介護について、思ったこと③「コロナ禍の介護と看取り」。
コロナ禍になり、1年以上が経ち、介護に関わる方々の負担はさらに大きくなっていると思います。ワクチン接種も始まっていますが、それでも感染する恐怖や、感染させる恐れを持ち続ける日々を、過ごされているのではないかと想像しています。
施設の利用がままならなくなり、負担が増えてしまっている方。
「通い介護」をされていたのが、コロナ感染のリスクから、施設に行けなくなった方。
最悪の場合には、コロナに感染し、直接の面会もできないまま亡くなり、葬儀も満足にできないまま、気がついたら、骨壷に入っていた、という話も聞くようにもなりました。
その大変さや、辛さに関しては、想像もしにくいですし、それを詳細に聞く機会があったとしても、介護者である、ご本人が話そうとする状況でなければ、とてもこちらから尋ねにくく、こうして中途半端な知識で伝えようとすること自体が失礼かもしれません。
ただ、少し古い情報ですが、テレビ番組で、そのことについて、取り上げていたのを遅ればせながら見て、やはり、「コロナ禍の介護や看取り」については、考え続けなくてはいけないことだと、改めて思いました。
「“さよなら”なき別れ コロナによる死」
その番組では、家族をコロナで亡くした方々が、その死に対して、今までとは全く違う状況によって、その悲しさや戸惑いや、どうしたらいいのか、など、言葉にできにくい思いも語ってくれている内容でした。
それは、介護のこととは直接関係ないかもしれませんが、それでも、同じような境遇にあって、そして、今も「どうしたらいいのか分からない」気持ちの中で、暮らされている方もいらっしゃるのでは、と思いながら、録画された番組を見ていました。(番組の内容は、個人的にまとめたものです。詳細は、違う可能性があります)。
20代の女性。ご自分の父親を49歳で、コロナ感染によって、亡くされました。入院して、面会もできなくなり、当初はすぐにでも退院できると思っていたが急変し、だけど、その病状の変化も、病院からかかってくる電話でわかるだけでした。
電話に出られないと、折り返しかけても返信がない場合もあり、気になって夜も眠れなくなるような日々が続き、直接話をしたくてもできないまま、亡くなったのを知ったのも、病院からの電話でした。そして、火葬場も感染リスクを理由に立ち会うことさえできずに、家に戻ってきたときには、骨壷に入った状態でした。だから、実感がなく辛いと、語っていました。
本当に、これまでにないような状況です。
罪悪感と後悔
50代の男性も、番組の中で、話をしてくれていました。
それまで疎遠であった父親がコロナにかかり、そのまま入院し、会いたくて、言葉をかわしたくて、だけど、感染リスクのために、それも叶わず、昨年の4月に、亡くなってしまいました。その頃、母親も入院していて、状況を考えたら、とても父親の死を告げられず、退院後にようやく伝えられたものの、今も母親は、父親の死を受け入れられないまま、時間が経っています。
1年ほど経った現在でも、男性は、母親に対して伝えられなかった罪悪感。自分が父親に言葉を伝えられなかった後悔。ご自身を責める気持ちも強く、とても辛く、あまり眠れない日々が、続いているそうです。
ケアをする人たち
そうしたご家族に対してのケアに乗り出している人たちもいることも、同時に番組では扱っていました。
大切な人を失ったことで、それもちゃんと看取れなかったりした場合、それから時間がたったとしても、同じような立場の人と話をすること。そのことによってケアをしていくこと。そうした対応を、長い目で見て、取り組み続けている人がいることも知りました。
また、この番組に出演していた柳田邦男氏は、このことを「あいまいな喪失」という表現をしていました。さらに、今後は、医療全体で、こうした感染症に対して、その患者さんや、ご家族も含めて、トータルでケアしていくことを考えていくべきではないか、という提言もしていました。
コロナ禍の介護
コロナ禍になり、介護者にも新たな負担が増えたように思います。
私自身は、元々は、家族介護者でしたが、2018年に介護が終わりましたので、コロナ禍の介護の大変さは、本当の意味では分からないと思います。
相談などを通して、間接的に知ることしかできませんが、当然のようにコロナ禍の不安もありながらも、介護を止めることはできないので、コロナ禍以前からの負担や負担感は変わらずに、基本的には、やるべきことも同様なので、大きな変化もありながらも「やっていくしかない」といった覚悟を、介護者の方から感じることも少なくありません。
一時期は、デイサービスやショートステイも利用が難しくなったりしたようですが、その後は、少し緩和したりと、地域によって対応が違うので、なんとも言えないのですが、それでも、今後、どんな変化があるか分かりません。
また、施設や病院に入所や入院している要介護者のご家族がいらっしゃる場合には、ほとんどの場合は、面会そのものが難しくなってしまっているようです。
会いたいけど、会えない。という状況で、今はタブレットなどを使って、映像を通して顔を見られたり、施設によってはガラス越しといった制限された状態ですが、全く姿を見られない時とは違ってきているようです。
それでも、当然ですが、以前とは変わってしまっています。
家族介護者にとって、周囲の状況がどれだけ変わろうと、介護を続ける毎日に変化はないと思われます。コロナ禍によって、「質の違う負担感」が増えていたとしても、それを気にすることによって、返って負担感が増えることもあり得ますので、そうしたことをあえて考えないようにしている可能性もあります。
そうであれば、どうしてもご自分の負担や負担感については、「後回し」になってしまいがちな家族介護者に対しては、私もその一人ですが、周囲の支援者が、コロナ禍の介護負担に関しては、これからも考えていく必要がありそうです。
コロナ禍の看取り
今は、介護の施設の中でもクラスターが発生することがあります。それは、その施設が悪いわけでもなく、どれだけ感染対策をとってもあり得るので、不運な出来事だと思います。
それでも感染してしまった場合は、施設に要介護者が入所している時は、直接の面会がなくなり、そして、そのまま亡くなった場合は、場合によっては、葬儀も満足に行えず、対面できないまま、お骨になってしまうこともあるかもしれません。
介護をしていて、特に認知症の場合は、その症状によっては、家族介護者は、すでに「あいまいな喪失」と言える状況にいる場合もあります。それに加えて、コロナ死によって看取りもできず(看取りをしたくない方もいらっしゃるとは思いますが)、もし亡くなってしまったら、さらに「あいまいな喪失」を経験することになるはずです。
その時には、どのような悲しさや、自責の念や、後悔に苛まれているのか。私には想像するしかできませんが、これまでの「長年の介護の後の死去」とは、また違う負担感になっている可能性も高いと思います。
コロナ禍で、これまでとは「質の違う」負担感がかかってくると思われる今の状況では、これまでとは違う対応が、介護者支援に必要になってくるかもしれません。
まだ、こんな曖昧なことしか言えず、申し訳ないのですが、コロナ禍での「変化」は、これから先もずっと影響が強く残りそうですし、これまでとは質の違う、本当に過酷な状況が起こっていることを、改めて考え続けなくてはいけないと思っています。
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