「介護時間」の光景(156)「トラブル」。5.9.
いつも読んでいただいている方は、ありがとうございます。
そのおかげで、こうして書き続けることができています。
初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
(いつも、この「介護時間の光景」シリーズを読んでくださっている方は、「2002年5月9日」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)。
「介護時間」の光景
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
それは、とても個人的なことで、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。
今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2002年5月9日」のことです。終盤に、今日、「2023年5月9日」のことを書いています。
(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)。
2002年の頃
とても個人的なことですが、1999年から母親の介護を始めて、その途中で、私自身も心臓発作を起こしたこともあり、仕事をやめ、義母の介護も始まりつつあり、2000年の夏には母親に入院してもらいました。
私は、毎日のように2時間ほどかけて、母の病室へ通っていました。帰ってきてから義母の介護をする日々でした。ただ、それだけを続けていました。
自分が、母のいる病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでした。でも、通わなくなって、二度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、通い続けていました。
この病院に来る前、別の病院の医療関係者にかなりの負担をかけられていたこともあり、やや大げさに言えば、白衣に、怖さすら感じていました。
そういう気持ちは、新しい病院に移り、1年半以上経って、病院を信頼するように変わっていたのが、この2002年の5月頃だったように記憶しています。
そのころの記録です。
2002年5月9日
『朝起きたら、後頭部の左側がしびれていて、うわっと思っていたら、少し経つと、治った。
午後4時10分ごろ、母の病院に着く。
母と一緒に買って行ったプリンを食べる。
「今日、隣の人が亡くなったのよ。
夜中も人がきていたの。それで、今日は、昼食は部屋で食べたの。
ドアを閉めてくれてね……。
Mさんに、なんで、閉めてるの?聞かれたけど」
母は、入院してから、同じように入院している人と仲良くなって、それは、こちらもうれしく、ありがたかったのだけど、初めて部屋で食べた、というのは、ここにきたころ、毎日のように部屋で食べたのは、もう2年前だし、忘れているのは自然かも、と思った。
頼まれていた折り紙を和紙のタイプにしたのだけど、それは、喜んでくれて良かったし、その気持ちが続いているためか、ニュースで、新しい観光地の話題になったのが、実家のある地域だったけれど、そのことでも、笑ってくれた。
夕食は、かなりゆっくり、50分かけて、終わる。
そのあと、トイレへ行く。
部屋のトイレが段差があるせいか、母はうまく使えなくて、いったん廊下へ出て、別の部屋のトイレを使っているのだけど、隣は男性の部屋だから、2つ先の部屋へ行くように、と言われているらしい。
トイレに10分以上、入っている。少しトイレが長くなっているのだろうか。と思いつつ、呼びに行く。
別に何事もなく、なんとなくぼんやりしてるだけだった。
そして、午後7時頃、病院を出る。
結構肌寒い。
ここのところ、1日おきに寒かったり、暑かったり、かなり気温の上下がある。
その差が激しい日が、まだ続くそうだ』。
トラブル
電車に乗って、乗り降りで開いたり閉まったりする金属製のドアを見たら、横に流れるような細かいキズが、やけに多いなと思っていたら、車内アナウンスで「お客様同士のトラブルの原因になりますので、車内での携帯電話のご使用はご遠慮ください」と流れた。
トラブルの原因、という言い方は初めて聞いた気がするけど、今はその人達はいないにしても、ついさっき、そういうトラブルがあったんだろうか、と思わせるような声の響きでもあった。
(2002年5月9日)
この生活はそれからも続き、本当に永遠に終わらないのではないか、と感じたこともあったのだけど、2004年に母はガンになり、手術もし、一時期は落ち着いていたが、翌年に再発してしまった。そして、2007年に母が病院で亡くなり、「通い介護」が終わった。
義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。
2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。
2023年5月9日
天気がいい。
電線にかかっていたので、かなり切り落とした柿の木は、枝が減ったように見えるけれど、それでも葉っぱは茂ってきて、まだ新しい緑がきれいだった。
昨日、たまっていた洗濯物を洗ったので、今日は、少なめで、だから、まだ洗濯機を回すのをやめている。
5類移行
昨日の月曜日から、新型コロナウイルスは「5類移行」になった。
でも、人間側が、「5類」に移行したとしても、ウイルスは変わるわけでもない。
自分も体が強いわけでもなく、妻はぜん息を持っているから、これからも同じように感染しないような生活を続けることになるが、社会全体が対策を緩和すれば、これまで以上に感染が広がる可能性もあるので、もしかしたら、より気をつける生活になるかもしれない。外出自粛も続きそうだ。
ご近所にも高齢者が多く、今も介護を続けている人にとっても、ずっと注意を持続することになるのだろう。重症化するリスクの高い人たちにとって、もっと孤独な戦いになりそうで、その不安が強い。
ドラマ
まだ感染予防を優先させる必要が続くから、外出できないと仕事も減り、経済的には厳しくなることが多く、だから、これからもギリギリな状態は続くけれど、それでも、外出をしなくていい時は、家にいて、静かに暮らせる。
テレビ東京は、ここ何年か、やたらと「食事」をテーマにするドラマが多いのだけど、この「かしましめし」は、長く見てきた、同じ時間帯のバラエティを見るのを諦めて録画するくらい、妻も気に入っているテレビドラマだと思う。
私も見ていて、複雑で繊細なことも、この長くない時間で描こうとしていて、感心もしているが、録画したのを見ながら、プリンに、妻が買ってきてくれたアイスと、缶詰のモモを添えて食べていると、妻が「楽しいね」と笑っていた。
それは、なんだかうれしく、ありがたいことだった。
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