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『「介護時間」の光景』(128)「植物」「シートベルト」。10.10.

  いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

「介護時間」の光景

  この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 個人的な経験にすぎず、細切れの記録になってしまいますが、それでも家族介護の理解の一助になれば、と考えています。


(※この「介護時間」の光景では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています。希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。

介護時間の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 個人的な経験にすぎず、細切れの記録になってしまいますが、それでも家族介護の理解の一助になれば、と考えています。

 今回も昔の話で、申し訳ないのですが、前半は、15年前の2007年10月10日の話です。(終盤に、2022年10月10日のことを書いています。

通い介護

 1999年から母親の介護を始めて、私自身も心臓発作を起こしたこともあり、仕事をやめ、義母の介護も始まりつつあり、2000年の夏には母親に病院に入院してもらいました。

 私は、毎日のように2時間ほどかけて、母の病室へ通っていました。帰ってきてから義母の介護をする日々でした。ただ、それだけを続けていました。

 自分が、母の病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでした。でも、通わなくなって、二度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、通い続けていました。

 いつまで続くのか、全く分かりませんでした。

2007年の頃


 それが変わったのが、2004年でした。

 母の症状が落ち着いてきて、少し自分のことも考えられるようになってきたと思えていた頃に、母の肝臓にガンが見つかりました。

 近くの別の病院で手術をして、一時期は、抑えられていたのに、2005年に、再発してしまいました。もう年齢もあるし、手術もできない、と言われました。そのあとは、定期的に、様子を診てもらうために、今いる病院ではなく、手術を受けた外科医に診察をしてもらう日々が続いていました。その度に、体調の上下があり、それによって、緊張感が高まったりしました。

 もう、あとどれくらいなのか、分かりません。なるべく実家への外泊や旅行へ連れて行くことを予定して、なるべく実行するぐらいしかできません。

 一時期は、病院に通うペースが落ちていたのが、母が病気になってから、また増えていました。ほぼ毎日、週に5日は来るようになっていました。少しでも楽しい時間が増えれば、少しでも悪くなるスピードが落ちるかもしれない、などと、希望が少ないことを思っていました。

 実家には外泊もしました。そのために新たにベッドも購入しました。夏には箱根に行きましたし、2007年の冬には熱海に旅行に行けました。

 だけど、5月に母は病院で亡くなりました。

 病院に通わなくてもよくなったのに、しばらくは病院に行かなくちゃ、という気持ちがなかなか抜けませんでした。家で、妻と一緒に、義母の介護は続けていました。
 
 それでも、気持ちが、少し落ち着いてきたのが、半年ほど経った頃だと思います。

2007年10月10日

「いつも通っていた病院の最寄り駅まで電車に乗る。

 窓の外の景色が新鮮に見えて、それだけ、少しずつ日常ではなくなっているのだと思う。

 母のことと、結びつきが薄くなってきているのだろうか。まだ母が亡くなって、そして病院に通わなくなって、半年しか経っていないのに。

 これからの自分のことを考えている。

 今日は病院に行くのは、月に1度の誕生日カードのボランティアの日だからだった。母が亡くなった時に、辞めるタイミングはあったのだけど、それからも、そこにいる人たちは、変わらずにいてくれるので、今も続けている。

 すごく穏やかな気持ちで、カードも制作できた。

 病院の人に会っても、にこやかにできる。

 午後3時半には、病院を出る。以前は、それから病室へ行っていた。

 母のことと密接に関わっていた空間なのだけど、そことの関わり自体が薄くなっている感じがする」。

植物

 電車の中からの風景。
 近くには、流れていく植物。

 規則正しく計画されて生えているわけではないのに、それでも、それぞれの植物の集合で、結果的には、何かの形のような空間をきちんと作っていて、それが分かりながら、次々と流れていく風景だと改めて気づく。

 それにしても、ただ電車に乗って外を見て、こんな事を考えるような余裕があって、いいのだろうか、などと思ってもいた。という事を思う事自体も、どうかと思うけど。


シートベルト

 バスの中から隣を走るクルマが見える。高いところから見下ろす感じで、けっこう中まで分かる。

 助手席に小さい男の子が乗っている。
 眠っているせいか、体が傾いている。

 シートベルトが、顔の真ん中の上を通っていた。

                        (2007年10月10日)


 その後も、義母の在宅介護は続いていた。ゆるやかに状態は悪くなっていったので、妻と二人で介護に専念することにした。そうしないと、妻が倒れてしまうと思った。それでも、その介護の合間に、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。



2022年10月10日

 昨日の夜中。

 寝る前に、1階の縁側のような場所についている古い電球のスイッチを入れたら、小さい炎が上がって、そのコードも切れた。

 次にそこからまた炎が上がったら、古い木造家屋はあっという間に火事になってしまう、というイメージだけが先行して、怖くなった。だから、ひそかにバタバタして、こわごわとビニールテープでカバーして寝た。

 起きたら、一応、無事なままで、ちょっとホッとした。

洗濯物

 昨日は、洗濯をしたものの、ほどなく雨が降ってきて、だから、部屋の中で干すしかなかった。

 今日、それを外へ出す時も、そのすでに切れてしまった電気コードは、ただぶら下がっていた。だから、そこに触れないように、少し緊張しながら、外へ洗濯物を出す。

 まだ洗濯物は乾いていないから、せっかく日差しが出てきているのに、洗濯を始められない。

電器屋

 近所の電器屋さんに電話をして、切れた電気コードを、みてもらうようにお願いをする。忙しそうだったのだけど、スキマを見つけて、きてくれる、という話をしてから、1時間経たないうちに来てくれて、そのコードを切って、処理してくれた。

 布で覆われたコード自体が珍しくなっているようだった。

 とても安心して、ありがたかった。

ガイドツアー

 今日は、地元のアートの企画がある。

 そのために、妻に夕食を早めにしてもらい、本当に何年かぶりで一緒に夜に出かける。

 満月が出ている。

 駅の待ち合わせの場所に行き、スタッフの人に予約していたので二人の名前を告げ、午後7時まで待ち、そこから、作家本人の解説で作品のガイドツアーを行う。

 東京都・蒲田駅の近く3ヶ所に映像が投影されているけれど、それは終戦後に、現在のJR蒲田駅から京急の蒲田駅を通り、羽田空港までの鉄道路線が敷かれていた、というほとんど知らない史実をテーマにしたものだった。

 10数人の参加者と一緒に、作者の言葉を聞きながら、3ヶ所の映像を見て回る。
 とてもぜいたくで、充実し、そして、本当に知らないことがある驚きのようなものも改めて感じた。

 1時間足らずで、そのツアーは終わったが、久しぶりにアートにも触れたし、夜に出かけることもできて、楽しい時間だった。





(他にも介護のことを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
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