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『「介護時間」の光景』(107)「ケーキ」。5.5.

 初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

 いつも読んでくださる方は、ありがとうございます。
 そのおかげで、こうして書き続けることができています。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことで、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2007年5月5日」のことです。終盤に、今日、2022年5月5日のことを書いています。


(※ この「介護時間」の光景シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況を書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)


2007年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は入院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。

 土の中で息を潜めるような生活が続き、だんだん慣れてきて、4年が経つ頃、2004年に母にガンが見つかり、手術し、いったんは症状はおさまっていたのですが、翌年に再発し、それ以上の治療は難しい状態でした。

 そのため、なるべく外出をしたり、旅行をしたりしていました。

 2007年の2月には、母の希望していた熱海に旅行に行けたのですが、その後は体調が整わず、さらに不安が大きくなっている頃でした。

 ほぼ毎日、病院に通っていました。

2007年5月5日

ケーキ

 駅から少し歩き、いつものように送迎バスに乗り、出発してすぐにだいたい交差点の信号につかまり、止まることが多い。すぐ前にコンビニ。缶コーヒーだけを買うと、飲み終わった後に入れ物に困るから、レジ袋をもらうことがあるのだけど、ここは商品を渡すと、スタッフが、まずテープを切って、缶に貼っている途中に「袋に入れますか?」と聞いてくるので、ここでは買い物をしなくなった。

 その隣には病院の建物があって、その敷地の中に、何かの倉庫なのか、用具入れなのか分からないけれど、小さいコンクリートの箱のようなものがある。高さ2メートルくらい。立方体に近い形。何の愛想もなく、それでいて、その何もなさに主張みたいなものもない。

 雨のせいか、その箱の上の方を囲むように、波形に黒い染みがある。
 全然、おいしそうに見えないけれど、でもケーキに見えた。
 いつもは、この箱にはほとんど気がつかないのだけど。

                         (2007年5月5日)


 この日の他のメモはなかった。

 ただ、5月6日のメモによると、調子が悪くて休んだ日になっているから、記憶や記録が錯綜しているのかもしれないが、この光景を見たのは間違いなかった。

 もしかしたら、母の症状は悪くなるばかりで、気持ちの混乱もあって、このメモの日付けを間違ってつけているのかもしれないが、本当は、どういうことなのか、自分でもよく分からない。


 母は、2007年の5月中旬に病院で亡くなった。
 その後も、義母の介護は続いたが、2018年の年末に、義母が、103歳で突然亡くなり、急に介護が終わった。

 自分自身の体調を整えるのに、思った以上の時間がかかり、そのうちにコロナ禍になった。


2022年5月5日

 天気がいい。
 今日も洗濯ができる。

 洗濯物がちょうど一回分溜まっていて、洗濯機に入れて、スイッチを押して、上を見ると、柿の葉がすっかり茂っている。
 
 先月、太めの枝を3本ほど切って、印象としては半分くらいになって、その時はまだ葉っぱが小さくて、今年はこれ以上は無理かもと思っていたら、やっぱり大きくなり始めて、気がついたら、今年もきれいな緑色になっている。

 毎年、何をしているわけでもないのに、柿の木は葉っぱが茂って、そのうちに実ができて、大きくなって、渋柿なのに色が濃くなり、おいしそうになって、その途中で何十個も実が落ちて、ある時期から急に鳥がやってきて、葉っぱも落ちて、実もなくなっていく。

 そんなサイクルを毎年繰り返しているのは、やっぱりすごいような気がしてくる。

近くの花

 庭にはいろいろな小さい雑草の花が咲いている。
 外には大きいアマリリスが今年も花をつけている。

 妻に、ご近所の庭にピラカンサスの花が咲いてる、と言われ、何軒か先に歩く。

 今日は、まだゴールデンウィークだから、道路を歩く人が多い。近くの河川敷へ向かう人や、戻ってくる人たちがいて、みんなマスクをしている。

 私は、ちょっとした移動だからノーマスクで、そのことに気づくと、ちょっと後ろめたい気持ちに近づく。

 そのご近所の庭の前で、ちょっと戸惑っていたら、妻がきてくれて、教えてくれた。

 ピラカンサスの実は赤いけど、花は小さく白く咲くのを初めて知った。

介護者の視点

 ここのところ、ある人からの指摘によって、考え続けていることがある。

 例えば、この「介護時間」の光景は、昔の記述に関しては、当時の自分が書いたメモなどをそのまま載せているから、当然、介護者の視点になっている。

 その介護者の視点についての是非を、改めて(有難いことに)指摘されている。

 母親が入院し、そこに毎日のように通い、家に帰ってきてから夜中は義母の介護をして、仕事も辞めていたから、それ以外は何もしていないに等しく、その頃は希望も出口も見えなかった。希望を持つこと自体が辛かった。

 今も、心理士(師)として、介護者の方の話を聞いている時に、その人の現在の辛さや苦しさについて、できる限り、理解しようとしているし、そのことで、孤立感が少しでも和らげば、といった思いはあるけれど、特に厳しい状態の時は、希望について話題に上がることは、ほとんどない。

 それは、決めつけは良くないものの、厳しい介護環境にいる方は、やはり現状では希望も出口も見えないはずで、まずは今の気持ちをなるべく分かろうとすることをしているからだと思う。

 だから、私自身は、元・介護者に過ぎないけれど、心理の専門家として支援を行おうとするときは、完全に一致するのは無理としても、介護者の視点になるべく近づこうとはしているが、そのこと自体が問題ではないか、というような指摘は、この10年でも、何度もされてきた。

 当事者性が強すぎると、適切な研究や支援ができないのではないか、ということだ。

 それに関しては、正確な研究ができるかどうか。より良い支援が可能かどうか。そのことを基準にして、さらには、主観と客観というテーマも関わってきているように思うので、今も、考え続けている。

買い物

 夕方近くになって、妻が自転車に乗って、買い物に出かけた。

 私が「行こうか?」と聞いたのだけど、今日は、「冷蔵庫の中も減ってきたし、自分で見ながら買い物をしたいから」ということで、妻だけが出かけて行った。

 それも、いったん戻ってきて、肉などを冷蔵庫に入れ、再び、近くのコンビニに出かけていき、いつも買う飲むヨーグルトと、気温が上がってきたせいもあってボックスのアイスクリームを購入して帰ってきた。

 いろいろとお願いをして申し訳なかったのだけど、しばらく切れていた入浴剤も買ってきてくれた。

 初めての「ベルガモット」の香りだけど、妻は、何かで「この香りがいいらしい」ということで、買ってきて「楽しみ」と笑顔だった。

 私は薬屋で見るたびに、ドライマティーニが浮かんでいたのだけど、それは「ベルモット」の間違いだったことを知った。





(他にも介護のことを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
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