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『「介護時間」の光景』(179)「雷」。10.22。

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで書き続けることができています。

(この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2003年10月22日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います)。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護時間」の光景


 この『「介護時間」の光景』シリーズは、私自身が、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。


 それは、とても個人的で、しかも断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないかとも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2003年10月22日」のことです。終盤に、今日、「2023年10月22日」のことを書いています。

(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)

2003年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は長期療養の病院に入院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に在宅で、義母の介護を続けていました。

 ただ、それ以前の病院といろいろあったせいで、うつむき加減で、なかなか、医療関係者を信じることができませんでした。それでも、3年がたつ頃には、この病院が、母を大事にしてくれているように感じ、少しずつ信頼が蓄積し、その上で、減額措置なども教えてもらい、かなり病院を信じるようになっていました。

 それでも、同じことの繰り返しの毎日のためか、周囲の違和感や小さな変化にかなり敏感だったような気がします。

 2003年の頃には、母親の症状も安定し、病院への信頼も増し、少し余裕が出てきた頃でした。これまで全く考えられなかった自分の未来のことも、ほんの少しだけ頭をよぎることがありました。

 それでも毎日のように、メモをとっていました。

2003年10月22日

『午後12時30分頃、病院に着く。
 今日は、外出する予定なので、早めに来た。妻も一緒だった。

 昼食を食べた後、早めに出かけたいのだけど、とにかく食休みが必要だから、と母はしばらく横になっている。

 それで、しょうがないのだけど、午後2時頃に出かけることになる。帰ってくるのは、なるべく早くしたいのだけれども、しょうがない。

 それから、途中で雷があったり、激しい雨が急に降ってきたりもしたけれど、電車とタクシーを乗り継いだので、目的の美術館まではスムーズに着いた。

 母は、昔から絵が好きだったこともあって、新しい美術館でもあり、喜んでくれた。

 よかった。

 午後5時30分頃に、病院の最寄りの駅に着いた。
 母の好きな寿司を三人で一緒に食べて、午後7時30分前には、病院に着いた。

 ほっとした。

 母は、よかったわ、と言ってくれて、今のところ、それほどひどく疲れているようにも見えないので、ほっとした。

 母と、この病院で友人になった患者の女性に「親孝行ね」と言ってもらったのだけど、なんだか、微妙な気持ちになる。

 午後8時頃、病院を妻と一緒に出る。

 いつもとは違う駅に向かうバスに乗った。久しぶりだった。
 そのバスは混んでいて、ちょっと後悔した』。

 駅に向かう。
 そこで、黒い雲が広がっていて、雷が鳴る。
 大きい音。
 それだけで、やっぱりちょっと怖い。

 強い一瞬の光。だけど、どこに稲光があるのか、よくわからない。
 意味がない行為だけど、どこが光るか、探してしまう。

 雷のせいで、電車が少し止まって、動かない。

 電車を乗り継いで、目的の駅へ。

 すごい雨が降ってきた。
 空はやたらと黒い。

 タクシーに乗った頃、雨が激しく、その音と、さらに雷の光。

 どこへ来たのか、よく分からなくなる。
 ものすごく遠くへ来た気がする。

 不安になったけれど、目的地へ着く。

 これだけひどい天候なのに、まだできたばかりのせいか、結構人がいた。

                       (2003年10月22日)

 

 この生活は、まるで終わらないように続いたのだけど、その翌年、2004年に、母親の肝臓にガンが見つかった。
 手術をして、いったん落ち着いたものの、2005年には再発し、2007年には、母は病院で亡くなった。
 義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。2019年には、公認心理師の資格も取得した。 
 昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2023年10月22日

 日曜日だった。

 それで晴れれば、穏やかさは増す気がする。

  洗濯をして、干して、空は青い。

 庭には、そろそろ紅葉した落ち葉が見られるようになってきた。

ドラマ

 妻と一緒に、食事をとりながら、またはお茶をしながら、録画されたテレビドラマを見る。

 そろそろ秋のシーズンのドラマが出揃ってきて、妻がドラマ好きなこともあるので、最初の回は見て、それで次を見るかどうかを決める。

 平和な時間で、ありがたい。

 現時点で、妻の今期No.1は、「いちばんすきな花」だった。

お菓子

 スーパーで売っていて、「チョコまみれ」関連のお菓子だったので、何気なく買ったのを、今日食べた。

 そのパッケージが、いろいろと楽しめて、うれしかった。それは、まるでオマケのついたお菓子を食べていた時の気持ちに似ていた。

 楽しかったし、少しトクをしたような気までした。

 おいしかったし、平和な時間だった。

ケアという言葉

「ケア」という言葉が、介護だけではなく、さらに広い意味で使われるようになり、それが目につくようになったのが2年ほど前のことだと思う。

 その後、さまざまな場所で「ケア」という単語を目にするようになり、美術の専門誌まで「ケア」をテーマに特集を組むようになった。「ケア」をテーマにした講座も増えたように思う。

 そうした書籍を読んだり、講座に足を運んだりする機会も多くなった。

 どこかで期待していたのは、こうして「ケア」という思想が広く語られるようになれば、当然「ケア」で、現時点での中心の一つでもある介護のことにも、もっと本質的な関心が高まり、そうなれば、その支援についてもきちんと論議されるようになるのでは、ということだった。

 だけど、最近読んだ、この「ケアの哲学」も自分の理解力が足りないせいもあるのだけど、それでも、具体的な介護については触れられていなかったと思う。

 この2年間に、介護の現場以外で聞いた「ケア」の話題や思想や視点は、どこか、実際の介護とは関係ない、はるか上空で交わされるような言葉に感じてきた。

 だから、少し前までの期待のようなものは、かなりしぼんでしまい、それは、勝手に思っただけ、という言われ方をされても仕方がないのだけど、介護を正面から語ろうとしているわけではないから、この「ケア」のブームは、介護の現場とは、ほぼ関係ないのではないか、という気持ちになりかかっている。

 もっと考えないとダメなのだろう。そして、自分で伝えていくべきなのだろうとも思う。






(他にも介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)



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