『「介護時間」の光景』(137)「帰りのバスターミナル」。12.24.
いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。
初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
「介護時間」の光景
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
それは、とても個人的で、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。
今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は、22年前の「2000年12月24日」のことです。終盤に、今日「2022年12月24日」のことを書いています。
(※この「介護時間の光景」では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています。希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです。また、いつもこのシリーズを読まれている方は、「2000年12月24日」から読んでいただければ、内容の重複が避けられるかと思います)。
2000年の頃
個人的なことですが、私にとっては、1999年から介護が始まり、2000年に母の症状がまた重くなり、それまでの母のかかりつけの病院に入院すると、昼も夜もなく電話がかかってきて、動いてしまう母の症状への対応に、過大なプレッシャーなどをかけられました。
それまでの1年間の疲れもあったかと思いますが、それが2週間続く頃、私自身が、心房細動の発作に襲われ、「過労死一歩手前」と言われました。
それでも、そのあとは、とにかく24時間体制で(プロでも構わないから)付き添いをつけることを条件に、やっと入院の継続を許可されているような状況の中で、早く出ていってほしい、というプレッシャーをかけられていました。
精神的な症状の高齢者の長期入院が可能な病院を探し、母の病室に泊まり込みながら、自分の心臓に不安を抱えながら、いくつか病院をまわり、やっと母に合うと思える病院への転院が決まりました。
病院自体は、こじんまりとして、入った瞬間にホッとするようなところでしたが、そこに着くまでは、最寄りの駅から、バスに乗り、20分はかかるところで、坂道を上り、さらに上がっていき、どこまで行くのだろうと、不安になるような場所でした。
2000年の8月に転院してから、片道2時間ほどをかけて、とにかく病院に通っていました。家に帰ってからは、義母の介護を、妻と一緒にするようになり、仕事を辞めざるを得ませんでした。
私は、時々、めまいを起こしながら、毎日のように病院へ通っていました。自分が通っても、母の症状にプラスかどうかも分かりませんでしたが、もし、行かなくなって、コミュニケーションがとれない状態のままになるのも怖くて、ただ通っていました。
この病院に来るまでの、以前の病院での出来事のために、医療スタッフ自体に恐怖を覚えるようになりました。だから、転院した病院に関しても、まだ信じることができず、伏目がちに病室へいって、帰ってきて、家では義母の介護をしていました。
ただ、暗い場所にいるような気がしていました。
2000年12月24日
『午後4時過ぎに病院に着く。
母は、廊下の向こうから、ふわっと、完全にぼんやりした感じで、歩いてくる。
花が好きなので、花が主役の雑誌を買って持っていったのだけど、それが、布団の上に乗っている。布団が軽すぎるといって、置いてあるようだ。
窓の内側に障子があるのだけど、いつもと、逆の方向に寄っている。それだけで、ちょっと部屋の風景が違って見える。
「食べすぎちゃうのよ」。
そんなことを母が言うのだけど、どうやら夕食の時も、少し騒いでいるらしい。
昨日のことも、おとといのことも、覚えていない。
午後5時30分の夕食の時間が近づく。落ち着きがなくなってくる。
「ほんとのごはんは入らない」と、不満顔をしている。
「ほんとに入らないのよ」と繰り返す。
最近、ほんとのごはんというのだけど、その意味はわからないままだった。
夕食のテーブルに行き、時間になったので、用意される。
まだ、一口か、二口くらいしか食べてないのに、「ほんとのごはんをたくさん食べたから、入らないのよ」と言い始める。
そのうち、薬は飲まないといけないので、もう少し食べることを勧めて、半分くらいは食べてくれた。ちょっとホッとする。
「もう食べられない」と言うので、食器も含めて、下げようとして運ぶと、今度は「やっぱり食べる」と言うので、また持ってくる。そうすると「もういらない」と言い、それで、下げると「やっぱり食べる」を、3回くらい繰り返すので、もうやめて、下げてしまった。
「お腹空くんじゃない?」と、母は怯えた顔をしているので、「大丈夫だよ」と答える。その繰り返しが何度も続く。
他の患者さんが「入れ歯入れて」を何度も繰り返しているのだけど、入れ歯を入れると、嫌がっているようだった。
母親は、病室に戻って、料理番組が始まっていて、そこに気を取られて、おなかすくんじゃない?のこだわりを忘れてくれたようで、ちょっとホッとする。
しばらく、テレビを一緒に見ていると、急に「寝たい」を言い始め、横になる。布団に入って、「布団の上に本を乗せて欲しい」と言うので、その言葉に従った。
それでも、今日は、おかしな時間は少なくなったし、気持ち悪いといって吐いたりすることもなかった。
午後7時をかなりすぎてから、病院を出る』。
帰りのバスターミナル
毎日のように病院へ行き、母と話をして、少しホッとする瞬間が帰りのバスのターミナルだから、周りのいろいろな出来事がやっと気持ちの中に入ってきて、だから印象に残るような気がするんだと思う。
午後7時55分。大きな時計が、向こう側に立っていて、光って見える。ベンチに座ってバスを待っている。バス停は、3つも4つもあるけど、他に誰もいない。本当に一人しかいない事は、8月からでも初めてだった。
運転手以外には誰もいないバスに乗る。出発して、少したって、坂道を下る。ここまででもいくつかバス停があるけれど、誰も乗ってこない。私がいなければ、誰も乗っていないのに、ただバスが走っていたことになったのだ、と無意味かもしれない仮定を考える。
外は暗い。少し平たい道を走り、再び、坂道を降りて、甘沼、というバス停まで誰も乗ってこなかった。そばのバイクショップのシャッターには「SWEET MARSH」という文字。今日はクリスマスイブ。
(2000年12月24日)
こうした生活がずっと続いたが、2007年に母は病院で亡くなった。そのあとも、義母の介護を妻と一緒に続け、その合間に勉強をして、2010年には大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得した。
介護を続けながら、「介護者相談の仕事」も始めることができたが、2018年の年末に、義母は103歳で亡くなり、介護生活が終わった。公認心理師の資格は2019年に取得できた。
その後、体調を整えるのに、思った以上の時間がかかり、そのうちにコロナ禍になっていた。
2022年12月24日
毎週、土曜日は、仕事に出かける。
コロナ禍になって以来、ずっと感染に気をつける日々が続いていて、平日は通勤ラッシュがあるので、経済的には厳しいままだけれど、他の日は、なるべく家にいるようにしている。
夕方には、仕事を終えて、家に戻ってくる。
イルミネーションが、あちこちにある。
相談
今日はクリスマスイブなので、外出した帰りにキラキラした店でケーキを買ってこようかと思って、妻と相談をした。
そんな話から始まり、次は近所のコンビニで買うために待ち合わせをしようということになり、結局、妻が近所のスーパーでケーキとチキンを買うことになって、私は帰りは、何も購入しなくてよくなった。
それは、木曜日に、私の体調が少し悪かったので、それを心配してくれたようだった。
ケーキ
家に帰る途中に、公衆電話から電話をしたら、予定通り買い物もしてくれたので、何も買わずに帰ってきて大丈夫と言われる。
午後5時を過ぎると、もう暗い。
家に戻ると、ショートケーキ2個入りのパックと、チョコレートケーキ2個入りの、両方を買ってくれて、どっちにする?と話をして、今日は、チョコレートケーキ、明日はショートケーキになった。
それを食べながら、毎年1回の、特に妻が好きな録画したテレビ番組を見る。
22年
今から22年前には、こういう穏やかなクリスマスイブのイメージさえ浮かばなかった。
18年間、介護生活が続くこと。
大学院に通って、臨床心理士になり、自分でも細々とながら支援を始めること。
当然だけど、2000年の時には、そんなことは全く思いもしなかったし、ただ、先が真っ暗だから、目の前のことだけを考えていて、感情もあまり動かなくなっていたのは覚えているのだけど、あの時の不安だけしかない気持ちは、実感として思い出せなくなっている。
そういう意味では、ゆるい日々になっているのだけど、介護中に私も心臓に持病を持ち、妻はぜん息になってしまったので、とにかく感染しないように、という違う種類の緊張は、今も続いている。
コロナ禍のような状況になることも、22年前には、当然だけど、全く予測ができなかった。
(他にも、介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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