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『「40歳を過ぎて、大学院に行く」ということ』⑭「おでかけ」と「嫌悪感」

 いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

(この『「40歳を超えてから、大学院に通う」ということ』シリーズを、いつも読んでくださっている方は、「電話」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)


大学院で学ぼうと思った理由

 元々、私は家族介護者でした。

 1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 そして、臨床心理士の資格を取得するために、指定大学院の修了が必須条件だったので、入学しようと考えました。

 私自身は、今、振り返っても、40歳を超えてから大学院に入学し、そして学んで修了したことは、とても意味があることでしたし、辛さや大変さもあったのですが、学ぶこと自体が初めて楽しく感じ、充実した時間でした。

「40歳を超えて、大学院に通うということ」を書こうと思った理由

 
 それはとても恵まれていたことだとは思うのですが、その経験について、(すでに10年以上前のことになってしまいましたが)伝えることで、もしも、30代や40代や50代(もしくはそれ以上)になってから、大学院に進学する気持ちがある方に、少しでも肯定的な思いになってもらえるかもしれない、と不遜かもしれませんが、思いました。(もちろん、資格試験のために大学院へ入学するのは、やや一般的ではないかもしれませんが)。

 同時に、家族介護者へ個別な心理的支援を仕事として続けてきたのですが、少なくとも臨床心理士で、この分野を専門としようと思っている方が、かなり少ないことは、この10年間感じてきました。

 もしも、このnoteを読んでいらっしゃる方の中で、心理職に興味があり、臨床心理士公認心理師を目指したい。さらには、家族介護者の心理的支援をしたいと思ってくださる方がいらっしゃるとしたら、できたら、さらに学ぶ機会を作っていただきたい、という思いもあり、改めて、こうして伝えることにしました。

 この私のnoteの記事の中では、もしかしたら、かなり毛色が違うのかもしれませんし、不定期ですが、何回かに分けて、お伝えしようと思います。そして、当時のメモをもとにしているため、思ったよりも長い記事になっています。

 よろしくお願いいたします。

 母が亡くなり、介護をするのが義母一人になったこともあったので、勉強を始めて、2度目の受験で臨床心理学専攻の大学院に合格することができました。今回は、介護を続けながらも、大学院に通い始め、講義が始まって3ヶ月目のことです。6月を迎えた頃の話です。

 その時のメモを元にしているのですが、自分自身でも、こんなにいろいろと悩んだり、考えたりしていたのかと、少し恥ずかしくなるくらいですが、もしかしたら、同じような環境の方に、わずかでも参考になるかもしれません。ただ、そのため、申し訳ないのですが、かなり長くなりました。

 大学院に入学してから、驚くほど時間の流れがゆっくりになりましたが、この頃、ようやく、少しずつ早くなりつつある頃でした。

電話

 6月1日。火曜日。

 今日は実習の日で、実習だけのために学校へ行くのは、ちょっとしんどいような気持ちもします。

 だけど、この繰り返し、というか、あのカウンセリングの施設の中にいる、ということだけで、注意深くあれば、いろいろなプラスがあるというのは、ここ2回くらいでも分かりました。

 でも、今日あたりから電話をとらなくてはいけないだろうから、それがゆううつでした。新入社員(スポーツ新聞社)だった頃に研修などは一度も受けたことがありません。最初に会社でとった電話も、「ハイ〇〇スポです」。それで、相手は、昨日のプロレスの結果を聞いてくる読者なので、「○分○秒。体固めで、○○の勝ちです」というような事を伝えて大丈夫でしたが、ここは相談機関なので、通常の会社よりも注意深くあるべきで、自分だけならいいですが、この施設に迷惑をかけるから、よけいに緊張しますが、とにかく慣れなきゃしかたがない、とは思いました。

 この前買ったばかりのワイシャツを着て、ズボンをはいて、ジャケットを持って、コンビ二で車内で食べるお昼を買って出かけました。今日は妻も病院に行って、そのあとはショートステイから戻ってくる義母がいますが、義姉にも、妻といっしょに作業をお願いしているから、なんとなく心苦しい気持ちでした。

 大学に着いて、まだ少し時間があるから、コーヒーを飲んで、トイレに行って、それから研究所へ着いたらいっしょに実習をする人はもう先に来ていました。

 午前中担当の人から、引き継ぎはしたのですが、特に何もなく、電話を待ってドキドキしていました。クライエントの方の人数も先週よりも減ったみたいで、それほどの混乱もなく、だけど、人がこの待ち合わせ室に入ってきた時に、ちょっとびっくりしてしまう感じがあって、こういう事が空気を乱してしまうんだな、と反省もしました。

 それは、無駄に緊張しているせいもあるのでしょうが、やっぱり慣れるしかないのだろう、とも思いながら、でも電話も待っていたのですが、電話がなりません。

 先週はもう10回くらいは電話が鳴っていた、と思われる時間帯でしたし、この施設での講演があって、その問い合わせがかなりあった、というのが昨日でしたから、いつ鳴るだろう、と思って、2時間以上がたったのですが、一度も鳴らないまま時間が過ぎました。

 ただ、今日は電話がないなあ、とぜんぜん鳴らないのがウソみたいで、こんなに鳴らないなんて、と思っていて、いっしょに実習をやっている人と話をしていたら、その人はよくお金をひろう、という話を聞き、私と違って、強運なんだと思いました。

 そうこうするうちに、午後3時半頃に、電話がなった。はいカウンセリング、という単語を言ってから、おたおたしてしまい、ごごごございます、みたいになってしまいました。

 我ながら、ひどいものでした。なんとか用件を聞いて、そしてメモを残したのですが、あがっていて、緊張していたのは分かりました。ホントにばかみたいです。学生と違って、社会人は電話になれていて、みたいな事を言われたのですが、大学から大学院へ進んで来た女性の方が、すっとやっていると思いました。

 お恥ずかしいことですが、それでも大きなミスでなくて、よかったと思いました。自分の研究ゼミの指導教授の講演依頼が最近、すごく多い、という話を聞くと、なんだか嬉しい気持ちになりました。

 それから、内線が1本だけで、実習時間が終わりました。今日はなんだか動きも少なく、妙な物足りなさも感じて、図書館で本を借りてから帰りました。

 実習の途中で、夏休みまで、1ヶ月半ですね、みたいな話をして、すでに終わりの気配を感じてしまい、ちょっと寂しくなりました。油断しているとすぐにこの2年は過ぎてしまう。大事にしないと、と思いました。そして、ここで知り合った同期の人たちとは、それが可能かどうかは別としても、仕事のプロになってからも仲良くできたら、とてもハッピーだとも思いました。

(この書籍↓も、面接を考える時には、必読書だと思います)


人前

 6月2日。水曜日。
 昨日は実習。今日はインテークカンファレンスという事なので、ほぼ昼頃に出て、地下鉄の車内で食事をして、なんだか眠い、と思いながらの2日間です。

 事例検討、それも初回面接に関わる検討という事で、4人の人が前に出て、4つの事例を話すことになっていました。基本的にはおとなしくしていようと思ったのですが、事例の中の話はやっぱりクライエントが大変そうで、いろいろな言葉やイメージが勝手に思い浮かんでいたのですが、それが表に出ていたせいか、司会の教授に指名されました。

 それでどぎまぎとしながらも、私から質問が出たせいか、少し話が活発になったあとに、厳しいと言われる教授が、そんな事が本質ではない、というような指摘があり、空気が一気にはりつめたのだが、その言っていることは確かにうなずける事でした。

 それから、あとは3つの例のうちの2つが介護関係の話で、他人事とは思えず、思わず話をしてしまったのですが、感情的だったり、臨床心理学的でなかったり、時間が伸びたりで、結果として嫌な思いというか、うざい気持ちになっている人もいるのでは、と思いながら、発言のあとの時間を過ごしました。

 でも、厳しいけれど的確な教授には、いい質問だった、と言われたので、それは気をつかってくれている部分もあるとは思うのですが、素直にありがたく思いました。それにそういう発言とか、介護関係の文章を読んで勝手に熱くなっていたせいか、かなり汗をかいていたので、着替えたTシャツが松本大洋の「鉄コン筋クリート」で、お、シロとクロですね、とほめられたりしたのもうれしい気持ちになりました。

 そのカンファレンスが終わって、コピーをとって、閲覧室で資料の整理をしてから、初めて学内にあるトレーニングルームへ行きました。講習会も参加したので、少し着替えて、入ったら、先客の若い、おそらく大学生の運動部員が「使いたいマシンばかりが壊れてるんですよね」と声をかけてくれました。

 確かに、この前の講習会の時よりも何台にも故障中の紙がはってあって、5台くらいが使えなくなっています。それででも、腕や足や背筋や腹筋など一通りのトレーニングをして、その途中で先客の若い人は帰っていき、一人になり、エアロバイクで持久力のトレーニングを、と思ったのですが、イヤーセンサーがなくて、そうなるとどう使ったらいいか分からなくて、結局は、トレーニングを始めてから40分くらいでやめました。

 そのあとシャワー室に行き、水しか出ない、と思ったら、お湯をわかすスイッチを見つけ、シャンプーも使い、最後にいろいろスイッチを切って、そのトレーニングルームを閉めて、カギを返す場所に返却しました。

 それなのに、コンセントを抜くのを忘れていて、もう一度トレーニングルームに戻ったりもしましたが、なんだかさっぱりとして気持ちがよくて、家に電話をして義母の様子に変わりがないことを確認してから、学食へ行きました。

 トレーニングのあとは、鳥のタンパク質がいいんだ、と思って、からあげ定食を食べていたら、同期の人たちが来て、いろいろと話をしながら食事をしたら、楽しい時間になりました。

 改めて86年生まれ(たぶん24歳)、とか、87年生まれ(おそらく23歳)、とか、を知って本当に若いんだ、と思いました。でも、いっしょにいる時は、そうはいっても、それほど意識しなくてすむようにはなってきつつも、でも、彼ら彼女らの先の未来の長さがちょっとうらやましかったりすることもあります。

 自分だって同じように若い時はあったのに、その時には努力が足りなかった事を思い出しながら、それでも、今は楽しいのはありがたく思いました。

 それから、夜の6時過ぎから、実習ゼミがあり、すでに臨床心理士として仕事をされている人の話を聞き、なんだかすごくて微妙に言葉を失いました。自分はまた介護の話をするのは、この10年間で、それ以外をしていなかったからですが、でも聞いてもらってありがたく思えました。

 教授の話の中で、臨床心理士は、どうしても技法によって、成果が上がることを行う傾向が強い、みたいな話題が出て、これまでの微妙な違和感が少し分かったような気もしました。それは、私が言っている介護者への心理的支援は、成果が上がりにくい、ということでもあるようでした。

 いつものように地下鉄に乗って帰りました。途中まで、あまり一緒にならない同期生と同じ電車で帰りました。乗り換える駅についたら、レジ袋に、顔を突っ込んで、どうやら嘔吐している青年がいて、周りをその友人と思われる若い人たちが支えていました。若い、と思いました。

 毎日のように出かけさせてもらい、介護の負担が増えているはずですから、やっぱり妻にありがたいと思いました。これから早朝までは、妻に代わって、義母の介護をする時間帯です。

おでかけ

 6月5日。土曜日

 中目黒で妻と一緒に、同期の女性と待ち合わせ。午後12時。大丈夫かな、と思ったのは、待ち合わせの話をしたとき、体調があまり良くないという話を聞いていたせいもあったのですが、待ち合わせから2分すぎくらいに改札の向こうに現れました。

 よかったと思ったら、改札の扉が閉まって、バタバタしていて、そばに来るまでちょっと時間がかかりました。笑っていて、初めて会う妻ともしゃべっていて、そして、どちらも機嫌がよさそうで、ちょっと安心もしました。
 4月に入学し、同期の女性と話をし、住んでいる場所が、妻が通っていた高校があるということを伝えたら、興味を持ってくれて、会いたいというので、妻にも伝えたら、妻も同じように言ってくれたので、以前から会う話をしていて、やっと実現できました。

 同期の女性は、水曜日は学校で見ないと思って改めて聞いたら、熱を出していて、という話を聞き、じゃあ悪かったかも、と思ったのですが、それでも、今は大丈夫そうなので、3人で歩き始めました。

 まずは広い道を渡ったら、もうそのあたりの光景が違っています。

 それでも、いつか行ったハイジというお店へ着いたら、妻も同期の女性も、かわいい、としばらくいて、どちらも真剣に見て、いくつかのグッズを買って、そこから出ました。

 天気予報では急に雨が降るということでカサまで持って来ていたのですが、よく晴れています。どこかで食事でも、という話になり、同じビルのカフェのランチが700円で安い、ということで、そこに入りました。土曜日の昼間なのに空いています。スパゲッティーのランチを3人で頼みました。

 最初にスープとサラダが出て来て、少しスパイシーなので、妻が辛さに弱いので少し気になったのですが、大丈夫のようだったので、密かにホッとしました。話は同期の女性が自分の話をしていたのですが、それは私もまだ聞いたことのないような、これまでの大変だった話で、聞くほどに、若いとはいえ、よくここまでやってこれた、と思うほどでした。

 そして、今がホントに自由になったというか、解放されたという話もしていたので、それを話すことで少しは気が楽になれば、というような気持ちもあり、妻にも話をして、少しでもプラスになればとも思いました。

 その流れの中で、私が、学校でもいろいろと気を使い過ぎだとか、という話にもなり、笑いにつながったりして、おだやかに時間が過ぎていきました。気がついたら、もう午後2時になっていましたが、ここでケーキとコーヒーも食べて、またしゃべって、これからの講義の話題で、真剣な空気にもなり、なんだか学生な感じまでして楽しい気持ちでした。

 そこから、もう1軒、行こうと思っていたボタン屋にも寄ろうと少し川沿いの道を歩きます。天気はいいままで気持ちもいい時間でした。

 散歩をして、妻と同期が話す姿を見ていると、介護だけをしていた時を考えて、こんな時間を過ごせることが、うれしい思いにもなりました。あれ、この道だっけ?みたいな気持ちになった頃、ボタン屋があって、そこに入って、妻も同期も欲しいものを探して買って、そのお店が学割が使えるのを知って、学生証で少しまけてもらい、それから、また川沿いの道を歩いて、駅まで戻りました。もう時間です。家に帰って、デイサービスから戻ってくる義母を迎えなくてはいけません。

 駅に着いて、電車が来て、3人で乗って、同期の女性は、途中の駅で降りていきました。こういう時間が持てるようになるなんて、ウソのようでした。2年間、ホントに大事に過ごそうと思いました。

プライベート

 6月7日。月曜日。

 おととい一緒に中目黒に行った同期と教室で会うと、元気でした。

 その上で、休み時間には、話したいことがある、みたいな事を言っていました。何かと思っていたら、昨日の日曜日の事でした。プライベートでハッピーなことがあったようで、それは、聞いていても、微笑ましいことでした。

 だけど、20代とはいえ、これまでがいろいろと大変で、そのことはなかなか周囲にも理解されないみたいでしたが、何しろ積極的によく動いて、感心するほど人に話しかけていました。私も、同期の男性の父親と同い年ということが分かった後、あっという間に、その同期の女性には「おとうさん」と呼ばれるようになったくらい、距離感を縮めることに積極的な存在でした。

 あしたは実習で、いつもよりも、早めに起きなくてはいけないことも含めて、少しゆうつつだけど、少しずつ慣れていくしかないというのは変わりません。陪席、に申し込もうかどうか、迷っていました。

発表

 6月8日。火曜日

 今日は、実習の日で、カウンセリングの施設の受け付けです。電話がゆううつだったのは、これまでの生活の中でもほとんどしたことがなかったせいで、午前中から午後に変わっていきなり電話が来て、とりあえずは、ございます、まで言えました。

 細かいことを言えば言葉使いへのソフトさが若干欠けている、という指摘をされたのですが、なんとか乗り切れたと思います。そういう言葉使いの柔らかさ、というのは、そこを気をつけないと、気持ちに侵入している感じが、つい出てしまう上に、本人には気がつきにくいので、そうした指摘はありがたかく思いました。

 今日も、それほどの混乱もなく、それでも、少し気になることはありましたが、あまりにも心配するような気持ちは減っていました。

 それは慣れて緊張感は減ったかもしれないのですが、でも、そうした妙なゆとりみたいなものに、自分でも警戒心みたいなものは感じていました。もっとちゃんといろいろと思わないと、ダメなのでしょう。

 そして、出来たらインテーク(初回面接)への陪席、というものにもちゃんと参加しないと、慣れていく、というのが自分の場合は、若い人よりも時間がかかりそうだから、その機会も作らないと、と思いながらも、その陪席の機会は、午前中のカウンセリングしかなく、そのチャンスはまだないままでした。

 閲覧室へ行き、この前、自分がとり忘れた資料を持って来て、学食へ行って食事をしました。今日はぶたすき丼にして、食事をしていたら、同期の女性が来て、そして、木曜日発表のレジュメを見せてくれました。なんだか違和感がありました。

 これだと、本人が否定的に語っていた、ただ無難にまとめただけに近いのではないか、というような気持ちになりました。ただ無責任には言えないので、どういえばいいか?を考えて、また読んで、その元の論文を読んで、さらに、いろいろと話をしました。   

 他の同期は何人もいたのですが、それでいいんじゃない、的な事を言われ始めたのですが、土曜日に一緒に中目黒に行ったときにも聞いた、自分自身の目標みたいなものと、かなりずれがあるように思えたので、その事を伝えましたが、それが、ただウザいことになっているかもしれません。

 講義の時間になり、今日の発表は教授自身の話で、そして、組織に入っていく、という部分で、私に話がふられたので、その時に、いっけん味方、という人がやばかったりします、みたいな事を言ったら、反応は良かったのですが、でも、調子に乗りやがって的に見られているかも、などとも勝手に感じ、微妙に気持ちが重くもなりました。

(組織の臨床を考えるには、この本↓も重要だと思いました)

 でも、こうして人の話が広がって行く講義は楽しく思えました。

 帰りの電車の中で、先ほどのレジュメのことを、同期の女性が、さらに話題にしました。さらに、土曜日に会えたので、また妻に会いたい。みたいな話にもなりました。また、今日話題にになったレジュメを直してみて、明日、渡す、と言われました。明日、その同期の女性は、司会もあるのに、と思いました。

失敗

 6月9日。水曜日。

 今日は、修論構想発表会、という名目で、私たちより1学年上の大学院2年生が発表の日でした。その名の通り、修士論文の途中経過を口頭で伝える時間です。

 一人10分でも、約4時間かかります。かなりの長さ。そして、そういう発表会を私は見るのは初めてでした。ちょっとわくわくしています。

 今日は、神奈川県で、母が入院していた病院で、患者さんへ渡す誕生日カード作りをするボランティアをいつものように終えて、バス停に行って、時計を見ると、電車に間に合うかどうかぎりぎりの時間でした。その時刻に乗らないと、修論構想発表会に間に合いません。

 バス停のターミナルにタクシーが止まっていて、運転手が寝ていて、ノックしたら起きてくれて、最寄りの駅まで行きました。いつもよりも早い時間。午後5時25分発の電車に間に合うように電車に乗りました。

 神奈川県の中央付近から、東京都内まで行き、地下鉄に乗り換えました。タクシーと電車代で3000円くらい。時間をカネで買うという感覚が少し分かった気がします。コンビニでいろいろと食べ物と飲み物を買って、いつもはあまり使わない大きい教室へ向かいます。

 けっこう人がいっぱいでした。司会は昨日もレジュメの話をした同期の女性です。緊張しているのが伝わってくるようでした。教室の、うしろのすみっこで座って、今日は何も言わないでおこうと思って、座っていました。だから、気が楽でした。

 そして、一人10分とはいえ、時間が長い。そして、発表者が、印刷されたものを読んでいく感じになるときは、失礼ながら、ちょっと退屈になった風はあったけれど、でも、全員が、ここへ向かってかなりの時間、準備してきたわけですし、そして、おそらく見ているだけの今と、実際にああいう場所へ立っているとは大きく違うはずだと思いました。

 自分自身は研究自体がうまくいくかどうかも分からないのですが、途中で教授がいろいろと質問をしていたりする姿を見ると、やっぱりああいう人前でいろいろと言われるのは、とても緊張するのでは、と感じました。

 でも、5分発表、5分質問ならば、それを乗り切るというより、何か質問なりが出た方がプラスなのに、とは思いつつ、時間が進みました。前半、最後の人が、確か、同じ大学の出身で、役所につとめていて、1年先輩で、20年は若い人だったのですが、その人の発表で気になる言葉があったので、それで、質問までしてしまいました。

 それで、前半は終了したのですが、人前で、手を挙げて質問などをすると、ああいうことを発言して良かったのだろうか、などと、けっこう後悔したりもしました。

 後半も発表は進んで行き、最後が近くなります。最後の人のテーマが面白いな、出来たら聞いてみたいことがある、みたいな事を思っていたら、その人の順番が少し前になりました。

 発表の前に、ご配慮ありがとうございます、と言っていたので、その時点で気がつくべきでした。何かがあったのだろう、と思うべきでした。

 私は、もう何かを終えて来ているのだと勘違いしてしまい、だから、発表が終わって、教授陣から何も出ない時に、つい質問をして、時間を長引かせてしまい、それからあと、しばらくたって、その先輩が、いなくなっていたので、なにかあったのだろう、と初めて気がつきました。順番を早めにしたというのは、それで、早く帰らないといけない何かがあったはずなのに、それに気がつかなくて質問までしまうのは、にぶくてダメだ、とけっこう落ち込んで帰ってきました。

 途中でゼミの担当の教授と一緒で、私自身の介護のことですごく気をつかってくれたのに、もっとちゃんと御礼を言わないといけなかったのに、なんだか落ち込んでいて、きちんと話せませんでした。申し訳ない気持ちが、家に帰ってきても続いていました。

成功

 6月10日。木曜日。

 朝からメールを送ったりしていました。

 午後4時くらいに学校に行こうと思っていたりもしたのですが、結局は、少し早めに行くくらいなのに、それでも、デイサービスから戻ってくる義母の補助をできなくて、妻には悪い、と思いながら電車に乗っていました。

 1時間少しで大学に着いたら、同期の女性は「発表の原稿は出来た」と言っていました。それから一緒に食事をする時に、出来たというレジュメを見せてもらいました。もう一人、遠距離通学の若い同期の女性も一緒に食事もしました。内容がよくなっています。おとといのものより、そして、昨日の状況からも、予想以上によくなっていた、という言い方は生意気ですが、でも、すごいと思いました。そのことを伝えました。

 発表が始まりました。

 なにしろ、これまで、私はパワーポイントも使ったことがありません。パワーポイントを使って発表をするときは、一つ一つのスライドごとに自分の話も入れていって、このやり方は紙芝居と一緒で、自分のコメントを入れるタイミングがとりやすい、という事なのか、というのが初めて分かった気がしました。

 同期の女性の発表に対して、時々担当教授の指摘は入ったりもしたけれど、でも、議論が広がった場面もあり、その発表原稿の元になった論文の筆者である担当教授の話もあり、かなり興味深い時間が過ごせました。指導教授は、自分の意見も入れて、いいリポートでした、と言い、なかなかほめない人という印象だっただけに、本当だと思えました。

 今日は、合計で5人が発表をして、時間が過ぎていきました。

 私たちの1年先輩である大学院の2年生の人たちは、昨日の発表会が終わってぐったりとしていて、疲労が見えていたのですが、そんな状況でもシャープな人がいて、その人は意見を言っていたのですが、短く、鋭い話で、30代くらいで、私よりもはるかに若いのですが、そのクールさは、ちょっとうらやましいくらいでした。

 そして、帰りは、発表を終えた同期と一緒になり、その内容について話をして、それで、本人も、うまくいった手応えがあったようで、ホッとしたし、なんだかうれしかったし、帰ってきても、しばらくその気持ちが続きました。

 妻が、今日、友達に電話をした、と聞きました。その人は私も知っていて、ずっとメールの返事もなくて、ちょっと気にはなっていました。他におもしろい話がいくつかあって、というような内容になり、「あ、そうだ、義母をトイレに連れて行かなきゃ」と席を立って戻って来たら、妻がもう眠そうにしていたので、いつものように背中や肩や足をマッサージして、静かな音楽をかけて、寝てもらいました。

 話の続きは、明日、聞こうと思いました。それにしても、今の生活は、半年前でも考えられないような生活でした。大学院に受かることも、学内で孤独になることもなく、こうやって若い同期も出来て、妻と3人で会ったり、講義のことで議論したりと、実はものすごく充実した日々を送っているのでは、と感じています。

 今日も妻が眠っている夜間、午前4時過ぎまでは、義母の介護が続きます。

慣れ

 6月11日。金曜日。

 金曜日は質的研究の講義で、毎回、講師の先生がとても工夫してくれているような気がします。

 今日は、この前の発表会で、修論構想発表会の時、早く帰る時に質問をして、もしかしたら迷惑をかけたかもしれない上級生に会えるかもしれないから、謝ろう、などとも思ったりしていました。学校へ行く途中で、時間があったら、興味を持ってくれた「鉄筋キンクリート」を買って持って行った方がいいかも、とか、妻に誕生日のプレゼントを買おうとか、いろいろ思っていたけれど、義母を買い物に連れて行ったりしたら、けっこうぎりぎりになってしまいました。

 でも結局は、お菓子を買ってくじをひいたら当たってしまい、より時間がかかり、だから家を出るのも、いつもくらいになってしまい、1時間少しで大学に着いてから、図書館へあわてて寄ってから学食へ行き、急いで食事をしていたら、同期と会って、彼ら彼女らはわりとゆっくりと食べている中で、一人であせって食べていたら、午後6時を過ぎ、講義の時間になりました。

 質的研究の続きで、だんだんと具体的な内容になってきて、それは、おもしろそうだと思う半面、とても手間がかかるような事でもあり、その結果、なんだかありきたりの結果しか出なかったら、やっていて、意味がないのかもしれない、と思ったりもし、それで前半が終わりました。

 休み時間にお菓子を配り、なんだかわきあいあいとして、後半になりました。

 質的研究の文章の分析の最初の段階、区切った文章に見出しをつける、というもの。それにすべてつけて、内心、大丈夫と思いながら、そのプリントを回しました。

 別のグループのものが回って来ました。いっせいに点数をつけるやりかた。クイズだかゲームのようで、そして私を含む4人のグループでは、他の人のプリントに対して、辛めの点数を付けすぎていないだろうか、と思うくらいでしたが、でも、それで時間がすぎ、一通りの採点(?)がすみました。

 戻って来た自分のものは、自信がありそうなものは、点数が低く、平凡だと思ったものがそこそこだったりしたのですが、結局のところ、人にあんまり伝わらないのか、伝え方が未熟なのか、と思って、なんだかガッカリもして、出来ると思ったことが出来なくて、大丈夫かな、と思いました。

 何より、膨大な分析をしても、平凡は結果しか出なくて、それでガッカリ、ということにならないのだろうか、という不安ばかりがあって、今日の新聞でも3回にわたって、介護を取り上げたコーナーでは著名な社会学者が出て来て、なにやら大ざっぱな見方を披露していたように思えたのですが、今の自分がこんなもんでは、とうてい、ああいうおおざっぱな見方に対して、正当なクレームはつけることが出来ない、というような無力感もあるような気がします。

(質的研究には、いろいろな方法があり、研究に合うものを見つけるのが大事なのだと教わって気がします)。

 それから、講義が終わり、同期の何人かの若い人たちと地下鉄に乗って、電車が進んで、駅に着くと、何人かが降りていって、人数は減っていきながら、それでも、いろいろと話しながら時間が過ぎました。

 いつの間にか今週の講義も終わって、なんだか慣れて来た感じがして、あれだけ時間が遅く進んでいたのに、1週間が微妙に速度を早めてきた気がします。気をつけないと、あっという間に過ぎてしまいます。

 帰ってからは、義母の介護が始まります。

将来

 6月15日。火曜日。

 昨日も、いつものように午前4時過ぎまでの介護は続いていますが、介護の事で改めていろいろと考えることがあり、微妙に気が重くなりました。

 今日は、実習の日で、実は1週間のうちで一番気持ちが重いのは、やっぱりまだ慣れていないせいだと思います。ただ、慣れることで、その場で感じる気持ちをなくしてはいけないとも思うのですが、だけど、少しは慣れないと何の余裕もなくなってしまいます。

 今日も少し早めに着いて、キャンパスをながめます。ベンチの近くにサラリーマン風の人がいるから、ちょっと若さの純度は下がるのですが、ここでぼーっとしていると、この場所は、ほぼ20代前半の人しかいないので、自分の50近くの年齢という事をふわっと忘れてしまうような気がする瞬間があります。

 それは今までは違和感ばかりを感じていたのが、ここにいることに少し慣れて来て、それがリラックスを生み、気持ちが退行みたいなものに近づき、だから自分の年齢を忘れ、難しくいえば、目の前の光景と同一化をしていたのだと思います。

 だから、ふと、最近のニュースで、引越し会社の大手の会長か何かが10代の女性とあれこれあったという話を思い出し、老いを感じたのだ、それも、ばりばりに何かをしている時ではないから、その恐怖心が若さとの同一化みたいなものに走って、だから、もしかしたら誰でもよかったのかもしれません。そうしたら、芥川龍之介の「御伽草子」での、「カチカチ山」のうさぎのように、「私でなくてもよかったんでしょ」と怒って当然なのかもしれない、などと思いました。

 そして、今日も実習では決してうまくはいっていないと思われる状況で、まだおたおたしてしまうし、電話でも言葉がうまく出てこなかったりしてしていますが、そういう中でもやっぱり少し慣れて来た気もします。

 それはそこにいるスタッフの方々と少し顔見知りになれた、という事で空気に慣れて来た、という事もあるでしょうし、一緒に受付の実習をしている同期の女性のおかげでもあると思いました。

 そして、時間を見て、ひそひそ声で話をしたりする中で、いろいろな事をしゃべったりもしたのですが、その後、私は、学食で食べて行こうと思って、実習も一緒だった、同期で社会人入学の女性の人と、いっしょに食事をしたのですが、その中で、将来の事も少し話をしました。

 ちょっとでも現実的な事を考えたら、学校でも医療でも企業でも、若い人たちが優先的に仕事があるのは当然で、そして、今社会人で働きながら学校に通っている人は、戻る、というか、今まで通りか、もしくは資格を使ってステップアップした場所に行くはずなので、それでも仕事に困ることは少ないはずです。

 だけど、私は、再び、介護をする日々に戻るだけです。

 資格をとって、ボランティアでも介護する人への心理的支援は始めようとは思っていますが、でも、義母を夜中にトイレに連れて行く生活に変わりなく、だから、収入としてはほぼないに等しい日が続くはずです。

 大学院を修了して、もっともみじめな状況に陥る可能性があるのは、社会人といいながら無職のこの私だから、同期に合わせる顔がない、という事がないように、がんばろうと思いつつも、なんだかちょっと悲しくなりました。

 帰りに、本屋へ寄って、地下鉄に乗って帰って、妻に、この10年間に何が身に付いたんだろう?みたいなことを言ったら、「私に言葉があったら、そんな事をひっくり返せることを言えるのに」と励まされました。

 私は、介護の時間が無駄でない、何か、とんでもなく大事なものが身に付いた、という事を証明するためにも、今、この学生をやっているのだ、という事を思い出しました。

 ライターのときも自分で仕事を開拓しようとしたので、今度もいっしょだで、確かに歳はとっていますが、でも、ベストをつくして、なんとか成果を出さないと、妻にも同期にも恥ずかしい。と改めて思いました。

嫌悪感

 6月19日。土曜日。

 土曜日は朝が早い。午前10時から始まるから、午前9時前には家を出なくてはいけません。でも、義母の介護があるから、寝るのが午前4時くらいなので、すぐに朝が来た感じがします。妻が朝のドラマを見終わったあとに起こしてくれました。あんまり寝た気がしないのですが、講義があるから、出かけなくてはいけません。

 それほど気が進まないのですが、今日の事例検討会で発表をするのはこの前、ゼミでも発表していた人で、あれだけ努力しているのだから、という気持ちもあって、生意気かもしれないけど、何かあったらフォローが出来れば、という気持ちもありました。

 少し小雨が降っているけど、1時間少しで大学に着いて、コーヒーを買って、初めて入る教室へ向かったら、50人くらいの教室が3分の1くらいの人数でした。

 資料を見たら、水曜日から、その発表の内容の予定が大幅に変えられていました。大変だったのだろうと思いました。話が始まり、あまり質問とか意見とか言わないようにしよう、みたいな事を思っていたけど、なんだか学習面の支援みたいな話だけに終始しそうになったので、そういう事ではないような事を言おうとしました。通じたかどうかは分からないし、なんだか、長くなってしまったかもしれませんが、伝えたいことは伝えられた気もしました。さらに、まだ検討会は続き、しばトイレに行きたくなり、帰ってきて、また話は続き、やっぱり気になった事を聞いたりもしました。

 そして、その事例検討会が終わったのですが、でも、自分がまだ専門性とかないのに、言いたいことを言って、ある意味、邪魔したような気がしてきたりもしました。朝の早さもあって、がっくりとしました。

 昼食を一人で食べて、さらにぐったりとして、そして、妻もカゼだし、という事で、早めに帰って来ました。妻は寝ていました。自分も眠いけど、なんだかまだ眠れません。自分が何もしていないのに、事例検討会で、偉そうな事を言っている、という嫌悪感みたいなものがあったりもするせいでした。

 でも、偉そうに、という自分に対する気持ちはあるのですが、あの場合だと、あのままだと、せっかく発表している人にプラスがあまりない、というか、本人が困っているような部分に対して、検討されていないし、何か答えていないというか(正解があるわけではないですが)という感じがしてしまって、手をあげていました。

 最近、何か言ったあとに、妙な嫌悪感があるのは、自分が臨床として仕事や、現場での実習を何もしていない癖に、という気持ちが強くなってきているせいだと思います。

 ただ介護をしているだけ、という自分が、ただ50近くなっているだけ、という事で、何かを言っていいはずもありません。だけど、いろいろ聞いていると、どうしても何かテクニック的というか、相手を観察の対象みたいに見ているような視線を感じて、そればかりが強すぎる場面では、どうしても何かを言いたくなってしまいます。そして、自己嫌悪感を感じる、という繰り返しが時々あって、自分でもめんどくさい、と思ってしまいます。

 ただ、こういう中で、少しでも何かに慣れようとしているのも事実で、というより、こういう機会に何かを言う、というのは、その発表者の話をなるべく自分の体験のように近づけたい。それによって、少しでも経験値をつけたい、みたいな気持ちもあって、人から見たら、でしゃばりくらいな感じで話しているのですが、でも、やっぱり時々、自分で疲れます。

 特に、そういう発言のあと、ほとんど誰とも話すこともなく、帰ってくると、なんだか疲労感が強く、自分がめんどくさくなります。だけど、これでやっていくしかないようです。

 今日も、介護は続いています。




(この話は、⑮に続きます↓)。




(他にも、いろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
 この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。

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