久しぶりに実家へ行き、草取りをした』


E.T.

    ホームで電車を待っていた。
 線路があって、その向こうにホームがあって、さらにその奥の線路の電車の中。

   乳母車…今はすっかりベビーカーと言うようになったけど、考えたら、乳母を雇える人なんているわけないし、乳母そのものが、何十年か昔からすでにいなかったはずだけど…ベビーカーに布をかぶせて、前後に少しずつゆらすように、あやすように動かしている若い父親。

   そのベビーカーが、乗っている子が似ているというのではなく、全体の感じがE.T.に見えた。

                                       (2007年7月21日)


 それから、介護は続けながら、独学で勉強をし、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、「介護者相談」の仕事を始めた。義母の介護は、さらに続いていたが、2018年の年末に、突然、義母が103歳で亡くなり、介護も終わった。

 昼夜逆転の生活を修正するのに1年以上かかった。その頃、コロナ禍が始まる。「介護後の生活」は3年目になっているのに、「何もできてない」焦りを感じることも多くなった。

2021年7月21日

 あれだけ雨がちだったのがウソのように、毎日、とても暑くて、天気がいい日が続いている。
 
 洗濯を始めようと、少し家の外へ出たら、庭の柿の木にセミが止まっているようで、それも、いつもの「ミーン、ミーン」ではなく、もっとテンポの早いガシャガシャした複数の大きい声が固まりのように降ってくる。
 
 上を見たら、空の青さが強い。

 今日も暑いのは間違いない。

ヘアカットとヘアカラー

 コロナ禍になってから、なるべく外出をしないようにしているのは、妻が持病があることも大きいが、そのこともあり変化したのが、妻のヘアカットとヘアカラーを、自宅でするようになったことだ。

 美容院にもなるべく行かなくなったので、ヘアカットは、私がするようになった。

 自分自身の髪は、数十年もずっとセルフカットをしているので大丈夫だし、母も義母も私がカットしてきた時期があったけれど、妻については、時々、前髪を切るくらいだったから、不安はあったけれど、去年から、何度かヘアカットをし、ヘアカラーを手伝うことによって、少し慣れてきた。

 そろそろカットしてほしい、と言われていた。だから、今日の午後4時からヘアカットを始めて、今の気温であれば、湯冷めをすることもないだろうから、その後の入浴までの予定を立てていた。

 ただ、朝起きて、妻に様子を聞いたら、少し体調が良くないらしいので、もしかしたら、今日はヘアカットとヘアカラーは中止するかもしれない、と思った。

 それでも、その後、体調もそれほど悪くないようだったので、妻と相談して、夜に入浴する前にヘアカットだけはすることにした。
 
 それなら、10分くらいで終わる。

病院

 妻は、持病のため専門病院に長く通っているが、そこは都心部なので、これだけ感染拡大が広がると、怖さもあり、しかし、そろそろ行かないと薬もなくなる。だけど、オリンピックが始まったりすると、余計に都心は怖いのではないか。

 コロナ禍になってから、専門病院へ電話で問い合わせをして、こんな時節なので、一度、処方箋も送ってもらい、そのあとは、地元の病院で薬をもらうことが続いた。しばらく行ってないから、「処方箋代もあるし、そろそろ行った方がいいのかな」という話になった。

 妻が専門病院に電話をして、処方箋代は「今度来た時でいいです」ということが分かったので、まだ、しばらく地元の病院で薬をもらうのを続けることになった。

 その病院には、今日か、金曜日に行きたいんだけど。

 そんな話をした後、妻が昼寝をしている間に、気がついたのは、今週の金曜日はオリンピックの開会式があって、祝日になったのを思い出し、起きた時に、そのことを伝えたら、「じゃあ、今日行ってくる」と、妻は自転車に乗って出かけて行った。

「暑いから、気をつけてね」と言って見送り、それから、1時間くらいで妻は帰ってきた。

パン屋

 妻は、荷物を持って、玄関に入ってきて、そして少し大きめの声で「勘違いしてた。ごめんね」と言って、言葉をつなげた。

 何年か前、地元の駅前に、パン屋ができた。
 それも、天然酵母を使って、歯応えのある重みのあるパンで、うちにとっては高価なので、時々しか買えなかったけれど、妻にとってはお気に入りだった。

 そのパン屋がなくなった、と妻が教えてくれたのは少し前だった。
 見に行ったら、新しくなってた、ということで、だけど、グルメサイトで見ても、「閉店」の文字がなく、ただ、こういう情報は遅れることがあるから、と思いながらも、ちょっと半信半疑だった。それでも、その後、妻が見に行った時は、閉まっていたから、という話を聞いていた。

 それが、今日、パン屋の前を通ったら、やっていた、という。
 新しい建物は隣だった。閉まっていたのは単に休みだったらしい。

 そんな話をしてくれて、だから、「今日は、嬉しくてパンを買ってきたので、夕食もパンでいいかな」と笑顔で続けた。当然だけど、異論もない。

 妻が手を洗って、うがいをしてから、その後に、そのパン屋で買ってきた「あんぱん」一緒に食べることになった。重量感があって、あんもたっぷり入っているあんぱんだった。

 妻はこしあん。私はつぶあん。のはずだった。

 白ゴマがのっているのが、こしあんだと思って、妻が先に食べ始めたら、しばらく首を傾げていて、どうして分からないのだろう、と思って、私が黒ゴマののったあんぱんを食べたら、明らかにこしあんだった。

 どちらが、こしあんか、つぶあんか、妻が迷うのか分からなかった。そうしたら、「あいまいなこしあんだと思ったから」と言われた。

 そこから、あんぱんを交換して、食べた。
 おいしかった。



(他にも介護について、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。



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