『「介護時間」の光景』(159)。「影」。6.4.
いつも読んでいただいている方は、ありがとうございます。
そのおかげで、こうして書き続けることができています。
初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
(いつも、この「介護時間の光景」シリーズを読んでくださっている方は、「2002年6月4日」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)。
「介護時間」の光景
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
それは、とても個人的なことで、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。
今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2002年6月4日」のことです。終盤に、今日、「2023年6月4日」のことを書いています。
(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)。
2002年の頃
とても個人的なことですが、1999年から母親の介護を始めて、その途中で、私自身も心臓発作を起こしたこともあり、仕事をやめ、義母の介護も始まりつつあり、2000年の夏には母親に入院してもらいました。
私は、毎日のように2時間ほどかけて、母の病室へ通っていました。帰ってきてから義母の介護をする日々でした。ただ、それだけを続けていました。
自分が、母のいる病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでした。でも、通わなくなって、二度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、通い続けていました。週に3日から5日くらい。休んでも2日続けては休まない、というペースでした。
この病院に来る前、別の病院の医療関係者にかなりの負担をかけられていたこともあり、やや大げさに言えば、白衣に、怖さすら感じていました。
そういう気持ちは、新しい病院に移り、1年半以上経って、病院を信頼するように変わっていき、母の状態も落ち着いていたので、この2002年の6月頃は、自分の気持ちもやや穏やかになっていたと思います。
そのころの記録です。
2002年6月4日。
『昨日は、病院に行った。
部屋の中で、空のペットボトルを5本並べ、それをテニスボールで倒す「ボーリング」を母は毎日ようにしている。そのグッズを入れる箱は、妻が作ってくれた。
そのためか、病院の中で、ボーリング大会をやって、優勝したのよ、と母は嬉しそうに話していた。
穏やかそうで、よかった。
そんなことを思い、少し安心し、だから今日は、病院に行かないで、家にいることにした。
母は少し落ち着いているので、今まで休んでも1日おきだったけれど、時には2日行かなくても大丈夫かもしれない、と思うようになっている。
義母の在宅での介護は、変わらず、続いている』。
影
夜中に部屋で、「ドグラマグラ」という本を読んでいたら、隣の寝室で妻がトイレに起きたので、義母の様子を見に、1階へ降りる。
玄関は引き戸で、格子みたいなガラスになっていて、そこに、たぶんヤモリの影が曲線的にくっきりと映っている。
外から聞こえる変にぺたぺたした足音が、急に止まる。
影を見ていると、この3年間の事が、実はあの時の心臓発作で、すでに自分は死んでいて、今は夢みたいな中にいるような気がしてきた。
(2002年6月4日)
この生活はそれからも続き、本当に永遠に終わらないのではないか、と感じたこともあったのだけど、2004年に母はガンになり、手術もし、一時期は落ち着いていたが、翌年に再発してしまった。そして、2007年に母が病院で亡くなり、「通い介護」が終わった。
義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。
2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。2019年には、公認心理師の資格も取得した。これまでの介護のための昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。
2023年6月4日。
朝起きて、寝たような、寝ていないような、まだ首や肩はちょっと痛い。
頻尿のため、夜中に3回も、4回も起きるので、そのたびに、微妙につらいような気もするのだけど、どうしようもない。
天気はいい。
すでにちょっと暑いくらいになっている。
洗濯ができる。
庭
気がついたら、庭にも小さめの花がいろいろと咲いている。
妻にとっては「雑草という草はない」ということなので、少しずつ抜いたりはしているけれど、庭全体を整えているから、なんとなく、いい感じになっているのは、わかる。
ただ、ハルジオンが、ちょっと10センチくらい伸びていて、虫がついている、他に飛散してはいけないと思って抜いたら、その虫と思ったのは、大雨でついた泥だった。そうしたら、その一本を抜いたことで、そのあたりのバランスが崩れた、と残念そうに妻は語っていた。
それでも、私は、その変化に気がついていない。
今も、いい感じだと思っている。
選挙
今日は、都議会議員補欠選挙の日だった。
候補者は6人だから、ポスターを貼るための掲示板も、いつもよりも小さい。
洗濯を2回して、干して、それから、出かける。
妻の通っていた小学校が投票の会場だけど、いつもの選挙よりも、人が少ない気がする。会場に入って、アルコール除菌をして、選挙の用紙を渡して、名前を確認され、その後に投票用紙をもらう。
そして、投票のために名前を書き込むのだけど、今回は少ないから、一人当たりの文字が大きく、メガネがいらないくらいだった。
あっという間に投票は終わる。
そのあとは、スーパーによって、帰ってきた。
午後5時前に、投票を呼びかける音声が街に響いていた。
「新型コロナウイルス等感染症対策推進室(内閣官房)」
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