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『「介護時間」の光景』(71)「ポスター」「トラック」。8.20.

 いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。
 

 この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2001年8月20日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います。
(前半は、「2001年8月20日」のことを、後半に、今日、「2021年8月20日」のことを書いています)。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

自己紹介

 元々、私は家族介護者でした。
 1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 介護をしながら、学校へも通い、2014年には、臨床心理士の資格を取りました。2019年には公認心理師資格も取得しました。現在は、家族介護者のための、介護者相談も続けることが出来ています。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

2001年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。自分が心臓の病気になったこともあり、仕事は辞めて介護に専念せざるを得ない状況でした。

 自分が、母の病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでしたが、でも、通わなくなって、二度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、通い続けていたのが2001年の頃でした。

 転院当初は、それ以前の医療関係者にかなりの負担をかけられていたこともあり、最初は、うつむき加減で通い続けていましたし、1年たっても、次の病院への信頼が、まだできませんでした。

 そのころの記録です。

 毎日のように記録はとっていました。周囲の小さな変化に対しても、今よりも敏感だったような気もします。

2001年8月20日

何か夏休みが終わった気分だった。
 ここ1週間、続けて、外出をした。病院にも来ていたけれど、
母が病気になって以来、そういうふうに外へ出かけたのは、初めてだった。

 アートも見に行ったし、人にも会ったし、気分はいい。

 いつものように出かける。
 午後4時30分頃、着く。

 母は、しばしばした目をしている。だけど、少しうれしそうな顔をしている。
「今日は29日?」
 そのあたりの、ズレは変わらない。

 トイレは、多い。
 40分で2回行っている。
 1回行くと、5分以上は戻ってこない。

 母と一緒に病室で、買ってきた水ようかんと、葛桜を食べた。

 食事の後、すぐにトイレに行って、5分くらい入っていて、その後に戻ってきて、30分で、さらに2回行った。

 そして、またトイレに行って、午後7時近くになっていたけれど、母はにこやかに、テレビを見ているから、少し安心もして、少ししゃべって、さらに時間が経ち、そうこうするうちに、午後7時になって、病院を出る』。


ポスター

 いつもの送迎バスに乗る。道路を隔てた場所に高齢者のための施設がある。

 バスが動き始めて、その施設を見ていたら、階段の小さい窓から、ちょうど張ってあるポスターが見える。若い女性が笑っている。そこから、さらにバスは角度を変えると、そのポスターと小さい窓がすき間なくぴったりと重なる瞬間があった。

 女性が、こちらに笑いかけている。それから、バスはさらに動くと、ずれて、その笑顔も見えなくなった。


トラック

 送迎バスが走っていると、クルマとすれ違う。右側に座っている時は、そのクルマがすぐ隣を走っていると思える時もある。向こうからトラックがやってきた。大きさやその走行音や、もしかしたら、かなり車線ギリギリだったのかもしれない。すれ違う時、恐いと感じた。

 初めての事だった。
 バスの車内はけっこう人が乗っている。いつもは、病院のスタッフがほとんどだから、顔見知り同士が多く、何かしら会話が聞こえながら、駅のそばの病院まで走っていくのに、今日は会話や声がまったく聞こえなかった。約20分。目的地に着いた。こんな事も初めてかもしれない。
             
                                                              (2001年8月20日)


 その後、2007年に母が病院で亡くなった。妻と一緒に義母を自宅で介護する生活は、さらに続いた。2018年の年末に、義母が103歳で急に亡くなり、介護生活も終わった。だけど、19年間の介護生活に心身が適応していて、それが修正されるのに1年以上がかかった。その頃、コロナ禍になった。「介護後の生活」が3年目になり、何もしていない感覚が続き、焦りが募ってきてもいる。


2021年8月20日

 ついこの前まで雨が降って、気温が下がり、肌寒いと言っていいような日が続いていた。
 それがウソのように、また暑い日に戻った。

夏の終わり

 朝から家の庭の柿の木にまでセミが止まり、ものすごい音量で鳴いている。それも見えるだけで二匹いた。
 昨日は、ミーン、ミーン、ミーンだったけれど、今日は、違う鳴き声なのは分かる。

 洗濯物を干すために外へ出て、柿の木に近づいたら、セミがどこかへ飛んでいく。それを追うようにアゲハチョウがゆらゆらと飛んでいき、視界から消えたら、今度は、別のところから、違うアゲハチョウが曲線を描いて、近づいてきて、また遠ざかっていく。
 何だか、混雑している。

 セミの声も、チョウの飛び方も、どこか切実さがあって、必死で、もうすぐ夏が終わるのではないか、という気持ちになる。

終わらない感覚

 新規感染者は、毎日のようにとんでもない数字になっていて、そして、重症者も増えている。
 感染しても、もう、病院に入院することさえできなくなっているようだ。
 それは、もう日常が崩壊していることだから、やはり怖い。

 ワクチン接種は、地元の行政で2回目もうつことができたので、それは幸運だと思っている。そして、それから少しは、活動ができるかも、と思っていたら、次はデルタ株という名前を聞くようになった。とんでもなく感染力が強く、ワクチンが効かない、というようなことまで言われ始めている。

 他の方々も同じだと思うけれど、家にこもるような生活を1年以上続けてきた。
 それは、持病を持つ家族がいたせいもあって、貯金を崩しながらでも、感染のリスクをなるべく減らしたいからだった。

 だけど、まだ終わらない。
 どこまで耐えられるのだろうか。

 そんな時でも、こんな意味が分からない「パラリンピックの学校連携観戦」が行われようとしていて、感染が減少するわけもない。
 どうすればいいのだろうか、と何だか絶望的な気持ちになる。

読書

 先日、図書館で本を借りてきた。

 妻に渡したら、最初は苦戦していたが、読み続けている。

 理由を聞いたら、ずっと雑貨は好きだったから、という答えが返ってくる。
 それでも、読んでいる姿は時々つらそうで、とても眠そうな顔になっている時もあり、読み進むたびに、読めない漢字が増えていくようだ。

 妻にとっては、苦手な文章のようだけど、雑貨のことが書いてある、という点で読み続けている。
 何だか、すごいと思う。

修理

 チャイムがなった。
 この前、水道管が水漏れした時に、それを直してくれたご近所の人だった。

 その時、御礼を渡したのだけど、多すぎると言ってくれて、古い木造の家の、玄関の引き戸と、勝手口の壊れているところを直してくれる、と言ってくれていて、今日、天気がいいので、道具を持って、やってきてくれた。

 玄関の引き戸の一つがはずされる。
 滑りが極端に悪くなっていた。そのご近所の人の見立てでは、車輪のようなものを変えれば、元に戻るはずだったのだけど、状態はもっと悪かったらしい。ちょっと腐っているように壊れていて、その部分から補修をしないと、ダメだという。

 音がする。

 飲み物を出す。
 さらに作業は続く。

 思ったより時間がかかったようだ。今日は、玄関は、短めに終了し、勝手口の修理をしてくれる予定だったけど、それが、玄関のダメージが思ったよりも大きく、そして、何時間かたったし、気温は高いし、といったことで、今日は、玄関を直してくれて、作業は終了となった。

 閉めるのにコツが必要だった玄関の引き戸が普通に動く。閉めた時に、空いていたすき間もほぼなくなり、とても快適になった。

 だけど、ご近所の人は、もっとスムーズになるのでは……と言いながら、また明日、勝手口と、玄関の引き戸も、もう一度見てみたい、という話をして、帰っていった。

 とてもありがたいことだった。




(他にも、介護のことを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。



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