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『「介護時間」の光景』(112)「文字」。6.10.

   いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 個人的な経験にすぎず、細切れの記録になってしまいますが、それでも家族介護の理解の一助になれば、と考えています。

 今回も昔の話で、申し訳ないのですが、前半は、18年前の、2004年6月10日の話です。(後半に、2022年6月10日のことを書いています)。

「通い介護」

 1999年から、母親に介護が必要になり、介護中にいろいろとあって、2000年には、自分自身も心房細動の発作になりました。医師に、「過労死一歩手前です。もう少し無理すると死にますよ」と言われたこともあって、母に病院に入ってもらうことにしました。自分が病気にならなかったら、ずっと家でみようとしたのかもしれません。

 その頃、妻の母親(義母)にも、介護が必要になってきましたが、私は、母親のいる病院に毎日のように通っていました。帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護をしていました。

 そして、仕事をすることを諦めました。転院してからも、母親の状態は波があり、何の前触れもなく、ひどくなり、しばらくすると理由もわからずに、普通に話ができるようになったりしました。

 医学的には、自分が病院に通っても、プラスかどうかわかりません。だけど、そのことをやめて、もしも二度とコミュニケーションがとれなくなったら、と思うと、怖さもあって、ただ通い続けていました。これは、お見舞いといったことではなく、介護の一種であり、「通い介護」と名づけてもいい行為だと思うようになったのは、それから何年かたってからでした。

2004年の頃

 2004年の頃は、母の状態も安定していて、病院に通う頻度を少し減らしても、大丈夫なように思えていました。

 少し先のことが考えられそうな気がしていたので、気持ちまでやや明るくなっていたような時でした。

 その頃の記録です。


2004年6月10日

「午後4時10分。駅のそばでバスに乗って、午後4時40分に病院に着く。

 母は、夕食45分たっぷりと時間をかけて、少しおかずが多かったけれど、食べる。

 いつも病院でお会いする家族の方に、ショウブの花をいただいた。

 今日は、母が使う乳液を買ったら、コンパクトミラーをもらった。
 それを母に渡したら、すごくいいと喜んでくれた。

 よかった、と思う。

 午後7時に病院を出る。曇っている」。


文字

 電車が駅に止まる。
 暗い川の上に、暗い橋がかかっている。

 夜だから当たり前だけど、橋の下の川は、やたらと黒く見える。
 バスが、橋の上を通っている。

 車内のあかりも消えている。だから、全体が黒い四角に見えるけれど、バスの車体の横のところの小さい窓。そこに行き先の表示の文字だけが光って、(読めなかったけど)暗い中を動いていく。

                        (2004年6月10日)



 その後、2004年の10月に母の肝臓にガンが見つかり、手術もして、一時期は回復したものの、その翌年に再発し、母は2007年に病院で亡くなった。

 それからも、義母の在宅介護は続けながら、心理学の勉強を始め、大学院に入学し、修了し、臨床心理士になった。介護者への個別で心理的な支援である「介護者相談」も仕事として始めることができたが、2018年の年末に義母が103歳で亡くなり、突然介護が終わった。昼夜逆転の生活リズムを修正するのに、思ったよりも時間がかかり、そのうちにコロナ禍になっていた。


2022年6月10日

 天気がいい。

 昨日は、曇りだったら、雨が降ったり、だから様子を見ながら、家に洗濯物を入れたり、外へ出したりしながらも、2回は洗濯をしたので、今日は少なく、だから洗濯機を回すのをやめる。

 気がついたら、庭の柿の木も、ハナズオウも、あれだけ伐採したのに葉っぱが青々とたっぷりと茂って、風に揺れたりしている。

 植物の力は、なんだかすごい。

学ぶこと

 今もアートの分野に関して「デュシャンがわからない」などと言われているように、100年以上経っても、わからないことは、何もしないと、そのままになっていることが多い。
 
 最近、この「現代思想入門」を読み始め、まだ第6章まで進んだだけで、しかも、この本は「入門」であるから、本当に「現代思想」を学んでいくのであれば、ここから読む本もかなり多いのもわかったけれど、その一方で、何か気持ちが少し軽くなっているのも感じている。

 介護が終わって、しばらく経ったら、コロナ禍になっていた。
 
 妻は、ぜんそくも持っているし、私も持病もあるから、何しろ感染しないようにと生活してきたけれど、経済的にはずっと苦しいままだった。外出を増やすのも難しく、だけど、仕事も少しは増やさないと、本当に生活できなくなってしまう。そんなジレンマのような気持ちが2年以上続いて、その気持ち自体が辛くなってきている部分もある。

 だけど、例えば「現代思想入門」のような本を読むと、本当だったら、抱える必要のない自責感まで、どこか強制的に持たされている可能性があるかもしれない、とまだ読んでいる途中だけど、思えてきて、少し楽になった。

 これから、まだ学ぶことは多いのだろうけど、久しぶりに不思議に明るい気持ちになった。

心理的な支援

 そういえば、最近、臨床に関する講座を受けて、その中で推薦されている本も読んだ。

 どこまで理解しているか自信はないけれど、心理的な支援を仕事にすること自体が、証明が難しいことを「仮説」としながらも、それでも、自分の感じたことを大事にすることからしか、仕事は始まらないようなことも、改めて分かったような気がしている。

 ただ、先は遠くて、焦っても力がつくわけでもないけれど、そんな時に、自分がかなり年齢が高くなってから、心理的な支援の仕事についたことを思うと、ちょっと絶望しそうにはなる。

 それでも学ぶことは続けないと、やっぱり話にはならないと、最近、改めて思うことが多くなった。





(他にも、介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)




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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
 この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。

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