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「介護時間」の光景(68)「屋根」。7.30.

  いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

   この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2002年の頃」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います。

(前半は、「2002年7月30日」のことを、後半に、今日、「2021年7月30日」のことを書いています)。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

自己紹介

 元々、私は家族介護者でした。
 1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 介護をしながら、学校へも通い、2014年には、臨床心理士の資格を取りました。2019年には公認心理師資格も取得しました。現在は、家族介護者のための、介護者相談も続けることが出来ています。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

2002年の頃

 突然、介護を始めることになったのは、1999年のことでした。どうしたらいいのか分からないまま、母親の介護を始め、気持ちは混乱してまま、母親の症状には大きく波があり、そこに対応するだけで疲れが蓄積していました。

 1年が経つころ、大きく症状が悪化し、病院に責められたこともあり、私自身が、心房細動の発作に襲われ、「過労死一歩手前」と診断されました。最初に入院した病院は信用できないこともあり、転院をしたのが2000年でした。

 それから、仕事もやめざるを得なくなり、母の入院する病院に通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けている時には、将来のことは、少し先のことさえ考えられなくなり、ただ、毎日の目の前のことだけを見るようになっていました。

 自分が、母の病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでしたが、でも、通わなくなって、2度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、通い続けていました。

 以前の病院では、医療関係者には辛い思いをさせられた記憶の方が強かったため、新しい病院でも、白衣が怖いような感覚さえあったのですが、2年が経つ頃には、転院先の病院のスタッフが、母親に対しても誠実に対応してくれているのが分かってきましたし、入院費用の減額措置があることも伝えてくれるようなこともあり、徐々に信頼感が出てきました。

 それが2002年の頃でした。

2002年7月30日

「午後4時半頃、母の病室に着く。
 タオルケットなどを買っていった。

 いつも病院でお会いするご家族の方に、花びんをいただいた。
 ありがたい。
 
 空になったペットボトルを6つほど病室の床に並べ、それをテニスボールを転がして倒す「ボーリング」を、母は、毎日やっているそうだ。

 ベッドで横になりながら、話している母親。

 テレビで高校野球を見ていた。

 夕食は55分かかった。かなり長めだったけれど、それでもほぼ全部を食べた。

 それから、トイレへ行く。

 午後7時に病院を出る。

 空が赤い」。

屋根

 病院を出て、暗い道のすぐ左側には民家がある。そこに3台のクルマが止めてある。

 そのうちの1台の屋根の上にネコがいる。ちょっと上体を起こして顔をふいているような仕草をしている。

 ちょうど屋根の真ん中の位置だから、巨大なエンブレムのようにも、タクシーの印のようにも見えた。

                 (2002年7月30日)


 その後、2007年に母は病院で亡くなった。

 義母の介護は続いたが、2018年に義母も亡くなり、介護も突然終わる。昼夜逆転の生活が少し治ってきた頃に、コロナ禍になり、今年は「介護後の生活」も3年目で、思ったよりも何もできずに、焦りと無力感に襲われることも多くなった。

2021年7月30日

 7月28日に2度目のワクチン接種ができたから、たぶん、早い方だと思う。

 その一方で、副反応の話がされていたから、体温を何度も測って、いつ発熱するのだろうと脅えながら、2日目を過ごして、なんとか、高熱が出なくて、ホッとして、ワクチン接種3日目を迎えられた。


 朝方から、雷の音や激しい雨の音が聞こえている。
 晴れているのに、急に雨が降るのは、夏らしいとも思えるし、セミの声はずっと響いている。

 この数日の東京都内の新規感染者の人数は、とんでもなく上がってきて、オリンピックも、夏の光景も、いつもと違う見え方になっている。

 毎日、記録更新という言葉の響きは、ただこわく、死亡者が減っていると言われても、40代、50代の方の重症者が増えていると聞くと、危機感だけが大きくなり、だから、とにかく外出を減らす、という萎縮した対応しかできない。

歯医者と八百屋

 今日は予約して、定期的に通っている歯医者に行く日だった。
 昼食後に、微妙に焦りながら、出かける。

 雲が厚い。また雨が降りそうだったけれど、湿度は高い。
 植物の葉っぱに、まだ雨粒が残っている。

 歯医者に行き、治療をしてもらい、そして、こんなに黒かった、と見せられ、なんだか謝るが、元々、歯の質が弱いらしいので、こうして通って、なるべく歯の数を減らさないようにしたいと思って、来月の予約もする。

 受付の女性と、ワクチン接種のことで少し話をする。


 その後、妻にメモを書いてもらっていたので、買い物をする。

 八百屋に寄る。
 午後3時頃のせいなのか、お客も少なく、そのためか、久しぶりにスタッフと話をする。
「注射した?」と聞かれ、それは今は、すでにコロナワクチンのことと限定されているようなので、「おととい、2度目を、しました」と答える。

 すると、副反応の話題になり、「最高で36、9度で止まって、ホッとはしました」といったら、「少し上がったから、その分、若い」といった言い方をされる。

 いつの間にか、若いほど発熱しやすい、ということになっているようだ。

 どんなことにも、素早く、意味や理由が発生していくことに、少し感心もするが、考えたら、リモート会議がコロナ禍で一気に増大した時に、すぐに「マナー講師によるリモート会議のマナー」が誕生したから、どんなことにも、人は意味づけをし始めるのは自然なのかもしれない。

ドーナツ

 こうして、ワクチン接種をしたから、少し気持ちが楽になったような気もするが、感染しないわけではないので、「コロナ前」のような生活に戻れるわけでもない。

 そんなことを考えていると、自分が何をやっているのだろう、とただ虚しくなることもある。

 このままだと、ひたすら経済的に困窮もするのだけど、人が密になるような状況は避け続けなくてはいけないだろうし、マスクをはずしていたアメリカは、またマスクをつけ始めたらしい、というようなニュースを聞くと、先の見えなさを確認するような思いにもなる。


 何やっているんだろう、といった話をすると、いつも妻は「ちゃんとやってるじゃん」とすぐに言ってくれる。

 それは、とてもありがたく、だから生きていけるのだと、やっぱり思う。

 歯医者に行き、買い物から帰ってきて、今も雷はゴロゴロしているけれど、なんとか雨は降らなさそうなので、洗濯を干していると、「ドーナツを食べよう」と妻に声をかけられる。

 私たちにとっては懐かしく、敬意もある江口寿史が関わっている、録画したアニメを見ながら、ドーナツを食べる。おいしかった。 

 ただ、放送時間帯が、私たちにとって、より「重要な」他の番組とかぶることもあるので、毎回見られないようだ。ちょっと残念だったりする。



 今日も東京都内の、新規感染者は、3000人を超えた。
 緊急事態宣言という言葉を、また聞いた。さらに広い地域に適用されるらしい。ただ、その内容は、「お願い」や、「飲食店へのプレッシャー」以外、政策として、何もしていないように思ってしまった。



(他にも介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしく思います)。


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