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介護について、思ったこと⑭「介護保険」に関する「政策」の可能性と、「再構築」。

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 初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

介護について、思ったこと

 このnoteは、家族介護者に向けて、もしくは介護の専門家に対して、少しでも役に立つようにと考えて、始めました。

 もし、よろしければ、他の記事にも目を通していただければ、ありがたいのですが、基本的には、現在、話題になっていることよりも、もう少し一般的な内容を伝えたいと思って、書いてきました。

 ただ、現在、気になることがあり、もしかしたら差し出がましいことかもしれませんが、それにについて考えたことを、お伝えしようと思いました。

 よろしかったら、読んでいただければ、幸いです。


介護殺人事件

 今も、「介護殺人事件」のニュースが流れると、個人的には他の出来事よりも、注意力が高まるように思います。

 様々な統計によると、一年間に20〜30件は起こっていると言われていますので、それは2週間に1度は耳にすることになり、その度に、何もできないのですが、なんとも言えない気持ちになります。

 時間がたっても、その詳細を聞くと、思い出す事件はあります。若い孫が祖母に手をかけてしまったニュースは、おそらく記憶にある人も少なくないのではないでしょうか。

ヤングケアラーの介護殺人

 2019年10月、神戸市で悲しい事件が起きた。介護に疲れた22歳の幼稚園教諭が、5月から同居し、つきっきりで介護していた祖母を殺害したのである。殺人罪に問われた元幼稚園教諭は、2020年9月、神戸地裁から懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役4年)を言い渡された。しかし、裁判で明らかになったのは、22歳の孫娘が置かれた過酷で孤独な介護の現状だった。

 こうした時に「ヤングケアラー」という単語が使われるのは、少し抵抗感がありますが、若い人の介護の末に起こしてしまった事件だけに、様々な角度から分析などがされています。

 この記事でも、こうした問題点が指摘されていました。

家族とは、相互に助け合い、安心と安全を保障する親密な関係だと思う。他方で、家族という概念は、血縁重視、ケアを女性に強制することに結びつくおそれがある。このケースの女性のような苦しみを繰り返させないためにも、私たちは、役割を強制するような家族の呪縛から逃れる必要がある。

家族介護者の感覚

 もちろん、私も事件の詳細を知っているわけでもなく、報道を通して、事情を推察するしかないのですが、この事件だけではなく、本当に「役割を強制」されていたのだろうか、という疑問はあります。

 私は、自分が介護者だった時代も含めて、直接、間接的に介護に関わってきて約20年ですが、この記事↑のように、基本的には「困っている人がいたら、考えるより前に手を差し伸べてしまう」方々が、家族の介護を続けている印象が強いです。

 ですから、決めつけはよくないですが、個人的な実感として、一人で介護をする孤独感や負担感は強いとしても、家族の中で、「困っている」人がいた場合に、強制されなくても介護をしている方が多いのではないでしょうか。もしかしたら、介護をしないでいる方が、そういう方にとっては、より不安を呼んでしまう可能性もあります。

 ですので、介護をしないことを選択できる自由を増やすことももちろん大事ですが、それに加えて、介護をしている人たちの負担を、どうやって具体的に軽減するか。それを本当に検討していかないと、不遜かもしれませんが、介護殺人の件数は、決して減っていかないように思います。

政策の可能性

 これもすでに1年前(2021年)の記事ですが、前出の「ヤングケアラー殺人事件」のことに触れています。全てに同意できるわけではないですが、特に「介護保険の建付けを少し変えれば」の項目には、これができたら、本当に事件は減る可能性があるのかもと思えました。

「ドイツの介護保険では、家族による介護も保険給付とされている。外部の介護事業者と契約するか、家族のだれかが引き受けるかを選ぶことができ、どちらの場合でも介護保険から報酬が支払われる」

要介護4での介護報酬は31万円。これが支給されれば、女性は幼稚園を休職、退職しても、おばあさんとの二人家計を切り盛りできた。

(「菜々子の一刀両断」より)

 確かに、これが実現できれば、介護環境は随分と変わってくるはずです。

 個人的には、どのような状況になっても、介護者の心理的な支援も必要だとは思っているのですが、介護報酬が家族介護者に支払われれば、それは金銭的な余裕ができる可能性だけでなく、家族介護者の介護が公的に「評価」されることになります。それは、自分のやっていることに価値があると思いやすくなるので、孤立感が減ることも期待できそうです。

 現金支給に対して様々な問題点が指摘されたとしても、実際に行われているドイツという国は存在するのですから、全く不可能というわけではないのは明らかです。

 こういう変化は、介護保険の「再構築」が必要だと思いますし、それを可能にするのが「政策」の役割だとすれば、政治家の決断によって、介護殺人事件が本当に減るかもしれません。

 自分が無知なせいもありますが、改めて政策の影響力の大きさを感じました。

介護保険

 介護保険がスタートして20年以上が経ちました

 立ち上げ時は、様々な課題が指摘され、それによって、介護保険の成立に影響があったように思います。その中で、与党の政治家が「家族で介護するのが、日本の美風」といった、あまり根拠のない言葉によって、その成立過程にも混乱が生じたというようなニュースも覚えていますが、当初から、危うい部分があったのだと思います。

(「介護保険法の成立過程」という論文↓もあり、こうした研究でも、決してスムーズに出来上がったわけではないのがわかります)。

「介護保険法の成立過程」

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/10-56/satomitsuru.pdf


 そして、当初は、「走りながら考える」といった言葉を、介護保険に関して、言われていたようにも思いますが、私も当時は、2000年から2018年までは、主に家族介護者として介護保険の利用に関わってきました。

介護保険の「変化」

 そして、5年ごとに「改正」という名前の「変化」はありましたが、それは、決して「改めて正しくする」ように思えませんでした。特に最初の「改正」で、かなり矛盾する「変化」があったことが、その後の方向を決定づけたような気もします。

(私のような個人だけではなく、その2005年の「改正」には、すでに疑問が呈されています↓)。

 
 そして、それから何度も「改正」が行われていますが、気がついたら、それほどの根拠もなく、特養などの施設入所には、要介護1の必要要件が、いつの間にか「要介護3」以上に変化したり、ただサービス抑制が繰り返されているように思えます。

(そうした指摘は、専門家からもされています↓)。

介護保険の「再構築」

 そろそろ、本当の意味で広く耳を傾け、利用者本人だけでなく、その家族介護者からも話を聞き、そうした当事者の方々にとっても、もっと助けになり、その上で、介護保険の持続が可能なようにするために、今までの方法全てを再検討し、これまでの「失敗」は素直に認めた上で、介護保険を「再構築」する時期に来ていると思います。

 そうした大きな変化を可能にするのは、基本的には「政策」だと思うと、その「政策」の変化に対して、どのように働きかけたらいいのかは、今のところ、全く分からないままで、ただ無力感はあります。

 それでも、「政策」の可能性が大きいことは、改めて分かったような気がします。

 今回は以上です

 介護保険の利用者だけでなく、家族介護者にとっては、介護保険の存在は、どちらにしても大きいのですし、その「変化」によっては、事件の増減にも影響を与えると思えますので、その健全でフェアな運営に関しては、これからも繰り返し、考えていきたいと思っています。




(他にも介護に関して、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
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