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『「介護時間」の光景』(131)「小便器」。11.8.

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、私自身が、家族介護者として、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2003年11月8日」のことです。終盤に、今日「2022年11月8日」のことを書いています。


(※この『「介護時間」の光景』では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。

2003年の頃

 私は、元々は、家族介護者でした。

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は入院したのですが、私は病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。自分が心臓の病気になったこともあり、仕事は辞めて介護に専念せざるを得ない状況でした。

 母の病院に私が通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでしたが、でも、通わなくなって、2度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって通い続けていました。

 転院当初は、それ以前の医療関係者にかなりの負担をかけられていたこともあり、最初は、うつむき加減で通い続けていましたが、2年経つ頃に、今、母がいる病院へ信頼感も出てきたと同時に、母の症状も比較的安定していました。

 だから、2003年の頃は、自分も穏やかだった頃かもしれません。

 そのころの記録です。

 毎日のように記録はとっていました。周囲の小さな変化に対しても、今よりも敏感だったような気もします。


2003年11月8日

『午後4時20分頃、病院に着く。
 今日で三日連続で病院にきて、久々かもしれない。

 今年は、母も安定していて、だから、毎日来なくても大丈夫かも、と思うようになっていた。

 母はベッドで横になっていた。

 今日は病院の運動会
 私も知っていて、母とも仲良くしてくれている患者さんが、選手宣誓をしたそうだ。

 母は横になって、病室の部屋の中のテレビで、サッカーを見ていた。
 今日も、よく喋っていて、喜んでくれているようだ。
 ありがたい。

 母の雰囲気は少ししっかりしてきたように感じる。

 空のペットボトルをいくつも3角形になるように病室の床に並べて、それに向けて、テニスボールを転がして倒すことを、「ボーリング」と名付けて、そのセットを一緒に収納する箱を、妻が作ってくれたせいもあって、マメに出し入れをして、母は続けている。

 毎日のようにしているので、それは、よく続くなあ、という気持ちにもなる。

 夕食は30分ですんだ。メニューはカレーだった。

 午後7時に病院を出る。帰る前に、3日くらい来れないかもしれない、と伝えたら、「バナナがある時は、こなくて大丈夫」と言われる。

 医師から、カリウム不足を防ぐために、バナナを勧められて、それからは、欠かさず用意して、病室に置くようにしている。

 そのことを、母も、ちゃんとわかっているようだった』。


小便器

 男性トイレにしかない小便専用器。
 
駅のトイレには何台も並んでいる。人が使っていない時は、ものすごく無駄に見えることもある。

 今は、ほぼ満員状態。その中の一人が、人よりも明らかに遠い場所。たぶん小便器から1メートルくらいは離れて、立っている。

 私は小便をしながら、横をちらちら見ていた。一応、チャックはあけて、準備はできているようだけど、何も出ていないようだ。

 私は用を足し、手を洗って、でも、まだ出ていないようだ。大きなお世話だと思うけれど、ただ立っているだけだと、その遠い距離もあって、すごく異様に見えていた。

                         (2003年11月8日)


 この生活はいつまでも続くように感じていたが、翌年2004年に母はガンになり、手術もし、一時期は落ち着いていたが、翌年に再発してしまった。そして、2007年に母が病院で亡くなり、「通い介護」が終わった。

 義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し3年かかって修了し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、デイサービスに送り出して、その時に病院に運ばれたあと、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。それから昼夜逆転のリズムを修正するのに、思ったより時間がかかり、少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2022年11月8日

 起きたら、妻がいなくて、どこかへ出かけていると思ったら、しばらく経ったら、帰ってきた。

さくら

 手には、葉っぱが何枚もある。

「さくらの葉っぱがきれいになってて。拾っていても、次々と散ってくるよ」。

 河川敷にも桜があるけれど、その手前の高校の前に桜並木がある。そこに行って来たようだった。

 その言葉の熱につられて、見に行った。

 赤っぽかったり、黄色に近かったり、そして、確かに葉っぱが次々と散ってくる。

 秋にも、桜吹雪があるんだと思う

 見上げていると、青空もきれいだった。

コピー

 家に戻ってきたら、妻は、その葉っぱをビニールに入れて、その上から木の板を乗せている。

 どうするの?

「これで少し平らにして、コピーとろうと思って」。

 さらに、この前とった家の柿の皮をむき、干し柿にしようともしていて、大変だけど、大丈夫?と聞くと、大丈夫、天気もいいし、と答えてくれる。

 午後には、干し柿が、2階の窓の外へ並んでいた。
 それだけで、ちょっと風景が変わる。

ドラマ

 夜にドラマを見ると、その内容によっては、妻が眠れなくなるからと、録画していたドラマを夕方に一緒に見る。

エルピス」。フジテレビ系の月曜日午後10時。

 フィクションなのだけど、自分の仕事のことも考える。

 小さなことでも、ちょっとしたことでも、本当にきちんとしないと、そしてどこまで出来るか分からないけれど、小さな勇気や覚悟を毎日積み重ねることを、改めて思う。 

 新規感染者は、東京都内で、また一万人に近づいてきた。
 家族の持病のこともあるので、怖さも警戒心も、個人的には、まだそれほど変わらない。



(他にも、いろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。



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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
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