『「介護時間」の光景』(61)「草」「出発」。6.8.
いつも読んでいただいている方は、ありがとうございます。おかげで、書き続けることができています。
最初の説明が繰り返しになり、申し訳ないのですが、私が介護に専念している頃のことです。
前半は、19年前の「2002年6月8日」のことです。後半に、今日、「2021年6月8日」のことを書いています。
初めて読んでくださっている方は、見つけてくださり、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
元々は、家族介護者でした。
1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。自分が心臓の病気になったこともあり、仕事は辞めて介護に専念せざるを得ない状況でした。
転院してからも、母の症状はしばらく安定せず、全く会話ができないような状態になったかと思うと、急に回復する、という繰り返しがあり、それは周囲の人間にも負担がかかることでした。
自分が、母の病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでしたが、でも、通わなくなって、二度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、通い続けていた頃でした。転院当初は、それ以前の医療関係者にかなりの負担をかけられていたこともあり、最初は、うつむき加減で通い続けていました。
ただ、2002年の頃は、やっと病院への信頼感ができてきて、介護の状況も変わっていなかったのですが、少しだけ気持ちが軽くなっていた頃だと思います。
毎日のように記録はとっていました。周囲の小さな変化に対しても、今よりも敏感だったような気もします。
2002年6月8日。
草
電車に乗って多摩川を渡る時、下に見える河川敷に広く生えている50センチくらいの何かの細めの草が、風でいっせいに柔らかく揺れた。
夏の前なのに、それだけで、なんだか秋っぽいと思ってしまった。
(6月8日 多摩川)
『午後4時過ぎに着く。
カゼが少し良くなったので、少し気分がいい。
この前持って行った花の鉢を母の病室に置いていたのだけど、その底に敷いた受け皿から、水があふれていて、それは仕方ないのだけど、そこに母は気がついていなくて、それを処理したのだけど、気がついていないのが、気になる。
誕生日のことを話をして、
「大丈夫よ。用事があるなら、来なくて。いつも来てくれるから」と言われる。
「77だね」
「喜寿なの」
そんな話をしてから、母はトイレに行く。
夕食は40分かかって、その後にサッカーを見る。
ワールドカップを、病院で見るとは思ってなかった。
母は、最初は、横になって見ていたのだけど、少し起き上がったりしていて、他の番組がいいのかどうかを考え、聞いたら、「これでいい」という返事。
元気があるのか、ないのか、何だか分からない感じで、それから、また77歳の話をして、少ししみじみとした。
もうすぐ長生きと言えるのかもしれないけれど、でも元気とは言えないし、だけど、本人は笑顔で、「元気で迎えられる」と言っていた。
25日には、病院での誕生日会があると言いながら、「出なくていいわ。他の家族も来ないし」といったことを言っていたけれど、それは、根拠もなく言っているけど、どんな気持ちなのだろう、と思う。
そういえば、病棟の中を母と一緒に散歩をしていて、そのときに、「外へも出れないし、2周するのよ」とほぼ何の感情もなく、話していた。
その途中で、私も顔見知りになった患者さんと会って、あいさつをする。
廊下の壁には、塗り絵を、貼ってある。
麦わら帽子を紫に塗ってあるものがある。
それを母が妙に気に入っているので、その理由を聞いたら、
「だってきれいに塗れているし、リボンの色とのバランスもいいから」と答えてくれた。
他の人が割と薄めの色だから、このはっきりとした色使いがいいのだろうか。以前とは、好みが随分と変わってきているようだ。
母と話をしていると、母の方が、他の患者さんよりも、自分の塗り絵がどれかを忘れたりしているから、もっと病人に見えたりもする。
午後7時に病院を出る。
空がきれいで、まだ結構明るい』。
出発
今日は土曜日なので、いつもと電車の時刻がちょっと違う。だから夜の帰りに、平日ならば少し急げば乗り換えができるのに、ちょうど出発するところだった。
電車が、すべるように遠ざかっていく。あー、という言葉がかぶさるような動き方。
ここはターミナル駅だから、線路の終わりがある。だから、少し密閉されたようなイメージもあるせいか、出て行く電車が、注射器で血液を吸い取る時のような動きと重なった。ちゅー、という音が聞こえてきそうな加速だったせいだろう。
(2002年6月8日)
その後、2007年に母は亡くなり、その後は義母の介護が続いたのだけど、2018年に、義母も亡くなり、突然、介護も終わった。
2021年6月8日
オリンピックに関する話を毎日のように聞くようになった。
今まで、この話題が、これだけ憂うつだった記憶はない。
今の状況だと、やっぱり中止にして欲しいのは、自分や家族に持病があるとか、いろいろと考えると、海外から何万人も訪れることが、無事で済むような気がしなくなっている。
だけど、理由の説明もなく、とにかくオリンピックを開催する、と言い続けているのが、責任を持つと思われれる人たちの口から出てくると、とにかく怖い。
ワクチン接種が始まったといっても、まだ先になりそうだし、これからも、できる限り自衛するしかないけれど、オリンピックが開催されたら、夏は怖くなるし、冬も怖くなりそうだ。
雑草の季節
家の赤いポストを近所の人に作ってもらった。庭の、その前のスペースに、初夏を前にして、いろいろな雑草が生えてきている。
それに対して、私自身は、ポストへ向かって歩く場所というイメージが強いけれど、妻にとっては、その場所の意味が違うらしい。
妻の見方
『いろいろな葉っぱが出てきてるよ。
ヒゴスミレがあって、スミレもある。
これなんだろう?という大きな葉っぱもあって、それは「楽しみ葉」だと思う。
ツタも、シソの葉もあるし、ヒメヒオウギや、おなじみのカタバミもあちこちに出てきてる。
それから、これ木になるやつだ、っていう葉っぱもある。
柿の芽も出てきてるかも。柿の種が落ちているから、生えるけれど、庭に2本はいらないから、抜くと立派な根で、あ、そうだったというのがある。
あとは、これなんだろう、っていう葉っぱはまだあるから」。
庭の見方
かなりスムーズに、そして、嬉しそうに話してくれて、完全に見えている世界が違っているのは、分かった。
妻の影響で、少しは「雑草」について理解してきたような気もしていたが、そんなにたくさんの種類が、この狭いといっていいスペースに、生えたり、芽を出したりしているとは知らなかった。
まだ、私の「庭の見方」が甘いのだと思う。
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