「介護時間」の光景㊸「屋根」。1.26.
はじめて読んでいただいている方には、記事を見つけていただき、ありがとうございます。いつも読んでくださる方には、繰り返しになって申し訳ありません。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
元々は、家族介護者でした。介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。
ただ、そうした支援をしている専門家がいるかどうか分からなかったので、自分でなろうと思い、臨床心理士の資格を取りました。
(詳細は、下記のマガジンを読んでいただければ、ありがたいです)。
「介護時間」の光景
そして、この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
特に、仕事もやめ、母の入院する病院に通い(リンクあり)、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けている時には、少しでも将来のことは考えられなくなり、ただ、毎日の目の前のことだけを見るようにしていました。そのためか、周囲の違和感や小さな変化にかなり敏感だったような気がします。
今回は、古くて申し訳ないのですが、20年前の2001年1月26日のことです。前回(リンクあり)より、1週間あとです。
後半は、今日のこと(2021年1月26日)を書いています。
同じ日付の、違う年の出来事を並べることで、家族介護者の変化のようなものも少しでもお伝えすることができるのではないか、という気持ちもあります。
介護に専念している頃は、辛さを少しでも和らげようとしていたせいか、(リンクあり)毎日のように、よくメモをとっていました。その時の記録です。
2001年1月26日
『夢を見た。
何かの文化祭で、バスに乗ると、ギャラリーの中を走っている。ダンボール製の妙な人形が並ぶ。
いつの間にか、どこかの教室にいる。
絵を描くコンテストに参加している。
どんどん描いていく。同じ大きい板に、参加者がみんなで描いていて、隣の中年女性が、水色と白で、どんどんこちらへ侵食してくる。
しょうがないから、もっと上へ。天井に貼ってある板へ描き続ける。
だいだい色。だいだい色。そして黒。
熱が出るくらい集中していて、いつの間にか終わりの時間になって、「足跡で判定するんだ」と言われて、移動距離だけは長かったので、ダントツで1位と言われる。
いつもよりも少し遅くて、午後4時50分頃に病院に着く。
いつも開いている個室の扉は閉まっていて、母は横になっている。
嫌な感じは少ししたが、昨日、来たことは覚えていた。
普通に時間が過ぎる。話をして、肩をもんで、病棟の中を一緒に歩く。
「モニラックを抜いて、血液検査をしましょう」と言われたそうだ。
病院の院長の顔を、初めて、少しだけ見かける。
夜の8時になる。
面会時間を少し過ぎたせいもあり、カギが閉まっている。いつものドア上部だけではなくて、もう一つの真ん中付近のカギまで、しっかりと閉まっている。
閉鎖病棟の実感が、久しぶりにした。
だから、ナースステーションを通らせてもらって外へ行く。
母は、その間にもトイレに行っていて、ドア越しに「さよなら」と言われる。
病棟の中には、「玄関は」を繰り返し、荷物を持って歩き回っている人が、一人。イスに座ってずっとしゃべっている人が、今日も一人いた。
来るたびに、同じ光景を見ているような気がしているけれど、それでも、微妙に変化はあって、時間はここでも止まっていない。
何ヶ月か前、折り畳みカサを駅の構内で落としただけで、カサの柄のところが、本当にキレイに真っ二つに割れたことがあった。それには驚くよりも、やっぱりという気持ちになった。そういう時に、妻は、すごい不幸のパワーみたいなのを感じていた、と後になって言われた。その「不幸のパワー」が薄れてきていると思う頃、そういうことを言ってくれたらしい。
たぶん、狂気も吸っていたんだよ。
それが、今になって、少し中和されてきたんだよ。
大げさかもしれないが、そんなことを思った』。
屋根
大船駅。東海道線。夜。
時間調整、急行を先に通すという目的で4分止まる。いつもの事だけど、また止まるんだ、とアナウンスを聞いて、思う。
座っている席から外を見る。キオスクの屋根とホームの屋根。そのすき間から見える大船観音の横顔。思ったよりも切れ長の目。
(2001年1月26日)。
今日は、2021年1月26日。
介護が突然、終わってから、2年以上が過ぎた。
午前5時就寝の介護のリズムが、だんだん直ってくるまで1年がかかった。
もう介護をしなくていいのだから、家族介護者の支援の仕事をしたいと思っているのだけど、当然だけど、需要がなければ、広がりもない。
介護相談の仕事は、紹介をしてもらって始められたから、とても恵まれているのは間違いない。さらには、そこから、次の4月からも続けられるから、8年目になる。それは、周囲のスタッフの方々が力を尽くしてくれているから、継続できていて、それも、とてもありがたい。
家族介護者に対して、何か具体的な手助けをするわけでもなく、基本的には、ただ話を聞いて、少しでも気持ちを楽にしてもらう、という「介護相談」は、話だけを聞くと、今だに必要性を疑われることもあるが、私自身は、年数が重なるほど、その必要性は増していると感じている。関わってもらった方々にも、同様の感想を言ってもらったりする。
だけど、それ以上、「介護相談」の仕事は広がっていかない。自分の無力を感じる。
自分だけの問題ではなく、介護の問題を考えたら、「介護相談」のような、家族への心理的支援の窓口は、少なくとも、例えば東京都23区のすべてにあってもいいのに、私が「介護相談」を始めた頃から比べても、ほとんど増えていない、と思う。
成果が上がらないこと
さらには、昨年、やっと体調が戻ってきたら、コロナ禍となり、外出をなるべく避ける生活になった。
そういう中でこそ、大学院の時に書いた修士論文(400字詰めで400枚は超えていると思います)を元にして、書籍化したいと考え、研究に協力してくれた介護者の方々に改めて許可を得ることから始め、出版社に企画書を送り、幸いなことに編集者の方と会うことができて、編集会議にかけてもらう、といったところまで話は進んだのだけど、それきり、連絡は途絶えた。
昨年の年末には、自分の力不足でなかなか進まなかった研究が一応の形になり、やっと学会で3回目の発表もできたのだけど、その介護をテーマにした発表に関して、いろいろな意味で自分の力不足で、反響が極端に少なかった。
無力であること
大学院に入学したのは、2010年で、その時に、介護者の心理的支援について、周囲があまりにも感心が薄く、年齢的に若い人が多いこともあり、それも当然だと思ったので、それから、ことあるごとに、なるべく介護者への理解のためにも修士論文にしたり、時には、講座という形で話をさせてもらったりして、10年がたった。
少しは理解が進んだような気さえしていた。
だけど、2020年の書籍化や、学会のことが、思った以上に成果が上がらず、そのことで、自分の10年単位で取り組んできたことが、何にもならなかったような気がして、無力感に強く囚われていた。それは、まだ自分がやれることをやっていない、ということかもしれないが、それでも、新年が明ける頃、改めて、自分の不運を思った。
運がない人間は、どれだけ努力しても、それが実を結ぶことはないのではないか。
さらには、緊急事態宣言も出て、そういう中で、自宅療養中で亡くなる方が増えている、というニュースが入ってくるようになった。今、感染したら、私も心臓の病気が完治しているわけでもないし、妻は喘息を持っているから、(どちらも介護中になってしまったのを、こういう時は改めて思う)、それは怖い知らせでもあった。
不運であること
そういう無力感だけでなく、恐怖や不安は、思った以上に強く気持ちの中に居座り続け、それでもやれることはやっていくのは変わらないが、だけど、結局は、どれだけ頑張っても成果が上がることはない。そんな気持ちで毎日を過ごしていて、なんだか辛くなった。
それは、貧乏とはいえ、妻と二人で生活を続けられているのだから、そして、もっと仕事を増やさないと、近年で完全に行き詰まるのは分かっているとはいえ、それでも、現状では、恵まれていると思うことはある。
だけど、その上で、やっぱり、ついてない人間はダメなのではないか。
そんな気持ちが、黒く広がり過ぎているので、緊急事態宣言で、外出自粛をしているけれど、介護で厳しい時にも気持ちを支えてもらっていたので、こういう時には、アートに触れたいと思った。平日の昼間なら、混雑を避けて、感染リスクを下げて、見に行きたかった展覧会に行けるかもしれない、と考えた。
夜中に、この雑誌↑を見て、美術館の現在を改めて知った。弘前の倉庫はちゃんと美術館になったんだ。十和田現代美術館には一度は行ってみたい。所沢の新しいミュージアムは、こんなに思い切った造形だったんだ。美術館のカフェの紹介もあって、そのメニューはすごく魅力的だった。
行ってみたい。
思わず、そんな独り言を言ってしまうほど、自分に足りてないものに、気が付く。
だけど、今日起きたら、微妙に体調が優れず、だから無理せずに出かけるのをやめた。
やっぱり、ついてない人間はダメだと思った。
とりあえず、洗濯をした。
励まし
妻は、そんな私を見て、励ますよ、と言って、最近、ありがたいことに、近い親戚にいただいたクオカードを使って、私たちにとっては、「高いスイーツ」を買ってきてくれると出かけた。
おやつ買ってきたからといって、元気になるわけじゃないと思うけど、一緒に食べよう。
帰ってきて、一緒に食べた。
チョコレート好きな私のことを考えてくれて、いつもは買えないちょっと高いチョコレートのお菓子を買ってきてくれた。
おいしかったし、ありがたかったし、うれしかった。
(他にも介護のことを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、ありがたく思います)。
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