『「介護時間」の光景』(163)「文字」。7.3.
いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。
(※いつも、この「介護時間の光景」シリーズを読んでくださっている方は、よろしければ、「2001年7月3日」から読んでいただければ、これまでとの重複を避けられるかと思います)。
初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
「介護時間」の光景
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、私自身が、家族介護者として、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
それは、とても個人的で、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。
今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2001年7月3日」のことです。終盤に、今日「2023年7月3日」のことを書いています。
(※この『「介護時間」の光景』では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています。希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。
2001年の頃
個人的で、しかも昔の話ですが、1999年に母親に介護が必要になり、私自身も心臓の病気になったので、2000年に、母には入院してもらい、そこに毎日のように片道2時間をかけて、通っていました。妻の母親にも、介護が必要になってきました。
仕事もやめ、帰ってきてからは、妻と一緒に、義母(妻の母親)の介護をする毎日でした。
入院してもらってからも、母親の症状は悪くなって、よくなって、また悪化して、少し回復して、の状態が続いていました。
だから、また、いつ症状が悪くなり会話もできなくなるのではないか、という恐れがあり、母親の変化に敏感になっていたように思います。
それに、この療養型の病院に来る前、それまで母親が長年通っていた病院で、いろいろとひどい目にあったこともあって、医療関係者全般を、まだ信じられませんでした。大げさにいえば外へ出れば、周りの全部が敵に見えていました。
ただ介護をして、土の中で息をひそめるような日々でした。2000年の夏に心臓の発作を起こし、「過労死一歩手前。そのせいか、時々、めまいに襲われていました。それが2001年の頃でした。
周りのことは見えていなかったと思いますが、それでも、毎日のことを、かなりマメにメモをしていました。
2001年7月3日
『昨日の夜も、少し眠れなくなると、以前の病院のことが、急に思い浮かび、怒りで眠れなくなる。病気なんじゃないか、と思うくらい激しい怒りだった。
午後4時30分くらいに病院へ着く。
母は、覚えていることと、覚えていないことがあって、その違いは、よくわからない。
弟が、今、どこで働いているかわからなくなったり、今日は、7月1日と言い切っている。
小さな机の上のノートに、いろいろとメモが書いてあったりするけれど、それぞれの単語の意味はわかったようなわからないような、そして、全体として意味がわからなかった。
母の爪を切り、そのとき、関東大震災で、母の母親が、6人くらい兄弟がいたのに、生き残ったのは、もう一人だけで、それが道楽ばかりをしている人だった、という話をしてくれたけれど、今になってみると、それが事実かどうかも、よくわからなかった。
それでも、その人に連れられて、帝劇に行って、オペラもみた。カルメン序曲も良かった。そんな話を熱心にしていた。
そして、午後7時になり、そろそろ「帰れば」といったことを母は覚えていてくれて、病院を出る。
外は暑い。むわっとする。
廊下では、患者さんが、いつものように、こちらには分からない言葉を繰り返して、歩いていた。そういえば、いつも午後の同じような時刻に、飛行機が通り過ぎていたような気がするけれど、窓の外にスズメの巣があることを、母に教えてもらった。
母の病室に持っていったバナナは3本なくなっていた。
ジュースも3本なくなっていた。
だから、食欲などは変わらなくて、良かったと思う』。
文字
駅のホームの柱に、縦に大きく文字がある。
クリーム色の上に緑で「ハトにエサを与えないでください」。
それもいくつも書いてあるのに、普段はほとんど意識しない。
(2001年7月3日)
それからも、その生活は続き、いつ終わるか分からない気持ちで過ごした。
だが、2007年に母が病院で亡くなり「通い介護」も終わった。義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。
2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間、妻と一緒に取り組んできた介護生活も突然終わった。2019年には公認心理師の資格も取得できた。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。
2023年7月3日
天気はいいけれど、夕方以降には雷があるらしい。
だけど、気温も高いから、昨日から、物干し台などを目一杯使って、たくさん干した洗濯物は乾くだろうし、今日も洗濯はできそうだった。
柿の木
あれだけ伐採した柿の木の枝が、あちこちから真っ直ぐ空へ伸び始めていて、気がついたら、かなり茂っていて、緑も力強い色になってきていた。
柿の実も、緑で小さいけれど、あちこちに目立ってきた。
ドラマ
録画していたドラマを見る。
これは、シーズン2なのだけど、その1から、特に妻が大好きで、そして、今回は、やや複雑な構造で、最後の数分で、いろいろとひっくり返るので、また見たい、ということで、まだ録画した映像は消さないままにしている。
第9波
急に暑くなってきたり、地域によって大雨になったり、さまざまな大変なことが増えたのだけど、ずっとコロナのことは気になっている。それは、自分も体が弱いことや、妻がぜんそくを持っていたりして、いまだに、感染したときに、誰でも的確な治療を素早く受けられるようになった、という話を聞いていないので、今も、感染しないことが生活の目標の一つになっている。
それに、介護者相談という高齢者関係の仕事をしているから、自分が感染しないで、人にも感染させないことに注意するのも、とても大事になる。
そのためになるべく外出を減らしたり、その中で、仕事をきちんとしていくためにはどうしたらいいか。といったことを考えているけれど、今は、コロナ感染状況が、はっきりと見えない状況になってしまい、5類移行、ということで、まるでコロナ禍が終わったような印象になっているから、その中で、感染が増大しているのに、感染予防に気をつけていること自体が、だんだん孤独な行為になっていく、といった怖さがある。
7月1日付の社説で、おっしゃる通りだとは思うのだけど、こうした声に対して、政府が適切に対策を取り続けているという話は、自分が情報に弱いせいかもしれないが、全く聞こえてこないのだが、最近は、マイナンバーカードに関する不安を大きくする話題ばかりになっている。
当初は、保険証は、マイナンバーカードと併存して、廃止しない、という、ごく妥当な方針だったのに、急に、「保険証廃止」が打ち出された印象がある。
今のさまざまなトラブルを考えたら、保険証廃止、という方針を、まずは、最初に戻して、ただ中止にすればいいはずだ。だけど、その「やらない」という決断もできないとすれば、今後の、様々な対応が必要になってくる、コロナ対策にも期待できないから、ただ自衛の気持ちだけが強くなる。
(他にも、いろいろと介護について書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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