『「介護時間」の光景』(123)「月」。8.30.
初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。個人的な経験にすぎず、細切れの記録になってしまいますが、それでも家族介護者の理解の一助になれば、と考えています。
今回も古い話で申し訳ないのですが、前半は、22年前の「2000年8月30日」のことです。
終盤に、今日、「2022年8月30日」のことを書いています。
(※この「介護時間」の光景では、特に前半の昔の部分は、その時のメモを、多少の修正や加筆はありますが、ほぼそのまま載せています。希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。
2000年の頃
個人的なことですが、私にとっては、1999年から介護が始まりました。母の精神的な症状が突然、発症しました。いつものかかりつけの内科医は、血液検査もせず、認知症と診断しました。その後、精神科の病院へ転院しましたが、そこで、血中アンモニア濃度が異常に高くなっていることが分かりました。
精神科の病院で、その治療のために、内服薬を飲み始めたら、二週間ほどで、嘘のように通常のコミュニケーションがとれるようになり、退院しました。それから約1年、実家で母親をみていましたが、2000年の夏頃、母の症状がまた重くなり、再び、母のかかりつけの病院に入院しました。去年の見落としに関しての謝罪も何もないのですが、母親自身が、やたらと信頼していて、他の病院に行く決断ができませんでした。
ただ、病院からは、昼も夜もなく電話がかかってきて、動いてしまう母の症状への対応に、過大なプレッシャーなどをかけられました。結局、私が、母の病室へずっといることになりました。病院のスタッフからは、とにかく迷惑をかけないでください、といったことしか言われませんでした。
ここまでの1年間の疲れもあったかと思いますが、ほとんど眠れない日々が2週間続く頃、私自身が、心房細動の発作に襲われ、「過労死一歩手前」と言われました。その時に、病院のスタッフからは、「大丈夫ですか」の一言もありませんでした。私は、その日は付き添いができなくなりましたが、「今日、みてくれる人はいませんか?」ばかりを、繰り返し看護師からは言われました。
それでも、とにかく24時間体制で付き添いをつけることを条件(その当時は、家政婦で、表立ってではないのですが、その仕事をしてくれる方法がありました)に、やっと入院の継続を許可されているような状況の中で、早く出ていってほしい、というプレッシャーをかけられていました。
精神的な症状の高齢者の長期入院が可能な病院を探し、母の病室にいながら、自分の心臓に不安を抱えながら、いくつか病院をまわり、やっと母に合うと思える病院への転院が決まりました。
とてもしんどい頃でしたが、やっと病院を転院する日が来ました。
2000年8月30日
『午前9時30分頃にお菓子を買って、出発し、午前11時頃にH病院に妻と一緒に着く。
あいさつにこだわる母親。それが、ただうっとしく感じたのは、この病院にはひどい目にあったからだった。
買ってきたシューマイ弁当を、母に食べてもらう。
ここから、次の病院に行くために妻と二人で、準備をする。
まったくうれしくもない。
病院の関係者から、「帰る」という表現が使われていて、なんだかいいことのように言われて、ムカつく。帰るんじゃなく、病院を移るだけなのを知っているのに、ここまでひどい目にあわせてきたのに、どうしてそんなことを、まだいうのだろう。
午後12時10分頃に出る。
一度は、行った道だから、それほどの不安もなく、母も暴れることもなさそうだから、途中で死ぬかもしれないと思った去年とは違う。
1時間くらいで転院する病院に着いた。
病院の入り口を入ると、車イスに乗っている母の視線に合わせるように、腰をかがめてくれるスタッフばかりで、さっきまでの病院では考えられないことだったけれど、やっぱり、ありがたい。
診察室へ入ると、声の小さい精神科医が、母のことを色々と聞いてくれる。
母は、昔のことも含めて、話をしている。
医師に言われる。
「もう一度急に悪くなる可能性もありますね。その時のために、家裁で前もって手続きをする手もありますが…」。
「それは、悪くなってからやります」と答えていた。
違う病院なのは頭で分かっているけれど、前の病院で判断ミスはするし、謝らないし、ただ責めるし、それで、私が母の病室で心臓の発作を起こした時も、大丈夫ですか?の一言もなく、ただ、「今日、みる人はいませんか」しか言わなかった。
それからまだ1ヶ月くらいしか経っていなくて、だから、医者というだけで、気持ちが身構えてしまっていた。
でも、根拠もなく、「大丈夫でしょう」しか言わなかった前の病院の内科医よりは、全然いい。
任意入院という言葉に、母にも緊張が走ったようだったけれど、自分で名前も書けたし、家裁にも行かなくていい。
まだ、病院を探していて、ここにきたときに、気持ちがいい病院で、少しこじんまりしていて、母に合っていると思った時の印象は変わらないけれど、診察や手続きで1時間くらい経って、まだ身構える気持ちもほとんど変わらなかった。
ただ、やっぱり、調子が悪くなって、母と意志が通じなくなる時が、また来るかもしれない、という覚悟はできた。
4階に行く。病棟には、当然のように認知症老人ばかりだった。
ゆっくりした時間が流れている。
母は個室だった。料金は高いけれど、個室しか空いていなかった。
抹茶色の壁。段差はあるけれど、ウォシュレットのあるトイレ。
木の小さい机とイスが2つ。小さめの流し台。
窓の外は緑。
落ち着くことは、落ち着く。
テレビも運ばれてきた。リモコンがないので、頼んだ。
そこに医師が来る。この階担当の内科医だった。
少し話をして、できたら、原因が知りたいです。前の病院では、見落としもありましたし、といったことを伝えたら、困った顔をしていた。
医者というものが、まだ全面的に信じられない。
でも、ここにも血中アンモニア濃度が上下するような患者さんもいるらしいと知る。
母の病室で、私と妻と母でゆっくりはできた。妙なプレッシャーをかけられないだけでも、気持ちが楽だった。
母は横になっていて、誰かの悪口を、まだ言っている。
なんだか嫌になる。
午後5時40分になって、病室の外の食堂に患者さんが集まり始める。
うめき声のようなものが聞こえる。
病室のドアを閉めて、母は、食事を始める。
それを見ていると、結構普通に食べている。
最後に相談室へ行って、入院費の最初として、10万円払った後に「重くなったら、病棟を変わるかもしれないと言われたのですが、軽くなったら、どうなるんでしょう」と尋ねたら、「それより今は、少し休まれた方が」と言われる。
確かにそうだった。
でも、軽い気持ちにはなれない。もし退院になったとしたら、どうなるか分からない。
内科医にも聞かれた。
「将来は?」
一応、いろいろな答えをしたのだけど、将来なんて、もう何もない。それに改めて気づく。
親が生きている限り、将来はない。
午後7時頃、病院を出る。
親を捨てた感覚は、ずっとあったし、変わらなかった』。
月
クルマで母を入院させたので、そのまま運転して、実家へ戻った。
月が出ていた、と思う。
広い空に、とても大きい月が出ていた。
妙に黄色かった。
(2000年8月30日)
それから、母の病院に通って、自宅に帰ってからは、義母(妻の母親)の介護をする日々が続いた。
そんな生活が続き、感覚的には永遠に続くようにさえ思える時もあったが、2007年に母は病院で亡くなった。そのあとも、義母の介護を妻と一緒に続け、その合間に勉強をして、2010年には大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得した。
介護を続けながら、「介護者相談の仕事」も始めることができたが、2018年の年末に、義母は103歳で亡くなり、介護生活が終わった。翌年には、公認心理師の資格も取得した。その後、体調を整えるのに、思った以上の時間がかかり、そのうちにコロナ禍になっていた。
2022年8月30日
先週は、コロナワクチンの4回目の接種を終えた。
毎週のように、新規感染者数世界最多、という言葉を聞くことが多い夏になってしまったが、ワクチンで、少し安心するかと思えば、そうでもなくて、今の自分の生活環境では、何しろ、感染しないことがテーマだから、緊張感はあまり変わりがない。
ちょっとした体調の変化で、感染したかも、と気持ちが揺れる日々は続いている。
それでも、ものすごく暑い時に比べたら、30度近い気温があるとしても、ちょっと涼しく感じるくらい、夏が終わりそうになっていて、そこは少し楽になってきた。
庭の柿の木に、緑色の実がたくさんなってきている。
これから、たくさんの実が落ちて、残ったものが色づいて、また柿の色になるのかと思うと、何があっても、変わりなく季節が変わっていくのだと思う。
介護が終わって、4年目になるのに、まだ何もしていない気持ちになって、なんだか焦って、そのことで、嫌になったりすることもある。
(他にも、いろいろと介護について書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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