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『「介護時間」の光景』(235)「ダイヤ」。12.3。

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。

(※この「介護時間の光景」シリーズを、いつも読んでくださっている方は、よろしければ、「2002年12月3日」から読んでいただければ、これまでとの重複を避けられるかと思います)。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。

 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、私自身が、家族介護者として、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的で、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2002年12月3日」のことです。終盤に、今日「2024年12月3日」のことを書いています。

(※この『「介護時間」の光景』では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。

2002年の頃

 個人的で、しかも昔の話ですが、1999年に母親に介護が必要になり、私自身も心臓の病気になったので、2000年に、母には入院してもらい、そこに毎日のように片道2時間をかけて、通っていました。妻の母親にも、介護が必要になってきました。

 仕事もやめ、帰ってきてからは、妻と一緒に、義母(妻の母親)の介護をする毎日でした。

 入院してもらってからも、母親の症状は悪くなって、よくなって、また悪化して、少し回復して、の状態が続いていました。
 だから、また、いつ症状が悪くなり会話もできなくなるのではないか、という恐れがあり、母親の変化に敏感になっていたように思います。

 それに、この療養型の病院に来る前、それまで母親が長年通っていた病院で、いろいろとひどい目にあったこともあって、医療関係者全般を、まだ信じられませんでした。大げさにいえば外へ出れば、周りの全部が敵に見えていました。

 ただ介護をして、土の中で息をひそめるような日々でした。私自身は、2000年の夏に心臓の発作を起こし、「過労死一歩手前。今度、無理すると死にますよ」と医師に言われていました。そのせいか、1年が経つころでも、時々、めまいに襲われていました。それが2001年の頃でした。

 2002年になってからも、同じような状況が、まだ続いていたのですが、春頃には、病院にさまざまな減額措置があるといったことも教えてもらい、ほんの少しだけ気持ちが軽くなっていたと思います。

 周りのことは見えていなかったと思いますが、それでも、毎日の、身の回りの些細なことを、メモしていました。

2002年12月3日。

『自分自身が心房細動の発作を起こし、「これ以上無理をして、次に同じように大きな発作を起こすと死にますよ」と循環器の医師に言われ、仕事をあきらめて、介護に専念するようになってから、2年くらいが経っている。

 その途中で、自分の心臓の病気を診てもらい、薬を処方されている病院を、今の母親の入院する病院のそばにかえてからも、2年が経つ。

 今日も、まずは自分の心臓の病院に行った。予約もしているのだけど、ここのところ、診察してもらうまで、時間が掛かるようになった。

 でも、今日、次からは1ヶ月ではなく、2ヶ月にいっぺんの診察でいいと言われ、少し気持ちは明るくなった。

 それから母の病院に向かい、午後4時20分頃、病室に着く。

 母は横になっている。

 テレビも、母からの視点では、横向きになって、このままでは見えないはずだ。

 あいさつもしたけれど、少しぼんやりしている。でも、こんなものなのか、とも思う。

 病院の12月のカレンダーは、クリスマスツリーがデザインされている。

 夕食は45分くらいかかる。

 窓から外を見ると、暗くなっていくのが早いのがわかる。

 母の話を聞いていると、その内容がよくわからないせいもあって、途中でぼんやりしてきて、自分の調子が悪いのか、それとも単純に頭が動かなくなってきたのだと思う。

 午後7時に病院を出る。

 けっこう、寒い。

 そういえば、これまでなかった母親のベッドの両端に鉄のワクを立てられていて、母の調子が悪いのか、もしかしたら、夜になると動き回ってしまうのか。それを、病院のスタッフに聞きたくても聞けなかった。

 調子が悪くても、こちらはどうすることもできないせいかもしれない』。

ダイヤ

 午後7時48分発。
 これまで2年間、上りの電車に乗ると、途中の駅までで、乗り換えなくてはいけない、というちょっと不思議な電車に乗ってきた。

 それがダイヤ改正で、この電車がなくなった。

 なくなって、振り返ると、その変さが強調されるような気がする。

 それより3分くらい早く駅を出発する電車が出来たが、送迎バスの時間から言うとギリギリに間に合わない事が多いのが分かり、前よりも少し、乗り換えの駅に着くのが遅くなるようになった。

 結果として、午後7時53分発の電車に乗ることが多くなった。途中の駅で4分くらい、待ち合わせのために止まるから、結局、スムーズにはいかないけれど、でも途中で乗り換えなくてはいけない、という事はなくなった。

 考えれば、午後7時48分発は、いびつな電車だった。

                    (2002年12月3日)

 
 それからも、その生活は続き、いつ終わるか分からない気持ちで過ごした。
 だが、2007年に母が病院で亡くなり「通い介護」も終わった。義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、妻と二人で在宅介護をしてきた義母が103歳で亡くなり、19年間、取り組んできた介護生活も突然終わった。2019年には公認心理師の資格も取得できた。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。

2024年12月3日 

 天気がいい。
 洗濯を始める。

 その間にも柿の葉っぱが、直線的に庭に落ちてくる。

 気がついたら、これまでの遅れを取り戻すように、柿の木は、一気に紅葉が進み、葉っぱがたくさん落下してくる。

 寒くなってきた。

 洗濯物を干してから、出かける。

講義

 年に1度だけ、ある大学で講義をさせてもらっている。
 そこで、家族介護者の心理についても、伝えることができる。

 そういう機会を与えてもらっていること自体がありがたい。

 もっと広く伝える場所が持てないのは、臨床心理士になって10年経って、さまざまな努力はしているものの、まだいろいろなことが自分に足りていないのだと思う。

多様性

 大学の教員として採用され、ヘルシンキに住み始めた著者が、子育てをしながら働き、その日常を書いて書籍化されているのだけどが、その続編までが出版された。それだけ、最初の作品も多くの人に読まれたはずだ。

 この著者は、例えば北欧をやたらと賛美するのもおかしい、という視点なので、かなり正確な見方をしているように思えるのだけど、それでも、子育てを通して、例えば保育士などとの会話の際に、「人間として扱われること」の基準に対して、こうしたことを考えるようになった。

 彼らの話し方からは、人員と時間の余裕を感じさせるのは当然として、人間は、子どもだろうがなんだろうか、これくらい配慮されて当然という最低ラインが高い気がする。私は、「そんなことあるはずがない、それって口先だけでしょう?本当は違うんでしょう?」と予想し、期待するから、「怪しい」と感じる。
 でも、私は最近、彼らを怪しいと思う私のほうがおかしいような気がしてきた。もしかすると、これは私の「人間はこのように扱われるはずだ」という基準が低いせいなのかもしれない。 

(『ヘルシンキ 生活の練習は続く』より)

 そして、フィンランドでもさまざまな問題があるのは当然なのだが、それでも「多様性」に関して、そのまま「輸入」するように「利用」するのは違うとしても、でも、こう考えた方がいいのではないか、とは思えてしまう。

 誰もが支援を必要とする。だから、支援を必要とする人は特殊ではない。誰もが特殊であり、あなたも私も必要に応じて支援を受けられるべきだ。そういう建前だ。多様であることを無視することと、最初から多様であることが当然であることは、同じであるかのように見えて、まったく違う。

 単に、みんな、違うだけ。 

(『ヘルシンキ 生活の練習は続く』より)

 こうした「建前」に至るまでに、さまざまな闘争や、更新があったのは想像できるのだけど、それでも、介護の専門家が、北欧を訪れて高い評価をするような状況は、こうした「思想」をベースにしているからでは、と感じる。

 そうであれば、日本の介護も、もっとどうあるべきか?という「思想」は、それがすぐに実現できるかどうかは別としても、もう少し考え抜いていいのではないかとも思う。

               


(他にも、介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。

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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
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